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JOCの新会長に橋本聖子参院議員が選ばれる – 初の女性リーダー、任期は2年

日本オリンピック委員会(JOC)は26日に東京都内で評議員会を開催し、橋本聖子参院議員(60)を新会長として選出したことを発表しました。彼女は夏季と冬季のオリンピックに計7回出場した経験を持っています。任期は2年間で、JOCで初の女性トップとなります。彼女はこれまでに日本スケート連盟会長やJOC副会長、そして五輪担当大臣を歴任してきました。2021年2月からは、森喜朗氏の後を引き継いで東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長を務めました。JOCの役員候補者選考委員会では、日本サッカー協会(JFA)前会長の田嶋幸三氏(67)や、日本バスケットボール協会会長で現在JOC会長代行を務める三屋裕子氏(66)なども候補者として挙げられていました。彼らは新たに25年度から2年間の新理事30人に選ばれ、続いて行われた理事会の互選で橋本氏が会長に選ばれました。長期療養中だった山下泰裕会長(68)は、任期満了に伴い退任しました。

【写真特集】チーズハットグを楽しむ小林光希 携帯扇風機で涼む都玲華/女子ゴルフ第1日目

国内女子ゴルフツアー「アース・モンダミンカップ」(千葉・カメリアヒルズCC)の第1日目の様子を写真でお届けします。 小林光希 3番ホールでチーズハットグを楽しむ小林光希(撮影・宮地輝) 3番ホールのティーショットを放つ小林光希(撮影・宮地輝) 3番ホールでティーショットを放ち笑顔でVサインする小林光希(撮影・宮地輝) 都玲華 3番ホールでティーショットを放ち笑顔を見せる都玲華(撮影・宮地輝) 平塚新夢 3番ホールでティーショットを放つ平塚新夢(撮影・宮地輝) ティーショット後、しょんぼりポーズの平塚新夢 上野菜々子 1番ホールでティーショットを放つ上野菜々子(撮影・宮地輝) 2番ホールでバーディーパットを決める上野菜々子(撮影・宮地輝) 稲見萌寧 3番ホールでティーショットを放つ稲見萌寧(撮影・宮地輝) 小祝さくら 3番ホールでティーショットを放つ小祝さくら(撮影・宮地輝) 岡山絵里 3番ホールでティーショットを放つ岡山絵里(撮影・宮地輝) 桜井心那...

【バスケ】三屋裕子氏、5期10年で日本バスケットボール協会会長を退任 – 次期会長はBリーグ島田チェアマンが兼任

日本バスケットボール協会の会長を務めていた三屋裕子氏(66)が退任し、後任としてBリーグのチェアマンである島田慎二氏(54)が新会長に就任する方向になりました。この人事は、28日の臨時評議員会で正式に決定される予定です。島田氏は協会とBリーグのトップを兼任することになります。 三屋氏は、もともとはバレーボール界出身で、Jリーグ及びBリーグの元チェアマンである川淵三郎氏のすすめでバスケットボール界に転身しました。2016年に日本協会の会長に就任した後、2022年には会長の最大任期を4期8年から7期14年に延長する改革を進めました。現在5期目を迎える三屋氏は、協会設立から100周年を迎える2030年に女子ワールドカップを日本に誘致する意向を示すなど、次の任期にも意欲的でしたが、一方で5期10年を節目と考え退任を決断しました。 島田氏はこれまでBリーグ千葉ジェッツの社長や会長を務め、その後2020年には同リーグのチェアマンに就任しました。積極的な改革を進め、新しいカテゴリーである「Bプレミア」を設立する計画を打ち出し、プレミアの下に「Bワン」「Bネクスト」を構成する新たな体制を2026年秋から開始する予定です。 Bリーグが創設された際には、リーグトップと日本バスケットボール協会会長の定席を川淵氏が務めていました。とはいえ、各年代の日本代表強化などの競技団体トップと、興行を主催するリーグトップが同一人物であることが利益相反を生む懸念もあります。今月12日にBリーグ次期チェアマン候補者として承認された島田氏は、複雑な舵取りが求められます。権力が集中することへの懸念の声も挙がっています。 なお、同協会の技術委員長である東野智弥氏(54)は任期満了に伴い退任予定で、B1名古屋ダイヤモンドドルフィンズの社長兼GMに就任し、女子Wリーグの三菱電機でも要職に就く見込みです。

山崎照朝さんが「静かに旅立ちました」–息子の倍実氏が報告「一切弱音を吐かず毅然とした姿勢を貫いた」

極真空手の初代全日本王者で、「極真の龍」と称された山崎照朝(やまざき・てるとも)さんが、22日に胆管がんにより亡くなりました。享年77歳。山梨県のご出身で、23日にご家族がSNSを通じて発表されました。山崎さんは現役時代、キックボクシングでも活躍し、人気漫画『あしたのジョー』のキャラクター「力石徹」のモデルになったことでも知られています。引退後は、ボランティアとして空手の指導に携わる一方、格闘技評論家としても活躍しました。葬儀と告別式は、26日午前9時半から埼玉県越谷市の斎場で執り行われます。喪主は妻のせつ子(せつこ)さんです。   ◇   ◇   ◇山崎さんは、今年1月まで東京中日スポーツで「山崎照朝 撃戦記」というコラムを連載し、ボクシングの現場にも積極的に参加されていました。その後、闘病生活を送っていたとのことです。息子の倍実氏はSNSで「胆管がんとの闘病の末、静かに旅立ちました」と報告し、「最後まで一切弱音を吐くことなく(中略)毅然とした姿勢を貫いてくれました」と綴りました。山崎さんは、山梨県の都留高校に在学中、極真会館に入門し、その後、日本大学への進学を経て頭角を現しました。1969年、大山倍達館長の勧めで、当時人気を博していたキックボクシングのリングに上がり、8連続KO勝利を収め、一躍スターとなりました。同年9月には、極真会館の第1回全日本選手権で優勝し、その野性的な技から「極真の龍」と呼ばれ、『あしたのジョー』の「力石徹」のモデルとなりました。1973年の全日本選手権準優勝を最後に、選手として引退した山崎さんは、ボクシング記者や格闘技評論家として活動を続け、さらに女子プロレスのコーチとしてクラッシュ・ギャルズなどを指導しました。また、埼玉県さいたま市内に空手道場「逆真会館」を設立し、週末には長年にわたってボランティアで指導を行っていました。

【体操】東京五輪2冠の橋本大輝「菊池病」の可能性「高校生の時も同じ症状があり再発という診断」

体操男子で2021年東京五輪2冠の橋本大輝(日本生命・セントラルスポーツ)が23日、リンパ節に良性の炎症が起きる「菊池病」の可能性が高いと診断されていたことを明らかにした。体調不良を押して出場した5月のNHK杯後に病院で血液検査を受け、異常が見つかったという。「高校生の時も同じような症状があり、再発という診断だった」と説明した。当初はインフルエンザとの診断で、服薬後もしばらく熱が下がらなかった。この日は東京都内での強化合宿に元気に参加。原因不明の病気で、再発防止に向けて「先生と相談し、良くなるために何をするかを考えてもらっている」と話した。

なぜ、総合格闘家ではないのか?ウルフ・アロンが新日本プロレス入団を決めた理由

「好き」を貫いた。21年東京オリンピック(五輪)柔道男子100キロ級金メダルのウルフ・アロン(29)が23日、新日本プロレス入団会見に出席した。「なぜプロレスをと言われたら、好きだから」。電撃入団の理由を、こう言い切った。柔道をとことん極めてきた。21年東京五輪で金メダル、24年パリ五輪にも出場した。好きなことは、勝つこと。今年4月、個人戦ラストの大会でもその姿勢は不変だった。体重無差別で日本一を決める全日本選手権。3回戦で敗退し、会場から大きな拍手を浴びた。充実の表情を浮かべるかと思いきや、目をぎゅっとつむり、天を仰いだ。「もっともっと上を目指してやってきたので、悔しい。最後の最後まで負けるのは嫌だなと思えた」。大好きな白星を逃したことを悔しがった。もう1つの「好き」を抑えられなかった。東海大時代に15、16年の講道館杯を連覇。17年に全日本選抜体重別で2連覇し、世界選手権も優勝。畳で大活躍する一方で、別の夢が沸き上がっていた。毎週、テレビ朝日系列で70年代から続く「ワールドプロレスリング」を録画視聴。「いつか柔道でやり残すことがなくなったら、プロレスをやりたいと思っていた」。学生時代から思い描いていた。パリ五輪を終え、新日本プロレスに直談判。29歳にして夢をかなえた。進路も一貫していた。92年バルセロナ五輪78キロ級金メダルで、所属のパーク24で総監督を務める吉田秀彦氏は、引退後に総合格闘家に転向した。08年北京五輪100キロ超級金メダルの石井慧が転身した例もある。五輪金メダリストがプロレス界に転向した前例はないが、あえてその道を進んだ。「僕はまず、そこまで総合格闘技が好きじゃない。自分が好きかどうかが、自分がやる上で一番大事なところ。好きじゃないものをやろうとはならなかった」と思いを明かした。自身のスタイルにも一致する。柔道時代から「人に対して、自分自身を見せることも、見られることも好き」と、テレビのバラエティー番組などに多く出演してきた。批判の声もあったが、意に介さなかった。今月10日の会見でも、引退後も変わらず「自分自身が表に立ちたい気持ちが強い」と明言していた。「しゃべるのも好き。体を動かして表現することも好き。全てを表に出したい、さらけ出したいような気持ちが強い」と、新たな道を選択した。デビュー戦は、来年1月4日の東京ドーム。一体どんなパフォーマンスを見せてくれるだろうか。【飯岡大暉】(柔道担当)プロレス転向電撃発表のウルフ・アロン「柔道を捨てるのではない」井上康生氏に事前報告…反応は

19歳入谷響、ルーキー一番乗りで初優勝「将来米国で戦える選手になりたい」師匠は中嶋常幸

入谷響(19=加賀電子)が、今季14戦目でルーキー一番乗りとなる初優勝を果たした。2位に4打差の首位から出て4バーディー、4ボギーの72で回り、通算12アンダー、204。強風に苦しめられ、一時は2位に1打差に迫られながらも逃げ切った。ウイニングパットとなるバーディーパットを沈めると、一瞬ホッとしたような笑みを浮かべた。歓声と拍手に軽く会釈。初Vを祝福するために待っていた同期らと祝福のハグを交わし、喜びを爆発させた。首位から最終日に臨んだのは、4月の富士フイルム・スタジオアリス女子に次いで2度目。前回は2位に1打差をつけてスタートしながら4位に敗れていた悔しさを晴らした。優勝インタビューでは「前半はドタバタしながらのプレーになりましたが、後半に気持ちを切り替えてバーディーが取れて、最後の18番でもバーディーが取れたのでうれしかったです。本当に皆さまの応援が力になりました。これからたくさん優勝回数を重ねて、将来米国で戦える選手になれるよう頑張ります。応援をよろしくお願いいたします」とあいさつした。出だしからショットが乱れていた。1番パー5は、ティーショット、第2打ともに左ラフ。第3打でもグリーンに乗せられず、2・5メートルのパーパットを残したが、辛うじてこれを沈めてパーにとどめた。直後の2番パー4では第2打をグリーン手前のバンカーに入れるなどして、4オン1パットでボギーが先行。4番パー3で、ピンまで12ヤードの右ラフからチップインで最初のバーディーを奪ったが、これもティーショットでグリーンを外していた。悪い流れは、なかなか止められなかった。直後の5番パー4は、カラーからパターで打った第3打から“3パット”でスコアを落とし、再びボギーが先行した。ドライバー平均飛距離258・21ヤードという、ツアー2位の飛ばし屋だけに、パー5の7番は伸ばしたかったが、再び3パットで、むしろ落とした。流れが上向きになったのは、前日に自己ベストの29で回ったインコースの後半に入ってからだった。後半最初の10番パー5で、レイアップからの第3打は、ピンまで1メートルにピタリとつくスーパーショットとなった。これを決めて2つ目のバーディー。直後の11番パー3は、2・5メートルの厳しいパーパットを沈め、徐々に初優勝の風を呼び込んだ。小学6年から国内男子ツアーで通算48勝の中嶋常幸に師事し、飛距離という最大の長所を伸ばす指導を受けてきた。前日21日の第2ラウンドの後半は、9ホール中7ホールでバーディーを奪うハーフの自己ベストとなる29で回った。パー3の2ホール以外、本来は正確性に欠けるドライバーをティーショットで握り、果敢に攻めて伸ばした度胸と持ち前の飛距離。両者が融合すれば、ビッグスコアが出るのは証明済みだ。世界最高峰、米ツアーでの活躍が目覚ましい日本人女子プロゴルファー。また1人、将来性豊かな逸材が世間に実力を証明した。◆入谷響(いりや・ひびき)2005年(平17)12月21日、愛知県豊川市生まれ。6歳から始める。昨年11月の最終プロテストは7位で合格。QTランキング18位で今季前半戦の出場権を得た。3月のアクサ・レディース6位を皮切りに、トップ10入りはツアー9番目に多い4度。4月の富士フイルム・スタジオアリス女子は最終日に単独首位で臨み、初の最終日最終組も4位。今季メルセデス・ランキング16位。現在は朝日大2年。師匠は中嶋常幸。家族は両親と兄、姉。160センチ、75キロ。血液型B。

【全米女子プロ】山下美夢有は2年連続優勝争い参戦「強い風の中でも負けないように」一問一答

昨年2位に入った好相性のメジャー舞台で、山下美夢有(23=花王)が、首位と7打差3位で最終日を迎えることになった。4バーディー、5ボギーの73で回り、通算1オーバーの217で3位。前日の6打差8位から順位は上昇して、日本勢トップに立った。22、23年の日本国内の年間女王。通算13勝、パリ五輪4位の実力をひっさげ、ツアールーキーとして初優勝を目指す。4月のJMイーグルLA選手権で最高の3位に入るなど、8位以内が既に4試合もある。主な一問一答は次の通り。-1日を振り返って山下 ちょっと前半は(4つボギーが先行し、3つ)落とす展開で、なかなか苦しかったが、後半は粘ってバーディーが11番できて、そこからいい流れで(2つ)取り返すことができたのでよかった。-強風での経験は山下 (過去3回出場した)全英女子オープンの時くらい。特に意識はしていないが、でも持ち味としているフェアウエーキープは外したくないので、ショットの精度も大事。あとは風の読み、グリーン上の難しさがあるので、そのへんしっかり攻略して明日も頑張りたい。-15番などあと少しでイーグルの場面もあった山下 全体的にショットのリズムが良かったので、後半取り返すことができた。この強い風の中でも負けないように頑張る。【全米女子プロ】スコアはこちら――>>

【全米女子プロ】渋野日向子、40位から95位に後退し予選落ち「風?それ以前の問題だったかも」/一問一答

メジャー大会での6年ぶりの2勝目を目指していた渋野日向子(26=サントリー)は、今季ワーストのスコア「79」で予選落ちという悔しい結果となりました。彼女は首位と6打差の40位からスタートしたものの、バーディーなし、4ボギーと1トリプルボギーを記録し、合計9オーバーの153、95位で終わりました。このスコアは、5月のブラックデザート選手権第3ラウンドでの「78」よりも悪く、今季最悪のスコアとなりました。6年連続出場となるこの大会での予選落ちは2年ぶり2度目で、昨年は7位という好成績でした。 主な一問一答は次の通りです。 -今日の日を振り返って渋野 バーディーが1つもなかったので、本当に早く次の日が来てほしかったですね。でも、16番ホールのトリプルボギーが悔やまれます。-初日は午後8時半までラウンドし、2日目は午前スタートでしたが渋野 しっかり眠れたと思いましたし、それほど悪いスタートではなかったと思っていました。でも、この結果になってしまいとても残念です。パターが入ってくれれば流れが変わっていたかもしれないポイントもあったので、それが入らなかったのが悔しいです。 -風も強かったですね渋野 確かに考えることは多かったですが、それ以前の問題だったかもしれません。難しいコースで、あと2日間プレーしたかったのですが残念でした。

【フィギュア】来季引退予定の坂本花織、コーチ転向計画「団体も個人も、銀以上を」26年五輪が目標

フィギュアスケート選手の坂本花織(25=シスメックス)は、来季で現役を引退する意向を発表しました。彼女は26年ミラノ・コルティナ五輪シーズンを最後にし、引退後はコーチへの転向を目指しています。これまで彼女は北京五輪で団体銀メダル、個人銅メダルを獲得しており、次の五輪でも個人と団体の両方で銀メダル以上を狙っています。    ◇   ◇   ◇ 坂本選手は、ラストシーズンに挑む覚悟を決めています。神戸市で新たに開業した「シスメックス神戸アイスキャンパス」でのオープニングセレモニーにて、その技を披露しました。「ずっとあこがれていた地元での練習環境が整った。次は自分自身の努力で成果を上げるのみ」と語り、26年の五輪を競技人生の集大成と位置づけています。 「私の競技人生は残り1年。30年の五輪を目指すのは無理だと判断しました。中途半端に2~3年続けるよりも、ここで一区切りをつけたかった」と語っています。神戸で生まれ育ち、長年中野園子コーチ(72)の指導を受けてきた彼女は、18年平昌大会から連続で五輪に出場し、国内および国際的なフィギュア界に貢献してきました。 来季の新ショートプログラムは、ブノワ・リショー氏(37)による振り付けの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」です。フリープログラムは、自らが選んだ「愛の讃歌」をマリーフランス・デュブレイユさん(50)と共に作り上げます。 「SPはさらなる一歩を踏み出すためのものであり、フリーは引退シーズンのために選んだ曲です。」 引退後はコーチとして後進を育成することを目指しています。「団体も個人も銀(メダル)以上を目指し、結果を出して注目を集めたいと思います」と語る彼女の思いは強いです。 限られた競技人生に悔いはありません。【松本航】 ○…神戸で唯一の通年型リンクは、阪神・淡路大震災からの復興シンボル「HAT神戸」に位置しています。坂本選手は「多くの子供たちが気軽に訪れ、スケートに興味を持ってくれることを願っています」と話しました。この日、三原舞依、壷井達也、三宅咲綺らと共に演技を披露しました。三原選手は「感謝の気持ちを胸に、ここでの練習に励みたい」と笑顔で語り、壷井選手は「スケート一本で挑戦していきたい」と五輪を目指しています。