【潜入】長島三奈さん「父が世界で一番好きな方」弔問に訪れた松井秀喜氏をまぶしい朝日が照らす
肺炎のため、3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督。7日の通夜、8日の告別式が終わり、世の中を明るく照らし続けた太陽は旅立ちました。都内の長嶋邸には、一報から報道陣が集まり、弔問を取材。いつもメディアに優しかった長嶋さんに、最後まで甘える形で詰めることになりました。3日午前9時半から、6日の午後4時まで…閑静な都心の一等地、78時間30分の群像に潜入です。 ◇ ◇ ◇6月4日午前3時過ぎ、長嶋さんの自宅がある都内の住宅街は、まだ暗闇に包まれていた。報道陣の姿もない。1人で陣取る事がどこか恐縮で、一礼をしてから周囲を少し歩いた。しばらくして戻ると同じく喪服姿の取材者が集まってきた。日本スポーツ界最大の偉人が、そこに眠る。暗がりの中で静かに時が過ぎる。午前4時57分、空が白みはじめ、1台の車が自宅前に止まった。紺色スーツの松井秀喜さんが、神妙な面持ちで降りてきた。呼び鈴を鳴らす。「松井さーん!」。次女三奈さんが玄関から飛び出てきた。しめやかさより、明るさが勝る。松井さんも緊張が解けるように、ほほえんだ。「ご存じの通り、父は松井さんが世界で一番好きな方です」。娘として7日の通夜の喪主あいさつで語るほど、2人の関係は濃かった。一分一秒でも早く再会できる事を喜んでいた。弔問の時間が過ぎていく。近隣住民の方も通り過ぎる機会が増えていく。みな、家に向けて手を合わせていく。そして、報道陣へもあいさつをしてくれる。この家には古くから番記者が集った。報じる側だけではない。その後に話を聞いた70代、ファン歴60年以上の女性は「昔、ご自宅にサインをもらいに伺った」と教えてくれた。選手名鑑に住所が掲載されていた時代もあった。「長嶋さんは快くサインしてくださって」と声を詰まらせた。長嶋邸に集う人々を、長くこの街は受け入れてきた。長嶋さんもこの街、日本中を照らし続けてきた。すっかり明るくなった午前7時10分過ぎ、松井さんが対面を終え、報道陣の前に立った。ひときわまぶしい朝日が、その顔を照らしていた。【阿部健吾】 ◆長嶋邸の前・時系列【6月3日】午後1時17分 長嶋さんが自宅に到着。長男の一茂さん、次女の三奈さんが付き添う25分 ソフトバンク王貞治球団会長が到着その後、巨人川相2軍野手総合コーチ、谷佳知・亮子夫妻、元総理大臣・中曽根康弘さんの息子の中曽根弘文参議院議員らが弔問【4日】午前4時57分 ニューヨークから緊急帰国した松井秀喜氏が到着。約2時間、弔問した9時半 中畑清氏が弔問10時 高橋由伸氏が、妻で元日本テレビアナウンサーの小野寺麻衣さんとともに弔問その後、柴田勲氏、篠塚和典氏、定岡正二氏、松坂大輔氏、青木功日本ゴルフツアー機構前会長、里見治セガサミーホールディングス株式会社代表取締役会長らが弔問【5日】午前10時すぎ 柴田勲氏が2日連続の弔問午後1時半 元NHKの青山祐子アナウンサーが弔問【6日】午前9時 元広島監督の山本浩二氏が訪問同30分 日本ハムの栗山英樹CBO10時10分 柴田勲氏が3日連続で正午 歌手の山口かおる午後1時10分 報道陣にすいかの差し入れ【7日】午後2時33分 長嶋さんを乗せた車が自宅を出発3時13分から24分 東京ドーム周辺を走行4時3分 斎場に到着6時 通夜が開式【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 伝説残したミスタープロ野球 通夜、告別式で最後の別れ/1