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【解説】元白鵬の引退と退職劇の裏にある2つの主要な理由と協会の見解の相違

歴代最多45回の優勝を誇る元横綱・白鵬(現宮城野親方、40歳)が日本相撲協会を退職することが正式に決定しました。日本相撲協会は2日に臨時理事会を東京・両国国技館で開催し、宮城野親方が9日付で退職すると発表しました。宮城野親方の以前の部屋である旧宮城野部屋では、昨年度に元前頭・北青鵬による暴力事件が発覚し、これにより監督責任を問われて2階級降格の処分を受け、部屋は閉鎖。昨年4月に伊勢ケ浜部屋に移籍しました。部屋再興の兆しが見えず、さらに協会の公式発表とも食い違う形で退職が決まりました。    ◇   ◇   ◇ 旧宮城野部屋の閉鎖と伊勢ケ浜部屋への移籍以降、宮城野親方は心機一転しました。伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の助言に従い、日本全国で弟子の実家を訪れて謝罪し、部屋付きの楯山親方(元幕内誉富士)には敬語を使い、来客があれば自ら動いていました。彼の姿勢を近くで見てきた間垣親方(元幕内石浦)は「尊敬の念が増しました。涙が出ることもありました」と話しています。この1年間の努力について尋ねられた宮城野親方は、「それが私の人間性なんです。でも、上層部には理解されない」と苦笑し、「痛みは本人にしか分からない。成長はしました」と述べました。宮城野親方が退職に至ったのは、協会と本人の双方に原因があります。宮城野部屋の閉鎖期間を明確にしなかったのは、協会幹部によれば「期間を決めると宮城野親方が反省しないから」とのことでした。しかし、1年ほど経った頃には、再興が認められるのではないかという期待が高まりました。伊勢ケ浜親方が7月初旬に定年を迎えるため、最終の本場所である5月の夏場所後が再興のタイミングと見られていたのです。伊勢ケ浜一門は初場所後から、宮城野部屋の再興を理事会で議題に上げてほしいと頼んでいましたが、実質的な議論には至りませんでした。宮城野親方が退職の意志を固めた理由として、<1>協会が再興時期を決めてくれないこと、<2>後輩の照ノ富士親方(元横綱)の指導下に入ることをプライドが許さないこと、の2点が挙げられます。3月27日の理事会でも議題に上がらず、彼の心は退職に傾きました。協会の発表では、「今後は浅香山部屋で預かる」「解除を十一月場所後とすることを検討」とされていますが、宮城野親方は既に決心を変えませんでした。この発表に関し、宮城野親方に近い関係者は「全く違う」と強調しました。ある元力士は「ハメられたのでは?怖い」と話しています。宮城野親方は9日に会見を開く予定ですが、協会の見解よりも次のステップに目を向けているようです。協会が再興時期の提案をもっと早くできなかったのか。宮城野親方も、もう少し耐えることができなかったのか。この処分は、現役時代からの言動も大きく影響していると考えられます。協会にとっても大きな損失です。有名で実績豊かな横綱と共存できないことへの損失感は否めません。チケットは売れ続けるかもしれませんが、この決定により大横綱を活かしきれなかった事実は、永遠に消えることはありません。【佐々木一郎】

退職した宮城野親方、今後「白鵬翔」として活動へ 新たな相撲団体の設立や国際的な展開を視野に

大相撲で歴代最多の45回優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)が、日本相撲協会を退職することが正式に決まりました。2日、協会は東京・両国国技館で臨時理事会を開催し、宮城野親方が9日付で協会を退職することを発表しました。昨年、宮城野親方が率いる旧宮城野部屋で弟子の被害事件が発覚し、その監督責任が問われた結果、部屋の閉鎖や降格処分を受け、師弟ともに伊勢ケ浜部屋へと移籍していました。新たな道が見出せず退職を決意しましたが、協会からの公式発表とは意見の相違があり、後味の悪い結末となりました。    ◇   ◇   ◇ 宮城野親方の退職後の活動はどうなるのでしょうか。親方としての役職を離れるため、今後は本名の「白鵬翔」を用いて活動していくことになります。これまでの功績や知名度を考慮すれば、生活には困らないでしょうし、多くの後援者も存在しています。朝青龍や日馬富士のように、ビジネスでの成功も期待されています。具体的な活動プランとして、日本国内の子供たちを対象にした相撲大会「白鵬杯」の規模拡大があります。協会から離れることで、会場使用料などの貸与条件が厳しくなると予想されますが、それでも大会のさらなる発展を目指しているそうです。将来的には、相撲の新たな団体設立の構想もあります。まずはアマチュア相撲の組織作りに着手し、その後世界規模の団体へと成長させる計画です。これが実現すれば、かつての宮城野部屋の力士たちが新たな舞台で活躍する可能性もあります。宮城野親方はプロの相撲界からは離れますが、何らかの形で相撲との関わりを続ける希望を持ち続けています。

退職の元横綱白鵬の宮城野親方「相撲の未来を世界中の人々とともに築いていく」/コメント全文

大相撲で歴代最多45度の優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)が、日本相撲協会を退職することが正式に決まりました。日本相撲協会は2日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、宮城野親方が9日付で退職することを発表しました。昨年、彼が指導していた旧宮城野部屋で、弟子の元前頭北青鵬による暴力事件が発覚し、監督責任を問われて2階級降格などの処分を受け、部屋は閉鎖され、その後師弟ともに伊勢ケ浜部屋へ転籍していました。部屋を再興する道筋を見出せず、退職を決意したとのことです。現在モンゴルに滞在中で、帰国後に会見を予定しています。 宮城野親方が文書で発表したコメントは以下の通りです。    ◇   ◇   ◇ 【ご報告】   日本相撲協会退職のご挨拶と今後の活動について   私、白鵬翔は日本相撲協会に辞表を提出し、本日開催された臨時理事会で6月9日付で承認されることとなりました。 これまで相撲道一筋で歩んできた力士としての人生は、多くの皆様の温かい支援と指導のおかげで成し遂げられました。心より感謝申し上げます。また、現役を退いてからは、わずかながらも弟子の育成や相撲界の未来を見据えた取り組みに尽力してまいりました。 今後は、日本が誇る「相撲」という文化をより広く、次世代に伝えるため、日本相撲協会の外からその発展に貢献していく決意を固めました。 国内外を問わず、相撲の持つ価値と魅力を新たな形で伝え、相撲の未来を世界中の人々とともに築いていく活動に力を注ぎたいと思います。 これまで支えてくださった皆様に改めて心より御礼申し上げるとともに、今後とも変わらぬご厚情とご指導を賜りますようお願い申し上げます。 現在、私はモンゴルに滞在しており、モンゴル相撲の大横綱であった故父、ジグジドゥ・ムンフバトの記念銅像除幕式に参列する予定です。父は、モンゴルで初めてオリンピック銀メダルとレスリング世界大会の銅メダルを獲得し、労働英雄賞(日本の国民栄誉賞に相当)を受賞した人物です。 私自身の真意を説明するとともに、今後の活動について、改めて記者会見の場を設け、正式にご報告させていただく予定です。 敬具 白鵬翔

宮城野親方退職、日本相撲協会が発表「9日付の退職願を受理」伊勢ケ浜親方が再開を示唆し慰留も本人の意志固く

歴代最多45回の優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)の退職が、日本相撲協会によって正式に承認されました。2日に都内で開かれた臨時理事会では、昨年4月から閉鎖中であった宮城野部屋と宮城野親方の退職が認められました。 会議後、佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)と西岩親方(元関脇若の里)は取材に対し、6月9日付の退職願が全会一致で受理されたことを明かしました。 同日から、年寄伊勢ケ浜こと杉野森正也が宮城野名跡を継承し、宮城野部屋の弟子たちは伊勢ケ浜部屋で引き続き指導を受けることとなります。 説明によれば、宮城野親方の退職願は出されたものの、伊勢ケ浜預かりの旧宮城野部屋の弟子たちが師匠不在となるのを避けるため、まず弟子たちの受け入れを決定し、その後で退職願が受理される形となりました。 浅香山親方(元大関魁皇)は、今年の初場所から宮城野部屋の再開について話し合っていたといい、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の定年退職に伴い名古屋場所から師匠が交替することもあり、八角理事長(元横綱北勝海)から「浅香山部屋での預かりを検討するように」との指示がありました。浅香山親方は「幾度も思い留まるよう話をしたが、宮城野は退職の意向を示した」と報告しました。 また、伊勢ケ浜親方も「何度も宮城野を説得し、部屋は近いうちに再開するので、もう少し辛抱してはどうかと慰留を試みたが、本人の意志が強固だった」「宮城野は自身の弟子たちのことを心配しており、伊勢ケ浜部屋での預かりを継続して欲しいと話していた」と語りました。宮城野親方の弟子たちもそれを望んでいたことが報告されました。 宮城野親方は昨年、元前頭北青鵬の暴力問題により監督責任を問われ、降格処分を受けました。部屋は閉鎖され、昨年4月に師弟ともに伊勢ケ浜部屋へ移籍していました。1年経っても部屋再開のめどが立たず、宮城野親方は退職届を提出し、角界を離れることになりました。

元横綱白鵬の親方退職「宮城野名跡」6・9付で年寄伊勢ケ浜こと杉野森正也が継承襲名と決定

歴代最多45度の優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)が、日本相撲協会から退職する。2日、同協会が都内で開いた臨時理事会で、昨年4月から閉鎖になっている宮城野部屋、宮城野親方の退職を容認した。終了後、取材に応対した佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)西岩親方(元関脇若の里)によると「6月9日付の退職届を受理する」ことが審議の末、承認された。同日付で年寄伊勢ケ浜こと杉野森正也が、宮城野名跡を継承襲名する。全会一致で決まった。7月6日以降は参与としても雇用が認められ、伊勢ケ浜部屋に所属することにもなった。宮城野親方は昨年、元前頭北青鵬の暴力問題について監督責任を問われ、2階級降格などの処分を受けていた。部屋は閉鎖、昨年4月に師弟ともに伊勢ケ浜部屋へ転籍していた。1年たっても部屋の再開にめどが立たないこともあり、宮城野親方は退職届を協会に提出。角界を離れることになった。

【全文】日本相撲協会、宮城野親方の退職に関する経緯を発表。九州場所後の預かり解除案も慰留を試みたが退職の意向

歴代最多45度の優勝を誇る元横綱、白鵬の宮城野親方(40歳)について、日本相撲協会は正式に退職を承認しました。協会は2日に都内で開かれた臨時理事会で、昨年4月から閉鎖されていた宮城野部屋と宮城野親方の退職を全会一致で容認。彼の退職願は9日付で受理される予定です。協会が発表した決定事項とその経緯について、以下に詳細を記載します。伊勢ヶ濱部屋の継承および宮城野部屋の今後について令和7年6月2日公益財団法人日本相撲協会令和6年2月23日の理事会では、年寄宮城野としての白鵬翔が、弟子の暴力行為に関する監督責任や協会への通報義務違反、協会の調査の妨害行為で懲戒処分を受けました。その際、師匠としての素養や自覚が欠けていることが確認されたため、弟子たちは伊勢ヶ濱一門で預かられ、師匠・親方としての指導・教育が進められることになりました。しかし、宮城野から令和7年6月9日付の退職願が提出され、本日の理事会では伊勢ヶ濱部屋で預かられている宮城野の弟子たちをどう処遇するかが議論されました。浅香山理事、伊勢ヶ濱親方、春日野理事からそれぞれ状況報告がありました。浅香山親方は、「一年間再開のための話し合いを重ねてきたが、退職の意向を示す宮城野親方を思い留まらせるのは難しかった」と報告しました。また、伊勢ヶ濱親方も「説得を試みたが、宮城野自身の意志が強かったため、慰留できなかった。弟子たちを心配しており、伊勢ヶ濱部屋での預かり継続を望んでいた」と伝えました。これらの報告を受け、理事会は宮城野親方の退職願受理を決定。宮城野部屋の力士たちについては、伊勢ヶ濱部屋での預かり継続を全会一致で決定しました。その後、伊勢ヶ濱こと杉野森正也が宮城野師範名跡を継承、照ノ富士こと杉野森正山が伊勢ヶ濱名跡を継承し、全ての決議が全会一致で可決されました。伊勢ヶ濱正也は7月6日以降、参与として伊勢ヶ濱部屋に所属します。以上(原文まま)宮城野親方は、元前頭北青鵬の暴力問題で監督責任を問われ、処分を受けていました。部屋の再開が見通せず、角界を離れることとなりました。

平成時代以降の横綱の引退後の道—相撲界を離れた6人:曙、貴乃花、若乃花、朝青龍、日馬富士、白鵬

歴代最多の45度の優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40歳)が、このたび日本相撲協会を退職することになりました。日本相撲協会は2日、東京で臨時理事会を開き、昨年4月から閉鎖されていた宮城野部屋、および宮城野親方の退職を承認しました。宮城野親方は昨年、元前頭北青鵬による暴力問題の監督責任を問われ、2階級降格などの処分を受けました。それにより、部屋は閉鎖され、昨年4月に師弟共に伊勢ケ浜部屋へ転籍しました。平成時代以降に昇進した横綱は13名おり、そのうち11名が引退しています。その中で6名が角界を去りました。平成時代以降に昇進し引退した横綱たちは以下の通りです。旭富士:1990年秋場所で新横綱昇進、1992年初場所で引退、優勝4回→伊勢ケ浜親方★曙:1993年春場所で新横綱昇進、2001年初場所で引退、優勝11回→2003年11月に退職★貴乃花:1995年初場所で新横綱昇進、2003年初場所で引退、優勝22回→2018年9月に退職★若乃花:1998年名古屋場所で新横綱昇進、2000年春場所で引退→2000年12月に退職武蔵丸:1999年名古屋場所で新横綱昇進、2003年九州場所で引退、優勝12回→武蔵川親方★朝青龍:2003年春場所で新横綱昇進、2010年初場所で引退、優勝25回→2010年2月に引退(親方になる条件の日本国籍がない)★白鵬:2007年名古屋場所で新横綱昇進、2021年秋場所で引退、優勝45回→2025年6月に退職★日馬富士:2012年九州場所で新横綱昇進、2017年九州場所で引退、優勝9回→2017年11月に引退(親方になる条件の日本国籍がない)鶴竜:2014年夏場所で新横綱昇進、2021年春場所で引退、優勝6回→音羽山親方稀勢の里:2017年春場所で新横綱昇進、2019年初場所で引退、優勝2回→二所ノ関親方照ノ富士:2021年秋場所で新横綱昇進、2025年初場所で引退、優勝10回→照ノ富士親方

元横綱白鵬の宮城野親方が2日にも日本相撲協会を退職 多くの親方が「退職の意思は固い」と証言

歴代最多45度の優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)が、今日2日にも日本相撲協会を退職する。同協会は2日に臨時理事会を実施。昨年4月から閉鎖となっている宮城野部屋、宮城野親方が提出している退職届について協議される。同親方は現在、式典出席のため出身のモンゴルに滞在中。本人への聴き取りはないが多くの親方が「退職の意思は固い」という。退職届が受理されれば歴代最多45度優勝の大横綱が去る。昨年、宮城野部屋の元前頭北青鵬の暴力が発覚し、宮城野親方は監督責任を問われ、2階級降格などの処分を受けた。部屋は閉鎖、昨年4月に師弟ともに伊勢ケ浜部屋に転籍。その要因となった北青鵬が1日、都内で行われた元前頭旭大星の断髪式に出席。ハサミを入れると、報道陣を避けるように会場を後にした。ただ204センチの長身で独特の存在感は変わらず。にわかに騒がしくなってきた。

湊川親方、断髪式で熱いメッセージ「オレらはいつまでもライバルだ」元阿武咲が号泣** **

** 「オレらはいつまでもライバルだ」。この短い言葉には、多くの想いが凝縮されていました。一方は涙を流し、もう一方は懸命に涙をこらえていました。これは二人だけに分かる特別な瞬間で、特別な空気を持っていました。 昨年12月に引退した元小結、阿武咲こと打越奎也氏(28)が、東京の両国国技館で断髪式を行いました。約400人が参加し、師匠の阿武松親方(元前頭大道)の最後の一刀で、力士としての髷と別れを告げました。「最初は涙を我慢していましたが…」涙を流すまいと気をつけていましたが、「途中で、もう、こらえきれませんでした(笑い)」と涙をこぼしました。 小学生の頃からライバルだった元大関貴景勝の湊川親方(28)が土俵に上がった瞬間、涙が止められなくなることを打越氏は覚悟していたようです。青森の打越と兵庫の佐藤(湊川親方の本名)、同学年の二人は、小学生の頃から際立っていました。二人とも背の高さには恵まれませんでしたが、激しい立ち合いと激しい突き押しから相撲のスタイルは似通っており、「あいつには負けられない」と強く意識するようになりました。 打越氏が高校を中退し、湊川親方が高校卒業後に大相撲の道に入りました。湊川親方は引退後に「本当は打越と話したかったが、なれ合いたくなかったので、あえて話さないようにした」と語りました。生涯のライバルと決めた相手だからこそ、巡業で共に全国を旅しても一定の距離を保ちました。 そして、昨年9月の秋場所中に湊川親方が引退し、打越氏も12月に後を追うようにして引退を決めました。打越氏が引退を伝えた際、湊川親方に「オレら頑張ったよな」と返され、労をねぎらわれた時には涙が止まりませんでした。 この日、湊川親方は打越氏の髷にハサミを入れた後、東の花道を引き揚げてきて放心状態でした。「どのような声をかけましたか?」とたずねると、「本人に聞いて」と答え、続けて「どんな思いが込み上げてきましたか?」と聞かれると、支度部屋に近い通路の壁によりかかり、涙がこぼれないように上を見つめ、語り始めました。 湊川親方「終わったな、と。オレも打越も、本当に現役が終わったんだなと感じました。何と言うか…。他の人たちには起こらないような感情が湧いてきました。日本一を目指して、常に自分たちは突き進んできました。自分たちは(世間に)現れるのも早かったから、現役が終わるのも早かったと思います。でも、オレたち二人が平成8年生まれの世代を引っ張ってきた自信はあります。」 打越氏の存在が、自分を成長させてくれたと感謝の気持ちをあらわにしました。 そして、打越氏から湊川親方への思いも同じでした。 打越氏「本当にありがたいですね。人との出会い、縁に恵まれている人生だったと、改めて感じました。感謝やありがとうの言葉だけでは言い尽くせないような相撲人生でした。最高の相撲人生だったと思います。」 打越氏は相撲界を離れ、4月からはせっけんや化粧品、スキンケア商品などを扱う会社に入社しています。自宅のある千葉県から、勤務先の横浜市まで往復130~140キロを運転して通勤しています。接客や商品開発に取り組んでおり、大相撲の本場所は勤務中や移動中でほとんど見ることができないです。ただ、「自分で選んだ道。毎日が充実しています」と、新入社員として奮闘しています。 どんな道に進んでも、第2の人生でも努力を怠らない打越氏の性格を最もよく知るのが湊川親方です。舞台が変わっても、湊川親方は「日本一」と呼ばれる弟子の育成を目指し、打越氏は「日本一」と呼ばれる商品開発を目指しています。だから、湊川親方は敬意を込めて言ったのです。「オレらはいつまでもライバルだ」。第2の人生でも、どちらが先に「日本一」の称号を得るか競い合い続けることでしょう。 「いつかは、ゆっくり食事でもしながら話したい」。照れ笑いを浮かべながら同じ言葉を語る二人。そんな簡単にできそうでできないままの、不器用な二人です。それでも、互いにぶつかり合ってきた絆があります。意識し続けた最大の敵は、最高の理解者でもありました。【高田文太】

退職が濃厚な元白鵬・宮城野親方、千代の富士の誕生日を祝う – レジェンド横綱との貴重なツーショットを公開

日本の相撲界で史上最多45度の優勝を成し遂げた元横綱の白鵬、現在は宮城野親方(40)が、相撲協会からの退職が近いとされている中、1日にインスタグラムのストーリーズを更新しました。この日は、故人であり元横綱の千代の富士の誕生日であることを紹介し、「Yokozuna 千代の富士 誕生日今日です」「THANK YOU FOR EVERYTHING」と感謝の気持ちを表しました。彼のソーシャルメディアでは、千代の富士の60歳の還暦を記念した土俵入りの動画と、その際に宮城野親方自身が太刀持ちを務めた時の写真が掲載されています。また、二人の笑顔が印象的なツーショットも公開されており、31度の優勝を誇るレジェンド横綱への尊敬を示しています。現在、宮城野親方は父ムンフバトさんに関連する式典に出席するため、故郷のモンゴルに帰省中です。彼は日本相撲協会に退職届を提出しており、2日の臨時理事会でこの件について協議される予定です。