Battle

島田紳助氏のサプライズ登壇「最後まで感動を!」リング上で亀田家を応援 ボクシング世界戦

主要タイトルマッチ直前に、プロモーターの亀田興毅氏(38)が驚きの演出を披露しました。「亀田家が批判され苦しい時期に支えてくださった恩人2人を紹介したい」と何度も涙で声を詰まらせながら語る興毅氏。元タレントの島田紳助氏とABEMAを運営するサイバーエージェント社長の藤田晋氏がリングに姿を現しました。島田氏は「絶対に(リングには)上がれないと思っていたが、興毅の言葉を聞いてもらい泣きしてしまった。亀田家の最終章を見届けさせてもらいます。最後まで感動を!」と情熱的なメッセージを贈りました。藤田社長も「和毅選手には是非とも頑張ってほしい」とエールを送ります。それに応える興毅氏は「最後に兄として。和毅、気合入れろ!」と力強く叫びました。

【ボクシング】亀田和毅、王者レオに敗北し3階級制覇ならず/ライブ詳細

挑戦者で同級1位の亀田和毅(33歳=TMK)は、3階級制覇の夢を叶えることができませんでした。 亀田和毅●0判定2○アンジェロ・レオ ◆試合経過(採点はニッカン独自) 1回 両選手ともに右のオーソドックススタイルでスタート。レオは左ジャブを繰り出し、亀田も左ジャブでプレッシャーをかける。中盤は慎重な戦いでパンチの交換はほとんどなく、レオの右ボディーブローが少し当たる程度。ほぼ互角の展開です。【日刊採点】レオ10-9 2回 レオの左ボディーブローからスタート。亀田は距離をとり様子を見るが、左ジャブが到達せず。中盤はレオのストレートがボディに命中し、亀田のワンツーはしっかりガードされる。終盤にはバッティングにより、レオが頭を押さえる場面も。【日刊採点】レオ10-9 3回 序盤はジャブの応酬。30秒過ぎにレオの右が亀田の側頭部を捉える。ボディーブローも決まり、再びバッティングも見られる。レオが強めに攻勢をかけるラウンドです。【日刊採点】レオ10-9 4回 レオが左ジャブを打ちながらペースを握り、亀田も左ボディーブローで応戦。中盤はレオのペースです。終盤の接近戦では亀田の右がヒットし、両者とも互角に近い内容です。【日刊採点】レオ10-9 5回 レオが左ジャブを打ちながらサイドへ回り、亀田は前に出てプレッシャーをかけます。接近戦ではほぼ互角ですが、亀田のカウンターが決まります。【日刊採点】亀田10-9 6回 スタートからジャブの応酬。初めの打ち合いはほぼ互角も、レオがアッパーを繰り出します。終盤には亀田の連打が有効に働いたラウンドです。【日刊採点】亀田10-9 7回 有効なクリーンヒットは少ないラウンドです。亀田の右フックがヒットし、レオも連打で応戦。終盤には両者決め手を欠いたラウンドです。【日刊採点】亀田10-9 8回 亀田が序盤から前進しますが、レオの距離管理がうまく、接触はほとんど発生しませんでした。ラウンドは無難に進行しました。【日刊採点】レオ10-9 9回...

元横綱白鵬の宮城野親方の視点から見た大の里「連続優勝し、全勝なら、直すところはないかも?」

史上最多45回の優勝を誇る元横綱白鵬こと宮城野親方が報道陣に応じ、大の里について語りました。 -今場所の大の里についてどう感じましたか? 「以前から型が重要だと話してきました。(大の里は)左の使い方に弱い部分もありますが、右の差し手や下手の使い方が非常に上手で、その強さと光り方が際立ちました。これが連続優勝につながったと思います。」 -あと2日間、14勝と全勝は違うものですか? 「優勝額を見た時に、単に優勝と全勝優勝では印象が違いますね。全勝優勝を果たすと、『次も全勝しなきゃ』という気持ちになります。そうして30連勝、また全勝すれば45連勝で大鵬さんに並ぶといった物語があります。1回できれば、もう1回できるものですね。」 -宮城野親方も綱取りの土俵で全勝しました。違うプレッシャーは感じましたか? 「14日目に優勝が決まったことを覚えていますね。(大の里は)昨日決まったので、今日がその日ですね。おそらく全力で挑むとは思いますが、冷静に取り組んでほしいです。」 -全勝は難しいと思いますか? 「関脇までは相撲を楽しんでいましたが、大関になってからはその楽しさが薄れ、横綱になった時は達成感がありました。そして大鵬さんや千代の富士さんに出会い、少しずつ意識を変えました。全勝優勝は非常に嬉しいものです。」 -大の里が初の綱取りで優勝しましたが、その精神的な強さはどう感じますか? 「これで優勝は4回目ですね。3回目の優勝では様々なことを感じ、多く負けて悩んだ場所もあったでしょう。その時期を経て自分を見つめ直す機会があったはずです。そして先場所の決定戦です。以前は高安にうまく勝てなかったですからね。春の巡業で成長し、夏場所に挑んだのではないですか。」 -大の里の課題についてはどう思いますか? 「連続優勝し、ここで全勝すれば直すところはないでしょうね。ただ負けて壁にぶつかった時には考えるでしょう。私だったら右が来たら左を取ります。今は左前みつや左上手を取る力士が少ないですからね。」 -現役だったら大の里にどう挑みますか? 「自分では分かっているんですが(笑)。でもこれは、左と右の展開になるでしょうね。左上手を取れば勝つと思いますが、取らなければいい勝負になるのではないでしょうか。」 -先場所までの課題は減ってきていますか? 「そうですね。豊昇龍の存在も大きかったと思いますよ。」 -大の里は将来的に何回優勝できると思いますか? 「今の状態なら、全部優勝できるのではないでしょうか。2場所連続優勝ですし、このような高い目標を持つべきでしょう。」 -大の里は白鵬杯優勝から成長しました...

【ボクシング】重岡銀次朗は王座返り咲き失敗 昨年初黒星のタドゥランに連敗でリベンジならず

挑戦者の同級4位重岡銀次朗(25=ワタナベ)が王座返り咲きに失敗した。同級王者ペドロ・タドュラン(28=フィリピン)にダイレクトリマッチで挑戦し、12回判定2―1負け。昨年7月にキャリア初黒星をつけられたタドゥランに連敗を喫し、リベンジできなかった、約10カ月でつかんだ雪辱のチャンスだった。初対決では2回に右眼窩(がんか)底骨折を負った。苦しい展開のままのTKO負けし、担架で運ばれ病院に搬送されるダメージだった。重岡は「(骨折時は)一瞬で視界が変わって焦ったことを覚えている。骨折なければ勝てた? そういうことはないですね」と一切、言い訳しなかったものの、キャリア初黒星の借りは必ず返す。その意気込みは強かった。手術から1カ月後からロードワークを再開したものの「慎重に少しずつ実戦を始めた」と本格的な実戦トレーニングを始めたのは今年1月。「真っ向勝負ではなく、うまく戦う」と掲げ、軽めの内容も含めれば、タドゥラン戦に向けたスパーリング数は通常の2倍近くとなる計200ラウンドに到達。満を持して臨んだタドゥランとのリマッチだった。今年3月には兄優大(28=ワタナベ)がWBC世界同級王者メルビン・ジェルサレム(フィリピン)との再戦に敗れて王座返り咲きはならなかった。重岡は「僕が次に勝つことで、流れを持ってきてまた2人で上がっていきたい。僕が先に世界王者に返り咲く姿をみせたい」と気合。重岡兄弟としてのプライドも胸に秘めてリングに立っていた。中学時代まで約40戦無敗、高校時代は通算56勝1敗で、高校1年時の総体県大会決勝で兄優大との対戦が実現した際、兄弟対決を回避したセコンドのタオル投入による棄権負けが唯一の黒星。実に100戦以上のキャリアで事実上の「人生無敗」を継続していたが、プロ13戦目でタドゥランにキャリア初の黒星を喫していた。その借りを返すことはできなかった。「抵抗感があった」とタドゥラン戦の試合動画をチェックしたのは今年3月だった。「より練習の質と量、気持ちを上げるため、ヒントをもらうために見た」。自身のアマチュア時代までさかのぼって自身の映像をチェック。「忘れていたものを取り戻し、足りないところを補うため。より自分のボクシングが完成してきた」と自信を胸に秘めて挑んだ背水の陣だったが、ベルトを取り戻すことはできなかった。

** 48歳のユニークな力士・聡ノ富士が引退「もう満足です」―歴代最多の弓取り式を務め上げる **

** 弓取り式の最多出場記録を持つ個性派元幕下力士、聡ノ富士(48歳=伊勢ヶ浜部屋)が、夏場所をもって引退することが明らかになりました。 西序二段100枚目の聡ノ富士は、同99枚目の隈錦(21歳)とのラストバウトを終え、土俵に別れを告げました。「やり切ったので、もう満足です。気が済んでいます」と語りました。師匠である伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が7月に定年を迎えることから、夏場所を最後としました。 群馬県・前橋商高出身の聡ノ富士は、元横綱旭富士の安治川部屋(現伊勢ケ浜部屋)に入門し、1996年に初土俵を踏みました。弟弟子の横綱日馬富士が2012年に横綱に昇進すると、聡ノ富士は2013年初場所から弓取り式を担当しました。照ノ富士が横綱を務めるなどの期間を含め、継続的に務め、2024年名古屋場所中に、江戸の華が持っていた弓取り式の最多出場回数637回を更新しました。 「大変良い経験をさせていただきました。(弓取り式は)日の締めくくりであり、土俵を清めるものでした。動作一つ一つに意味があり、それを心に刻んで臨みました」。 これまで付け人を務めた関取には、安美錦、安壮富士、宝富士、日馬富士、照ノ富士の5人がいました。聡ノ富士は、弓取り式だけでなく、相撲教習所の指導員、横綱の綱締め、ちゃんこ作りなど多才にこなし、伊勢ケ浜部屋や角界を陰で支えてきたユニークな存在でした。居反りの名手としても知られています。 最高位は東幕下55枚目。29年間にもわたる相撲人生では数々の苦労がありました。左目網膜剥離の手術を2度受けた時には引退を考えたこともあったといいます。「相撲が好きで続けてきました。どうせなら師匠の定年までと思って続けた結果、2人の横綱も育てることができ、弓取りまで務めることができました」と語りました。 引退後は、東京都内で飲食業に携わる予定です。

【手記】父より息子大の里へ 故郷に「裏切り者」と言われ「つらかった」親子で泣いた4年前の夜

無傷の13連勝で2場所連続4度目の優勝を決め、横綱昇進を確実とした大関大の里(24=二所ノ関)の父・中村知幸さん(49=会社員)が、日刊スポーツに手記を寄せた。192センチの長身、幕内最重量191キロの大柄な体は、184センチ、125キロの父譲り。これまでの歩みを振り返りつつエールを送った。  ◇  ◇  ◇泰輝、優勝おめでとう。そして指導していただいた二所ノ関親方、応援していただいた皆さま、本当にありがとうございました。感謝の言葉は尽きません。もともと「ダイキ」という名前にすることだけは決めており、当初は「大輝」を考えておりましたが、画数の関係で「泰輝」と名付けました。小学生の時は、常に同級生よりも頭一つ、二つ体が大きかったです。中学に入学する前で身長は178センチ、体重は100キロに届かないぐらいでした。体も頑丈で、小学4年生の時に、普通乗用車にはねられたことがありました。乗っていた自転車はグシャグシャに壊れ、救急車で病院に運ばれました。後頭部には1センチぐらいの傷痕ができ、2、3針縫ったのですが、本人はピンピンしていて。何ごともなかったように、翌日にはまた出かけてしまう元気な子でした。もともと大相撲に進む考えはなく、高校や大学などアマチュアの指導者を目指していました。なので、日体大に進んだのは自然な流れ。中学生の時に「20歳の自分へ」と題して書いた手紙が印象的でした。20歳の自分に向けて「学生横綱になっていますか?」と、書いていました。1、2年生にして、大学生の頂点に立っていることを想像していたようです。そして有言実行。1年生で学生横綱になり、3、4年生で社会人も含めたアマチュア横綱。そして大相撲でも、横綱に推挙していただけるかもしれないと言われるようになりました。手紙を書いて10年後に、ここまでくるとは、私はもちろん、本人も想像できなかったと思います。私の思いも背負って、ここまで戦ってきてくれました。中学から新潟県糸魚川市に相撲留学。元横綱輪島さんをはじめ、相撲どころの石川県を離れることで、多くの人に「裏切り者」と言われました。もちろん、変わらずに接してくれる人もいましたが、私は若いころ、石川県代表として国体などに出場。それが息子を他県に留学させたことで、地元の津幡町少年相撲教室でも、それまでのように指導ができなくなりました。何とか見返そうとしてくれていたと知ったのが21年12月。大学3年でアマチュア横綱のタイトルを取った日の夜、両国の居酒屋に私ら親子と泰輝の相撲部の友人、3人で入った時です。その友人に説明する形で、泰輝が「オレたち親子は、本当につらかった」と、涙を流しながら話している姿に、私も涙が止まりませんでした。自分のせいで、私まで相撲と関わることができない状況にしてしまったと、責任を感じていたようでした。そんなこと何も気にしなくていいのに、いつも誰かの思いを背負う。優しい性格に育ったことが、何度優勝することよりも、横綱に昇進することよりも親としてはうれしいです。2場所連続優勝したことで、これまで以上に追われる立場になると思います。しかし、丈夫な体と、誰かのために戦う姿勢は変わらないと思うので、大丈夫と信じています。相撲をやっていた人間として、息子を尊敬し、誇りに思います。

元稀勢の里 師匠から愛弟子大の里へ「稽古は質より量」直系4代続く横綱の系譜 インタビュー

元横綱稀勢の里である二所ノ関親方(38)が、今場所前、特別インタビューに応じ、愛弟子の大の里に関する物語を語りました。もし正式に横綱昇進が決定すれば、歴代の若乃花、隆の里、そして自身に続き、四代続く直系の横綱系譜が完成します。出羽海一門に続く、常陸山、常ノ花、佐田の山、三重ノ海、武蔵丸の5代に続ける2例目の長さとなり、師匠がその舞台裏を詳しく語りました。【取材・構成=高田文太】  ◇    ◇ -大の里関と最初に会ったのはいつですか 二所ノ関親方(以下、親方):日体大に足を運んだ時です。当時「いい子がいるよ」と聞いて、大の里くんに会いに行きました。(大学)4年生だったと思います。 -日体大の稽古場で? 親方:そうですね。 -第一印象は? 親方:体つきが日本人には珍しく、身長が190センチを超え、体重が180キロでも軽快に動ける力士であるのは稀です。彼の相撲スタイルも独特で、誰にも似ていないので、そこに魅力を感じました。 -第一印象から「この子はすごい」と感じましたか 親方:体格や実績を見れば、その実力の高さが分かりました。 -4年生ということは、すでにアマチュア横綱? 親方:そうですね。 -直感的に「いずれは横綱に」と思いましたか 親方:大相撲に入れば面白いことになるだろうとは思いましたが、横綱とは思いませんでした。でも、将来どんな相撲を取るのか楽しみでした。彼はまだ成長途中だったので、どれだけ成長するか期待をしていました。 -初めて会ったときに「うちの部屋に来ないか」と誘ったのですか 親方:どちらかというと、彼からのアプローチが強かったです。 -大の里関は、自身の弱点をすぐに指摘してくれたと言っています。それは何ですか 親方:まあ、大相撲とアマチュアの違いもありますから。大相撲では自分よりも大きい人とも戦います。どういうふうに戦うか教え込みました。それが克服できれば今後は良いと思います。 -親方が引退する時、横綱を育てたいと言っていました。師匠もそのまた師匠も横綱。系譜をつなげたい思いでしたか 親方:部屋の目標としてありました。直系4代続く横綱というのは珍しいことですから。...

40歳の玉鷲が幕下優勝の大辻を祝福し、再び付け人を卒業 「早く対戦したい」と彼の成長に期待

40歳で最年長の関取、玉鷲(片男波部屋)が彼の付け人である東幕下3枚目の大辻(21歳、高田川部屋)の活躍を祝いました。大辻は3月の春場所で新十両に昇進し、玉鷲の付け人を卒業しましたが、5勝にとどまったため幕下に落ち、今回の場所で再度付け人を務めていました。しかし、今回の場所で7戦全勝を達成し、幕下優勝を決め、十両への復帰を確実にしました。取組後に風呂から上がった玉鷲は、報道陣に囲まれながら、「大辻関、ゼキ…」とつぶやき、付け人をいじる場面も見せました。「1場所で昇進することは重要。これから長く関取の地位を保つための良い経験だね」と語り、共に過ごした日々をしみじみと振り返りました。玉鷲が取組へ向けた準備をしている際、大辻は彼の練習相手となり、強烈な当たりを受け止めていたのです。二人は違う部屋に所属していますが、同じ一門の縁により関取と付け人の関係を築いたのです。玉鷲が高田川部屋に出稽古に行く際も、大辻と何度もぶつかり稽古を行い、胸を貸していました。今後は再び関取同士として競い合うことが期待されています。玉鷲は「自分が弱くなる前に、早く対戦したい」と冗談めかしながらも、大辻の成長と今後の活躍を期待していました。【佐々木一郎】

永田裕志が公開、58歳元「野人」の激変近影 引退から5年「痩せた」「見た目変わりすぎ」X騒然

新日本プロレスの永田裕志(56)が23日までに自身のX(旧ツイッター)を更新し、2020年に引退した元同僚である中西学さん(58)の最新の写真を公開しました。 永田は「遂に…盟友再会ゼァ!!」と書き込み、彼自身のYouTubeチャンネルのサムネイルをアップしました。中西さんとの共演動画の公開を告知しています。 写真の中西さんは現役時代と比較して全体的に痩せており、永田の投稿には次のようなコメントが寄せられています。「中西さん、随分痩せましたね。すぐには分かりませんでした。ゼアチャンネルで良く名前が出るのは中西さんだから、永田選手はとても好きな選手と思っています」「運動をやめると老けるって本当なんだな」「現役時代は中西さんのほうが大きかったのに…」「俺たちの中西学が小さくなっちゃってる」「マジ見た目変わりすぎて分からなかった最初」「判別に一瞬迷った~」。 中西さんは専修大学アマチュアレスリング部の出身で、92年のバルセロナオリンピックにフリースタイル100キロ級で出場しました。同年8月、新日本プロレスに入門。現役時代には、強靭な肉体から繰り出すアルゼンチン・バックブリーカーが必殺技として知られており、リング上での雄たけび「ホー!」も有名です。IWGPヘビー級王座を1回獲得した経歴を持ち、別名「野人」や「和製ヘラクレス」などで親しまれていました。 また、2002年2月1日には新日本プロレス札幌大会のリング上で起こった「猪木問答」が今も語り継がれています。当時の会長であるアントニオ猪木さんとリング上で対峙した中西さんが「オメエは怒ってるか!」と問われ、「怒ってますよ!」と返答。その後、「誰にだ!」とさらに猪木さんから問われ、「全日に行った武藤です!」と答えると、猪木さんが「そうか。オメエはそれでいいや」と返し、会場は大爆笑。その後この「猪木問答」の役は中西さんから永田に変わっていきました。

【とっておきメモ】大の里の特技はけん玉「相撲に生きる」振り返る父 横綱昇進で紅白出演ある?

記録的な横綱昇進が確実となりました。24歳の大の里(二所ノ関部屋所属)は、無敗の13連勝で2場所連続の4度目の優勝を達成しました。琴桜との大関対決を寄り切りで制しました。15年初場所の白鵬(現宮城野親方)以来、幕内では10年ぶりに13日目での優勝決定です。大関で2場所連続優勝して昇進しなかった前例はなく、28日の臨時理事会で正式に「第75代横綱」となる見込みです。日本出身では、師匠である稀勢の里(現二所ノ関親方)が2017年に昇進して以来、8年ぶりの快挙です。初土俵から13場所目での昇進は昭和以降最速で、無敗での昇進は1958年の年6場所制以降初となります。大関昇進時に述べた「唯一無二」の存在として、相撲史にその名を刻むでしょう。   ◇   ◇   ◇「特技は?」と尋ねられると、大の里は「けん玉」と即答します。アクロバティックな技はできませんが、基本的な技は得意で、父の中村知幸さんが回転を加えて行う"裏技"を「それだと簡単すぎる」と自主規制したそうです。「小学6年生の時にどこかで買ってきたようで、突然家に置いてあった」と父は言います。当時の大の里は、「けん玉は膝を使わないと上手にできない。これは相撲にも活かせるよ」と自信満々に話していました。中学から親元を離れて新潟に相撲留学する際も、「心配はなかった」と父は言い、けん玉もそれを後押しする一因だったそうです。こうした思い出が込められた特技のけん玉に、横綱に昇進すれば、大みそかのNHK紅白歌合戦でゲスト出演し、歌手の後方でけん玉を披露する日が来るかもしれません。【高田文太】