【バスケットボール】宮崎早織、来シーズン限りで引退「今は再び大好きです」東京五輪銀メダル恩師への思い
日本の女子バスケットボール代表として21年の東京オリンピックで銀メダルを獲得し、24年のパリオリンピックでも主力選手として活躍した宮崎早織さん(29歳=ENEOS所属)が、25~26年シーズンをもって現役を引退することを15日に発表しました。東京都内で行われた記者会見で、宮崎さんは「28年のオリンピックを目指すのは難しいと感じています。何かを嫌になったわけではなく、体力と元気があるうちに潔く辞めたいと思いました。ファンの皆さんにどう恩返しできるかを考えると、早めに伝えて、1年間一緒にいい思い出を作ることができたらと思いました」と決断に至った思いを明かしました。埼玉県出身の宮崎さんは、2014年にENEOSに入団し、キャプテンとしてチームの顔として活躍してきました。この数年間は「パリまで頑張る」と決意していたものの、その後は「目標が見つからなくなり、次のステップに進むべきだと感じました」と心理的な難しさもあったようです。日本代表として東京オリンピックでは銀メダルを獲得し、輝かしい成績を収めた一員となりましたが、当時のトム・ホーバス監督(58歳)には厳しい指導を受けることが多かったと振り返ります。「東京五輪では怒られすぎて嫌いでしたが、今は再び大好きです」と笑って話しました。現在は芸能事務所GATEに所属しており、引退後もバスケットボールとの関わりを維持しつつ、テレビでの活動も視野に入れています。記者会見では笑顔と涙を見せながら、「優勝して引退したいという思いが強いです」と意気込みを語り、最後にファンへの感謝の気持ちを伝えました。 「この1年間を通して、ファンの皆さまにたくさん恩返しをし、感謝を伝えたいです。SNSでも多くのメッセージをいただいています。すべてには返信できていませんが、しっかりと読ませていただいています。『学校に行きたくないけど頑張っています』『病気で苦しんでいます』といったメッセージも全て目を通しています。そういった方々の力になれるよう、変わらずに笑い楽しんでいる姿を見ていただければ嬉しいです。」限られた時間を大切にし、前を向く宮崎さんの思いが伝わる会見でした。【松本航】◆宮崎早織(みやざき・さおり)は1995年生まれの埼玉県出身。父は野球、母はハンドボール経験者で、5人きょうだいの次女として生まれました。姉の優子さんもバスケットボール選手、兄の泰右さんはプロサッカー選手、妹の安奈さんはボートレーサーとして活躍するスポーツ一家です。高校では聖カタリナ学園で全国高校総体準優勝、14年にENEOSに入団。21年の東京五輪で銀メダルを獲得し、アジア杯で優勝しベスト5に選ばれました。24年パリ五輪の代表選手でもあります。コート上ではのニックネーム「ユラ」で親しまれ、1月には同じENEOSで野球部に所属していた榎本和輝さんとの結婚を発表しました。身長167センチ、体重56キロ。