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引退48歳最古参力士 変化のきっかけは改名「桃智桜」 式秀親方が語る特別なエピソード

最古参力士である澤勇(48=式秀)は、夏場所の千秋楽でついに現役を終えました。所属する式秀部屋では、千秋楽翌日の26日に後援者を招いて打ち上げを行い、澤勇の断髪式も同時に執り行われました。 澤勇は1992年の名古屋場所で初土俵を踏みました。約33年間の力士人生の中で、彼の最高位は東序二段53枚目で、決して強豪力士というわけではありませんでした。 それでも、師匠である式秀親方(元幕内北桜)は、澤勇の人間性の成長に意義を見出しています。 式秀親方が先代から部屋を継いだのは2013年1月のことでした。澤勇は力士として20年目に入り、当時のしこ名は「式乃川」で、ちょうど35歳でした。 式秀親方は「彼は本当に明るいのに、ちょっと地味で内向的だった。だから、彼がもっと活発になれるようにと『桃智桜(ももちざくら)』にしこ名を変えました」と語っています。何よりも、彼がアイドルグループBerryz工房の嗣永桃子さん、通称「ももち」のファンだったことが、その理由です。 改名は2013年の秋場所からで、ユニークなしこ名として新聞記事になり、その切り抜きを常に財布に入れて持ち歩いていたといいます。 同年の九州場所が終わると、式秀親方に桃智桜から相談がありました。 「先に帰っていいですか」 Berryz工房の武道館ライブのチケットを手に入れたためでした。 式秀親方はその時を振り返り、「『みんなで片付けをするんだから、先に帰るなんてできないだろう』と言いました。でも、そんなお願いをするような力士ではなかったので、特別に認めて『(相撲も)しっかり頑張れよ』と伝えました」と話します。 桃智桜は武道館で他の観客から声をかけられ、ライブ後に関係者入り口で新聞記事を見せて嗣永桃子さんに会いたい旨を伝えたところ、関係者の助けで実現しました。 式秀親方は「三段目に上がったらももちに会えるかもしれないと彼に言ってたのに、先にチャンスを掴んだ(笑)。そんな大胆な行動ができるとは思わなかったけど、それがきっかけで自分の殻を破ったんだな」と驚いています。 引退後、澤勇は千葉県茂原市の介護施設で働き始めます。 断髪式に向けて、式秀親方からの贈る言葉があります。「相撲では強くなかったけど、引退後も失敗を恐れずに自分はできると信じて頑張れよ」と。人を育てて社会に送り出す、相撲部屋の意義を示すエピソードです。【佐々木一郎】

第75代横綱大の里誕生へ「アドバイスはほとんどない」稀勢の里親方との強い師弟の絆/連載1

大関大の里(24=二所ノ関)は、横綱豊昇龍(26=立浪)に惜しくも全勝優勝を阻まれた。豊昇龍との過去の対戦成績は、不戦勝を除いて1勝6敗。名古屋場所(7月13日初日、IGアリーナ)での新横綱としての雪辱を誓っている。25日の千秋楽には、日本相撲協会審判部の高田川部長(元関脇安芸乃島)が横綱昇進を諮る臨時理事会を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、承認を得た。26日の横綱審議委員会と28日の番付編成会議、臨時理事会を経て、正式に昇進が決まる日程となっている。日刊スポーツは「大の里 令和の大横綱へ」と題し、全3回の連載を行う。第1回目は師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)との二人三脚の道のりを紹介する。 ◇   ◇   ◇待望の日本出身横綱が誕生する。元横綱稀勢の里が2017年初場所後の昇進以来、8年ぶりのことである。師匠自身は幕内優勝が2度と限られたものの、モンゴル勢が全盛の時代に朝青龍や白鵬に果敢に挑み、絶大な人気を誇った存在だ。その師匠が果たせなかった全勝優勝も目前に迫り、28日には正式に「第75代横綱大の里」が誕生する。その成功の背後には、強い師弟の絆があった。今場所始まる5日前の6月6日、半年ぶりに三番稽古が行われた。結果は大の里の8勝2敗。それまでの師弟の三番稽古は、昨年九州場所前が大の里の7勝5敗、同秋場所前が10勝7敗であり、負け越すことはなかったものの互角に近い成績だった。しかし今回、師匠を初めて圧倒した。師匠は稽古後「もうバッチリだと思う。いい圧力だったし、隙もなかった。だいぶ上向きになったと思う。やっぱり(相撲を)やると1番分かる。大丈夫」と語り、珍しく手放しで賛辞を贈った。大の里は今月2日の稽古総見では不調で、全て三役以上の相手に挑み、16番で6勝10敗という結果を残した。特に横綱豊昇龍には1勝8敗と大きく負け越したが、横綱昇進に暗雲が立ち込める中、師匠が力を貸してくれた。師匠の“大関卒業試験”に合格し、大の里は「三番稽古や稽古でアドバイスはほとんどない、『感じろ』ということだと思う。少ない分、言葉に重みがある」と語った。師匠の師匠である元横綱隆の里の先代鳴戸親方(故人)も同様に細かなアドバイスをほとんどしないタイプだった。脈々と受け継がれる横綱の教えにより、二所ノ関親方は「一緒に稽古していても、こちらの意図を理解する能力が高い。理解力の高さが抜群」と明かしている。稽古を通じて課題を見つけ、必死に食らいつく弟子。この日の優勝インタビューで大の里は「親方のことを信じて、やっていけてよかった」と話し、その信頼関係は「令和の大横綱」を予感させる強さへとつながっている。【高田文太】

「桃智桜」澤勇が明かした夢は「聖地秋葉原でカレー屋」アイドル「ももち」から力得た大相撲人生

大相撲の最年長力士で序ノ口の澤勇(さわいさむ、48歳=式秀部屋所属)が、現役引退を宣言しました。彼と初めて会話を交わしたのは、彼が「桃智桜」に改名した2013年秋場所でした。相撲と同じくらい、いや、それ以上に目を輝かせて話していたのは、彼が熱心に応援しているアイドル歌手の話でした。Berryz工房の嗣永桃子の愛称である「ももち」をしこ名に取り入れたのです。当時36歳だった澤勇は、桃子が出演していたピザのCMに一目惚れし、式秀親方(元幕内北桜)に「ももちの名前をしこ名に入れたい」とお願いしました。その表情には、照れ笑いなどは一切なく、彼の真剣さと実直な性格が現れていました。嗣永本人にも改名が伝わり、彼女からもエールのメッセージが届きました。澤勇はファンレターだけでなく、ライブ後に直接彼女に会うこともできました。「皆さんの記事のおかげで、本当にうれしかったです。相撲もますます頑張れます」と語った時の彼の笑顔は印象的でした。この経験が、48歳まで力士として現役を続ける原動力になったのでしょう。2019年、久しぶりに両国国技館の支度部屋で澤勇に再会しました。しこ名は澤勇に戻していましたが、「ももちは芸能界を去ってしまいましたが、その分自分はまだまだ頑張ります」と話していました。彼の将来の夢は「アイドル好きが集まる聖地・秋葉原で、自分の大好物のカレー屋を開くこと」だそうです。ちゃんこ番の時に料理を勉強しているとも話していました。それから約6年。今年の初場所で澤勇は「ずっと勝ち越していないので、勝ち越すまで引退はしない」と力強さを見せていましたが…。今後は千葉県茂原市の介護施設で、調理関係の仕事に就く予定だそうです。そこで経験を積み重ね、将来は“ももちカレー”を開業するのでしょうか。その日が来ることを期待したいです。【13〜14年大相撲担当=鎌田直秀】

大の里の恩師「大谷翔平選手のようで、彼にとってはここが通過点」と、教え子の成長を見守る

大関・大の里(24歳・二所ノ関部屋)は、自身初の全勝優勝を惜しくも逃しました。結びの一番で横綱・豊昇龍(26歳・立浪部屋)と対戦し、得意の右を差して攻め立てたものの、土俵際で逆転の上手ひねりを決められ、今場所唯一の黒星となりました。新潟・能生中学校と海洋高校で合計6年間、大の里を指導した田海哲也総監督も現地で応援を送っていました。全勝優勝とはなりませんでしたが「自信を持って良い結果」とうなずいていました。教え子の成長を嬉しく思った様子で、13日目で優勝を決定させた際も、花道を歩く中で付き人たちに祝われても表情を引き締めたままでした。「頼もしい姿でした。大谷翔平選手のようで、彼にとってはここが通過点だと思っている」と述べました。そして、横綱昇進も確実視される状況に「彼は立場によって性格を形成されていく。国民から愛される横綱になることでしょう」と期待感を示していました。

「第75代横綱大の里」誕生へ 八角理事長が臨時理事会の招集を了承

日本相撲協会審判部の高田川部長(元関脇安芸乃島)は、大関の大の里(24歳、二所ノ関)の横綱昇進を議論するため、臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に求め、承認を得ました。臨時理事会が開催されることになれば、26日に横綱審議委員会が行われ、28日には番付編成会議と臨時理事会が開かれた後に、正式に「第75代横綱 大の里」が誕生することになります。これまで、大関が2場所連続で優勝しながら昇進を見送られた例はありません。

大の里「全勝優勝したかった」千秋楽での黒星も2場所連続優勝で横綱昇進が事実上決定/一問一答

```html 大関大の里(24=二所ノ関)は、自身初の全勝優勝を逃しました。千秋楽で横綱豊昇龍(26=立浪)と対戦し、得意の右を差し込んで寄り立てたものの、土俵際で逆転の上手ひねりを決められ、今場所唯一の敗北を喫しました。しかし、2場所連続の優勝を果たし、日本相撲協会の審判部がこの日午後に横綱昇進について協議。八角理事長(元横綱北勝海)に昇進を諮る臨時理事会の召集を要請しました。臨時理事会の開催が決まり、26日の横綱審議委員会、28日の番付編成会議と臨時理事会を経て、正式に「第75代横綱 大の里」が誕生する運びとなりました。大関で2場所連続優勝しながら昇進を見送られた例はこれまでありません。優勝インタビューの一問一答は以下の通りです。 -14勝1敗での優勝について、今の気持ちは?「最後に負けてしまいましたが、嬉しいです。」-13日目に優勝を決めた後の2日間、どのような気持ちで臨みましたか?「昨年9月場所で優勝した際、千秋楽で負け、それを反省して残り2日間をやり遂げようと思いました。」-全勝優勝をかけた今日の一番については?「負けてしまったので、また頑張ります。」-14勝1敗の好成績について?「全勝優勝を目指していましたが、それは叶いませんでした。また次、頑張りたいです。」-初めての横綱昇進がかかった場所でしたが?「場所前に少し体調を崩して調整不足もあり少し不安でしたが、親方を信じて進めたので良かったです。」-横綱昇進の重圧について?「ないと言ったら嘘になりますが、4月の春巡業で横綱への期待の言葉をたくさんいただき、場所前から耳が慣れていて、何も気にせず場所に臨めました。」-序盤5連勝について?「最初の5日間が重要だと考えていました。良い流れを作ってもらい、それが続きました。」-中盤以降の相撲内容について?「落ち着いて相撲が取れ、自分の良さをたくさん発揮することができて良かったです。」-場所前、故郷に巡業がありましたが、声援を感じましたか?「巡業ではたくさんの声援をいただきました。それを5月場所で力にできて良かったです。」 -横綱昇進に向けた臨時理事会の開催が決まりましたが?「水曜日に良い知らせが聞けることを今はただ待ちたいと思います。」-次の場所以降、どのような相撲を取っていきたいですか?「次の場所も重要になります。しっかり準備して、良い場所を過ごせるように頑張りたいです。」 ```

最古参力士の澤勇が引退 涙止まらず ももちファンの桃智桜を名乗った48歳、初土俵から33年

日本の伝統を体現する力士の中でも特に長いキャリアを持つ東序ノ口24枚目の澤勇(さわいさむ、48歳=式秀)が引退を発表しました。彼は兎富士との取り組みを終え、33年にわたる相撲人生に終止符を打ちました。1992年の名古屋場所でデビューした澤勇は、2022年の初場所からは最古参力士として活躍していました。 取組後、東の花道を降りると、弟弟子たちが待っていました。彼に花束を渡されると、澤勇の涙は止まりません。「最後なので、国技館の景色をしっかり目に焼き付け、勝敗に関係なく自分の相撲を取り切ろうと思いました」と彼は力強く語りました。最後は黒星でしたが、彼は全力を尽くしました。 昨年6月、師匠である式秀親方(元幕内北桜)と相談し、1年後に引退することを決意しました。「体力的にも、体調も思わしくなく、長く続けることは難しいと判断しました。椎間板ヘルニアや首の痛み、高血圧もありました」。48歳という年齢は彼の限界を示していました。 「ももち」として親しまれるアイドル歌手・嗣永桃子のファンであったことから、かつて「桃智桜」に改名して話題となりました。そして2018年の初場所からは「澤勇」として再出発。彼の父が急逝したことを機に、父の芸名「沢いさむ」を四股名として背負いました。 彼の身長は167.4センチ、体重103キロと相撲界では小柄であり、数々の苦戦を乗り越えてきました。最高位は2014年名古屋場所の東序二段53枚目。2017年からは勝ち越しがなく、引退することとなりました。序ノ口135場所は史上最多であり、彼は強い力士ではありませんでしたが、多くを学びました。 「師匠をはじめ、今まで出会った方々の支えのおかげでここまで来れました。相撲の基本だけでなく、人としての生き方や礼儀作法も教えていただきました」と彼は語りました。 千秋楽の翌日、26日に部屋で断髪式が行われます。その後は千葉県茂原市の介護施設で調理関係の仕事に就く予定です。 澤勇が引退したことで、最古参力士は1993年春場所初土俵の天一(てんいち、47歳=山響)に引き継がれます。 ◆澤勇智和(さわいさむ・ともかず)本名は澤原知和。1977年(昭和52年)2月7日に東京都で生まれる。元大潮の式秀部屋に15歳で入門し、1992年名古屋場所で初土俵を踏む。1995年初場所から本名の澤原から「式乃川」に改名。元北桜が部屋を継承後の2013年秋場所から「桃智桜」、2018年初場所から「澤勇」に改名。通算成績406勝860敗24休。

【ボクシング】重岡銀次朗、判定負け直後に担架で運ばれ救急搬送…リベンジ王座奪還にあと一歩届かず

ミニマム級での王座奪還を目指した重岡銀次朗(25)は、王者ペドロ・タドゥラン(28=フィリピン)に1-2で判定負け。試合後、彼は担架で運ばれ、病院に緊急搬送される状況となった。   ◇   ◇   ◇1対2で判定負けが決定した直後、重岡の意識は薄れ始めた。最終ラウンドまでの激しい攻防によるダメージが大きく、リングから担架で運ばれ救急搬送となった。所属ジムの町田トレーナーは「判定を聞いてから意識が遠のいた」と説明し、彼と一緒に病院へと向かった。昨年7月から約10ヵ月ぶりの直接リマッチ。王座を失った悔しさを晴らすべく挑んだリベンジマッチでは、序盤から軽快なフットワークと効果的なボディーブローで攻めた。この戦いについて渡辺会長は「判定はジャッジの見方だが、銀次朗は彼本来のボクシングを見せてくれた」と評価。試合プラン通りに進行し、タドゥランに「4度の左ボディーブローは効いた。6ラウンドで受けたときには、勝てないかもしれないと感じた」と言わせるほど追い込んだ。しかし、最後には王者の圧力に押し切られる形で判定負け。キャリア初の黒星をつけられた相手に再び敗れる結果となった。「すべてを出し尽くして、少しでも変わった自分を見せたい」。その言葉通りに戦い抜いたものの、王座奪還まであと一歩届かなかった。【永田淳】◆重岡銀次朗(しげおか・ぎんじろう)1999年(平成11年)10月18日、熊本市生まれ。幼稚園から小学6年まで空手を習い、小学4年からはボクシングを開始。小学5年からU-15全国大会で5連覇。熊本・開新高では16、17年の高校選抜で連覇、16年の国体で優勝するなど合計5冠を獲得。アマチュアでの戦績は56勝(17KO・RSC)1敗。2018年9月にプロデビューし、プロ4戦目でWBOアジア・パシフィック・ミニマム級王座を取得。2022年3月に日本同級王座、2023年4月にIBF世界同級暫定王座を獲得し、同年10月に正規王者として認められる。家族は両親と姉、兄、妹がいる。身長153センチの左ファイター。

亀田和毅3階級制覇ならず「無理と言われたフェザー級でボコボコにされたわけじゃ」現役続行意向

3階級制覇の夢は遠かった。フェザー級は挑戦者の同級1位亀田和毅(33=TMK)が、王者アンジェロ・レオ(31=米国)に判定0-2で惜敗した。消極的だった序盤の戦いを悔やんだ和毅は、今後も現役を続けて挑む意向を示した。ミニマム級は王座奪回を目指した重岡銀次朗(25)が王者ペドロ・タドゥラン(28=フィリピン)に判定1-2負け。試合後は担架で運ばれ、病院に救急搬送された。   ◇   ◇   ◇敗者とは思えないほどすがすがしい表情だった。会見場に現れた和毅は顔にダメージも見せず、「12Rやりきった結果」と言った。王者レオと互角に打ち合った。ただ、悔いは序盤4ラウンドだった。「(レオに)パワー、パンチがあるのか頭に入れすぎて前半、見てしまった部分があった。冷静にいこうとしたのがこの結果」。4回までジャッジ2人のフルマークが、最後に響いた。中盤以降は積極的に前へ出て、ポイントもとったが序盤の“失点”は挽回できなかった。19年7月以来、6年ぶりの世界戦だった。兄の興毅氏(38)がプロモーターとしてマッチメークに奔走。今回、両者のファイトマネーは推定100万ドル(約1億5000万円)と大勝負を打った。世界挑戦がなかなか決まらない中、和毅は「いつできるのか不安はずっとあった。モチベーションも上がらないし、あせりもあった」と明かす。それを兄貴が解消してくれた。応えたかったが、フェザー級、3階級制覇の壁はやはり分厚かった。「内容は悪くない。それでも勝てなかった。(慎重にいった)1~4Rが世界の壁なんだと思う」と言った。「亀田家最終章」と銘打たれた試合だが、和毅はあきらめない。「無理と言われたフェザー級でもボコボコにされたわけじゃない。バチバチにされたら無理やなとなるけどそうじゃないんで」と現役を続ける意向を示した。高額なファイトマネーでマッチメークも難しい階級だが「兄貴に任している」。惜敗から学び、フェザー級王者を目指す。【実藤健一】

【ボクシング】重岡銀次朗、2連敗で救急搬送 12ラウンド戦った末に意識を失ったか 目を閉じて担架で運ばれる

IBF世界ミニマム級で第4位の重岡銀次朗(25歳、ワタナベジム)が王座への復帰を果たせなかった。同級王者のペドロ・タドゥラン(28歳、フィリピン)に対し、ダイレクトリマッチで挑戦したが、1-2で判定負けを喫した。昨年7月に初の黒星を与えられたタドゥランにリベンジを果たすことができず、連敗を喫した。試合はフルラウンド戦われ、判定が発表されたとき、重岡はコーナーに戻り椅子に座ると同時に目を閉じ、意識を失ったかのように肩の力が抜けた。セコンドにいた前WBC世界同級王者で兄の優大が声をかけるも反応がなく、担架で運ばれることになった。その後、運ばれている途中に優大らセコンドの声に反応し、右拳で顔を拭うような動作を見せたため、すぐに意識は戻った様子だった。しかし、試合後の記者会見は行わず、そのまま重岡は病院に搬送された。昨年7月の初対戦時には、2回に右眼窩底骨折を負った上でTKO負けを喫し、苦しい展開が続いた。前回もリングから担架で運ばれ、病院に行かなければならないほどのダメージを受けていた。