Battle

辰吉寿以輝、半年ぶりの再起戦で判定勝ち「ホッとしている」中嶋一輝へのリベンジを目指しベルト奪取へ

日本スーパーバンタム級13位の辰吉寿以輝(28=大阪帝拳)が、半年ぶりの試合で見事に勝利を収めました。今回はフィリピンの同級12位アリエル・アンティマロ(22)と対戦し、3-0(76-75、77-74、77-74)の判定勝ち。最終8回に左フックでダウンを奪いました。 「勝つことができてほっとしています。来年はまたタイトルに絡めるように頑張ります」と語っています。 試合序盤の1回と2回では、相手の左ストレートに捕まりました。4回にはワイルドな右アッパーも受けました。 しかし後半にかけては、相手の左ストレートをかわしつつ、右ストレートやボディー攻撃で反撃しました。6回ではショートの右ストレートを当て、相手を後退させました。最終8回では左フックがヒットし、バランスを崩した相手がダウンしました。 試合の後半には巻き返し、最後のダウンが決め手となり、見事に3-0での判定勝ちとなりました。 辰吉選手自身は「勝てたことだけが収穫です。ダウンの手応えはあまり感じられませんでした。相手の手が予想以上に長く、フィリピン特有のダッシュ力もあって、効いたパンチもいくつかありました」と振り返っています。 昨年12月には東洋太平洋同級王者の中嶋一輝選手のベルトに挑戦しましたが、左フックを受けて2回TKO負け。プロ初黒星となりました。試合後には意識を失い、担架で運ばれました。 ベッドで目を覚ますと、心配そうな妻、優さんの顔が見えました。辰吉選手は「皆が落ち込んでいました」と、周囲の雰囲気から敗戦を悟りました。 その場で「またやるからな」と復帰への意欲を表明しましたが、優さんには「今は言わないで。頭に入らないから」とたしなめられました。それでもすぐに練習を再開。父の丈一郎さんも「そら、そうやろ」と背中を押してくれました。 今後は中嶋選手へのリベンジを視野に入れ、再びベルトを目指します。「どんなに勝ちを重ねても、『中嶋には負けたじゃないか』と言われてしまうのは悔しい」という気持ちがその理由です。 父の丈一郎さんも過去に、ビクトル・ラバナレス、ダニエル・サラゴサ(ともにメキシコ)、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)と対戦し、勝ったことも負けたこともある相手に執念で再戦を挑みました。 今回の勝利で、辰吉選手の戦績は17勝(10KO)1敗1分けとなりました。「左対策はあまり出せなかった。再起戦はもっと強い相手と戦いたいと思っていた。もう少しうまく戦えたと思う」と反省を述べました。 「諦めの悪い親子ですから」と語る辰吉選手が、半年ぶりの勝利を手にし、再び歩み出しました。【益田一弘】

元白鵬の宮城野親方、長嶋茂雄さんの訃報にジャイアンツファンとして悲しむ

大相撲で歴代最多45度の優勝を誇り、10月9日付で日本相撲協会を退職することが決まった元横綱白鵬の宮城野親方(40)は、尊敬していた長嶋茂雄さんの死去を悼みました。親方は、モンゴル相撲の横綱で、レスリングでモンゴル初のオリンピックメダリストとなった父ムンフバトさん(故人)の記念銅像除幕式に参加するため、出身地のモンゴルに滞在していました。7日に帰国し、その滞在中に長嶋さんの訃報を耳にしました。その際、「本当に良く相撲を見に来てくれましたし、私もジャイアンツファンでした」と語り、悲しそうな表情を浮かべました。宮城野親方自身、巨人のユニホームを着て始球式を務めた経験があります。父がモンゴルの国民的英雄だったこともあり、日本の国民的英雄である長嶋さんに対して常に深い敬意を示してきました。

元横綱白鵬の宮城野親方が故郷モンゴルから帰国「9日にすべて話します」退職届受理日に会見予定

大相撲で歴代最多45回の優勝を達成し、日本相撲協会からの退職が決定した元横綱白鵬、現宮城野親方(40歳)が6日、成田空港に帰国しました。退職届が受理される9日には会見が予定されています。集まった報道陣に対し、宮城野親方は「9日の会見で全てお話ししますので、よろしくお願いします」と言い、質問を制しました。しかし、3日に89歳で肺炎により逝去された巨人軍の終身名誉監督、長嶋茂雄さんの話題になると、「本当に相撲をよく観に来ていただきました。私もジャイアンツファンでしたから」と哀悼の意を表しました。宮城野親方は夏場所後に故郷であるモンゴルに帰省し、レスリングのオリンピック銀メダリストである故ムンフバト氏の記念銅像除幕式などに参加していました。帰省中の2日、日本相撲協会の臨時理事会が開かれ、退職届の受理が決まり、退職が正式に決まったことが報告されました。昨年2月、旧宮城野部屋での師匠としての指導中に、元前頭北青鵬による暴力問題が発覚しました。監督責任を追及され、2階級降格などの処分を受け、部屋は閉鎖されました。昨年4月に伊勢ケ浜部屋に移籍しましたが、部屋再興の見通しが立たず、退職を決意していました。

那須川天心、キャリアで初の全裸計量クリア「公共の場で僕のスッポンは無事」8日に世界前哨戦

プロボクシングWBC世界バンタム級1位の那須川天心(26=帝拳ジム)が、キャリア初の全裸で計量をクリアしました。8日に東京・有明コロシアムで行われるWBA世界同級6位ビクトル・サンティリャン(29=ドミニカ共和国)とのノンタイトル10回戦を前に、7日に東京・後楽園ホールでの前日計量に臨みました。サンティリャンが53.5キロでパスする一方、那須川は53.4キロでクリア。予想外の「ハプニング」でした。最初はお守りを首から下げたまま体重計に乗ったらオーバー。お守りを外してもリミットに達せず、深呼吸しながら再試行もクリアできず。最後にはパンツを脱ぎ、赤いタオルで隠されながら全裸で事なきを得ました。那須川は苦笑しつつ「いつもギリギリ狙いなんですが、予備計量で200グラム不足していたので、200(グラム)飲んだら『・5』に達しないかと。でも、無理でしたので脱ぎました」と振り返っています。格闘技時代も含め、初めての全裸計量パス。「すぐに(パンツを)脱ごうとした時、(日本ボクシングコミッションの)インスペクターの(ロバート)山本さんが止めてくれて。赤い闘魂タオルで隠してもらいました。公共の場に僕のスッポンをさらさずに済みました」とメディアを和ませました。 ボクシング転向から2年目、7戦目の世界前哨戦でのハプニングでも、那須川は冷静でした。「いろんな壁があると思いました。でも全然恥ずかしくありません。いつかは全国の前で(全裸を)さらしてやろうくらいに思っています」と笑顔を見せます。昨年10月、ジェルウィン・アシロ(フィリピン)とのWBOアジア・パシフィック同級王座決定戦以来、2度目のリミットですが「非常に順調です。初めは不安要素があっても、準備を重ねる中で徐々に明確になり、試行錯誤も楽しんでいます。しっかりリカバリーして試合に挑むだけ。エネルギーは十分、まだまだ落とせます」とリラックスした表情を見せました。サンティリャンとの世界ランカー対決は世界挑戦に向けた最後のテストマッチです。那須川は「本当にやるべきことをやってきました。それを出すだけです。チケットも完売していますし、那須川天心の次を見せられる試合にしたいので注目してください」と語り、大事な一戦に向けて集中していました。

元前頭藤ノ川で東海学園大教授の服部祐兒さん死去 アマ最強と言われ角界入りもけがで26歳で引退

大相撲の元前頭藤ノ川で東海学園大教授の服部祐兒(はっとり・ゆうじ)さんが6日午前5時43分、肝臓がんのため死去したことが分かった。64歳だった。親しい関係者によると「最近は自宅で過ごしていたのですが、容体が急変した」という。23年夏に背中の痛みを訴え、脊髄の手術を受けたが回復せず、その後、盲腸がんであることが検査により判明。同11月に再び手術を受け、抗がん剤治療なども続けていたが、肝臓にも転移。大阪や愛知で治療などを行っていた。昨年9月まではオンラインなどで東海学園大の会議などに参加していたものの、今年5月以降は自宅で完全静養していた。服部さんは1960年生まれ、愛知・大府市出身。東海高から同志社大へと進学した。高校時代に全国総体(インターハイ)制覇、大学時代は学生横綱、アマ横綱を獲得してアマ最強と言われ、83年に伊勢ノ海部屋に入門。順調に85年に幕内に昇進したが、けがの影響で87年に26歳で引退。最高位は前頭3枚目だった。大相撲の世界には残らずアマ相撲の指導者を目指し、筑波大の大学院で体育学修士の学位を得た。東海学園大相撲部の監督などを経て、現在は同大経営学部経営学科の教授を務めていた。日本相撲連盟の評議員としても相撲普及に尽力していた。

金髪から黒髪に変えた那須川天心、迫る世界戦に向けた「黒く塗りつぶせ」

プロボクシングWBC世界バンタム級1位の那須川天心(26歳、帝拳)は、6日に東京・後楽園ホールで行われた世界前哨戦に向けた公式会見に参加しました。ノンタイトル10回戦で対戦するWBA世界同級6位のビクトル・サンティリャン(29歳、ドミニカ共和国)と初めて顔を合わせ、会見後には並んで写真撮影にも応じました。会見の前日に金髪から黒髪に変えて登場した那須川は、「金髪がトレードマークだというのは、周りが勝手に思っていることです。今回は黒にしてみました」と笑顔を見せました。サンティリャン戦でのコスチュームが黒を基調にしていることから、「黒く染めました。これは矢沢永吉さんの曲『黒く塗りつぶせ』のように黒くしたというわけです。それに、若返ったと言われましたね」と語り、髪色を変えた理由を明かしました。また、右側頭部には漢字の「天」をモチーフにしたロゴをバリアートしました。那須川は、「これは狙いですか?少し黒なので、自分のチームTENSHINのグッズの漢字の『天』と合わせています。コスチュームもグッズと連動することを意識しました。みんなの思いを乗せたそり込みです」と強調しました。

宮城野親方が「白鵬翔 40歳を契機とした未来を応援する会」開催へ 退職願は9日付受理の予定

大相撲で歴代最多45回の優勝を達成した元横綱白鵬、現在の宮城野親方(40歳)が、14日に東京のホテルで「白鵬翔 40歳を契機とした未来を応援する会」を開催することが明らかになりました。この情報は、4日に招待状を受け取った関係者によって明かされました。招待状には、「モンゴルでは40歳は特別な誕生日とされ、人生の重要な節目にあたります」と記されていました。そして、「これまで応援いただいた皆さまに感謝を伝え、今後さらに一層のご指導と鞭撻を賜る会」としてその趣旨が説明されていました。日本相撲協会に対する退職願は9日付で受理される予定です。その9日に記者会見が予定されており、その場で今後の計画が発表される見込みです。今回判明した支援者を招いての会合は、その発表に続いて開催されることになります。白鵬の誕生日は3月11日ですが、40歳の誕生日から3カ月後のこの会合は、彼が早い段階から退職の意思を固め、第2の人生に向けた本気度を示していることをうかがわせます。

宮城野親方の退職への見解―元大関栃ノ心が語る「クビのような状況」について、協会への疑念

元大関栃ノ心ことレバニ・ゴルガゼ氏が4日に自身のX(旧ツイッター)を更新し、伝説的な元横綱白鵬の宮城野親方が日本相撲協会を退職した件について自身の考えを表明しました。彼はツーショット写真と共に「信じられない、心が痛い」とコメントし、動画メッセージを添えました。約6分のメッセージの中で、「文章で伝えるよりも、直接自分の気持ちを皆さんに伝えたいと思っています。今話すのは宮城野親方と白鵬横綱の件です」と述べました。動画の中で彼は、「皆さんはどう思いますか?45回もの優勝を誇る人物で、人間としても非常に優れている人です。彼は20年間、相撲界の象徴的存在でした。それがこのように冷たくされるとは思いもしませんでした」と失望を表しました。さらに、宮城野部屋の再興を期待していた彼は、「自分の部屋に戻されるのかなと思っていたのに、まるでクビになったような状況です。彼自身も辞めると発言したそうですが、他の選択肢がなく、辞めるしかなかったのです。それがとても悔しい」と述べました。また、「これからも宮城野親方や若い親方たちが協力して日本相撲協会を盛り上げると思っていたのに、なぜ白鵬関だけが冷遇されたのか不思議です。宮城野部屋で起きた問題と同じような問題は他の部屋でも起こっていますが、それらは隠されたり、うまく処理されたりしています。どうして宮城野親方だけがこんなに厳しくされるのか、不思議です」と疑問を投げかけました。そして日本相撲協会に対して「協会というものは何のためにあるのでしょうか。若い人々や力士、親方たちを守るためにあるべきだと思っていますが、なぜ宮城野親方を守れなかったのか、皆さんはどう思いますか?おかしいと思いませんか?あんな相撲に貢献してきた人がクビにされたのですから信じられないです」と納得できない様子で語っていました。

【ボクシング】田中恒成が失明危機で電撃引退 4階級王者「悔しさはあるけど…」笑顔で衝撃告白

日本人選手として最速で、5戦目で世界王者に輝いた4階級制覇の田中恒成(29歳、畑中ジム所属)が突然の引退を発表しました。昨年10月にはプメレレ・カフ(南アフリカ)に判定1-2で敗れ、WBO世界スーパーフライ級の王座を失った後、目の疾病のため無念にも現役から退く決断をしました。ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)と並んで世界最速12戦で3階級制覇を果たした田中ですが、失明の危機には勝てませんでした。    ◇   ◇   ◇ 田中は日本選手の最速記録を成し遂げてきたものの、潔く引退を決めました。その直接的な原因は目の問題でした。 近年は網膜剥離を抱えながら戦っており、「怪我が全て」と明かしました。昨年10月の試合後に両目を手術しましたが、失明のリスクが残ることから再起不能と判断しました。「達成できなかった目標もあり悔しさもあるけど、あの時こうしておけば良かったという後悔は全くない」と笑みを浮かべながら語りました。 彼の告白は衝撃的でした。5戦目で世界王者に輝き、12戦目で世界最速の3階級制覇。同じ日本人の井岡一翔(志成ジム)や井上尚弥(大橋ジム)に次ぐ3人目の4階級制覇を達成しましたが、見えない未来との闘いに苦しんでいました。 元WBC世界スーパーバンタム級王者、畑中清詞会長(58歳)によれば「彼は生まれつき目が弱かったのではないか」と明かします。過去の試合全般にわたって目の問題を抱えており、特に20年の元旦に井岡戦で初黒星を喫した後、「4、5回手術をしたかもしれない。白内障が始まり、その後剥離の症状が現れた」と語りました。あらゆる可能性を探ったものの、最終的には「(試合を)継続させることはできなかった」と決断しました。 今後の活動は未定です。「相談には乗っていますが、本人も迷っています」と畑中会長は述べ、田中は「ボクシングに関わり続けたい」と言いました。日常生活においては目の問題はないといいます。華々しい登場を果たした記録保持者が志半ばにてリングを去ります。 ◆田中恒成(たなか・こうせい)1995年(平成7年)6月15日、岐阜県多治見市生まれ。小学5年からボクシングジムに通い始め、中京高校では国体2連覇など4冠を達成。在学中に畑中ジムに所属し、2013年11月にプロデビュー。中京大学に進学し、2014年10月には4戦目で日本最速の東洋太平洋ミニマム級王者。5戦目でWBO世界同級王座を獲得。8戦目の2016年12月にWBO世界ライトフライ級、12戦目の2018年9月には同フライ級王座を獲得し、最速で3階級制覇。2024年2月にWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し4階級制覇。身長164センチの右ボクサーファイターで、戦績は20勝(11KO)2敗。兄の亮明は東京オリンピックフライ級の銅メダリスト。

「重岡銀次朗選手の回復に向けた前進」

元IBF世界ミニマム級王者である重岡銀次朗選手(25歳、ワタナベ所属)が5月24日の試合後に急性硬膜下血腫のため緊急の開頭手術を受けたことに関して、彼の兄で元WBC世界同級王者の重岡優大さん(28歳、ワタナベ所属)が3日、インスタグラムのストーリーズで弟の容体について報告しました。優大さんは、家族が励ましのメッセージを書き込んだ千羽鶴の写真とともに、「今日から銀次朗は麻酔を徐々に減らしていて、少し目を開けている状態です。声をかけると口を動かしたり、あくびをしたりすることがあり、意識が少しずつ戻ってきているような感じでした。瞬きもしていました。これからさらに意識がはっきりしてくるのではないかと思います。」と述べました。 現在も集中治療室(ICU)で経過観察が続いている銀次朗選手について、「近いうちにICUから一般病棟に移ることができそうです。少し安心しました。」と報告しました。また、銀次朗選手の友人たちに対して、「銀に音声メッセージをもっと聞かせたいと思っています。すでに多くの友人が送ってくれて感謝しています。短くてもいいので、ぜひまた送ってください。毎日、銀に聞かせます。多くの方が銀を心配してくれて、みんなに愛されているのを感じ、兄として誇りに思います。引き続き銀次朗の応援をよろしくお願いします。」とメッセージを送っています。