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【大橋秀行】佐々木尽、初回に倒れるも頑張りを見せる ウェルター級はやはり“世界の壁”

WBO世界ウェルター級2位の佐々木尽(23=八王子中屋)は、大きな期待を背負って初の世界タイトルに挑んだが、残念ながら結果は失神KO負け。この階級ではまだ日本人の世界王者が誕生していないため、佐々木選手にとっても日本ボクシング界にとっても大きな試練となった。試合は同級王者ブライアン・ノーマン(24=米国)に挑み、計3度ダウンを喫した。5回0分46秒、左フックの一撃で敗退し、試合後は病院へ直行することになった。    ◇   ◇   ◇ 佐々木選手には3回までに反撃のチャンスがあると思われていたが、1回2度のダウンが痛手となった。特に試合序盤での左フックが側頭部に命中したことでペースを乱され、そのダメージが試合全体に影響を及ぼした。それでも2回からは持ち前の気迫で立ち向かい、観客を沸かせる場面を作った。 ノーマン選手のパンチは的確で、ディフェンスも巧みで、佐々木選手を翻弄した。残念ながら、これが日本人がまだ到達できていないウェルター級という“世界の壁”であることを改めて実感させられる試合となった。24歳という若さながらノーマン選手の強さと雰囲気は特別で、今後の成長が楽しみだ。 佐々木選手も見事な場面を作り、未来の可能性を感じさせてくれた。決して手が届かない差ではない。彼の挑戦は、日本人にもウェルター級で十分戦えるという希望を与えてくれた。これを良い経験にし、さらなる成長を期待したいと思う。(元WBA、WBCミニマム級王者)

【ボクシング】佐々木尽、無敗王者に大の字失神KO負け 日本人未到の激戦階級、歴史変えられず

世界初挑戦のWBO世界ウエルター級2位佐々木尽(23=八王子中屋)が失神KOで敗れ、王座獲得を逃した。同級王者ブライアン・ノーマン(24=米国)に挑戦したが、計3度のダウンを許して5回0分46秒、KO負けを喫した。同回開始すぐに左フックを浴び、キャンバスに大の字で倒れ込んで敗退。担架で運ばれると病院に救急搬送された。過去に日本人世界王者ゼロという同級の世界挑戦となったが、佐々木は日本ボクシング界の歴史を変えることはできなかった。   ◇   ◇   ◇初回から世界との差をみせつけられた。佐々木が打ち終わりを狙われ、左フックを浴びて計2度ダウンを許した。武器の左フックを狙ったが、空振りが目立った。すると5回、左ボディージャブを打った直後、右のガードが下がったところに強烈な左フックを浴びてキャンバスに大の字で倒れ込んだ。カウント途中に陣営の中屋広隆チーフトレーナー(71)からタオル投入による棄権申し出があってKO負けとなった。脳振とうを起こした佐々木は、そのまま担架で控室まで運ばれた。病院に救急搬送され、精密検査を受けた。所属ジムの中屋一生会長(46)によると、脳の出血などはなかったものの、後頭部をキャンバスに強打したため、試合時の記憶を失っているという。また20日に念のため再検査する予定となっている。欧米男性の平均体格とされる同級は名ボクサーが多く誕生する人気階級。ミニマム級からミドル級の13階級で唯一、日本人の世界王者がゼロだった難攻不落の「激戦区」だ。今回は約36年ぶりとなる国内開催の同級世界戦、日本人の挑戦も約16年ぶりだった。日本勢は挑戦することも難しいとされ、国内で開催された世界戦もわずか2回。今回も日本5人目というチャンスだった。世界2位まで到達し「何かを起こしそうな」ムードがあった佐々木でも世界との壁は厚く、高かった。高校から本格的にボクシングを開始した佐々木は定時制昼間部に進学し、練習時間を確保。期待の逸材としてジム側もスポンサーを探し、高校1年時にアルバイトした以外はジムワークに専念できる環境を整えてもらった。18年8月のプロデビュー後から頭角を現し、アジア2冠王者、世界2位まで到達した。まだ23歳と若い。日本人初の世界同級王者になるという夢は持ち越しとなった。【藤中栄二】【ラウンドVTR】1回 衝撃のスタート。開始40秒、王者ノーマンの左フックで佐々木がダウン。コーナー、ロープに追い詰められ、2分すぎには再び左フックで2度目のダウン。佐々木は残り1分で左ボディー、左フックの連打で反撃した。ニッカン採点はノーマンの10-82回 王者ノーマンが開始50秒に左フックなどで攻勢。1分半に佐々木はワンツー。その後も距離をつめて打ち合うも、有効打はノーマンが勝る。ニッカン採点はノーマン10-93回 1分すぎからノーマンが左右の連打など猛攻。佐々木はフラフラの状態も、大声をあげた。気合で懸命に左フックなどを出す。ノーマンは左右の強打を決めるが、佐々木は何とか耐えた。ニッカン採点はノーマン10-94回 開始から佐々木は前にでる。得意の左フックを狙うが、有効打は奪えない。ノーマンは冷静に交わしながら自分の距離に。佐々木は終盤接近戦に持ち込み、懸命にパンチを放った。手数は佐々木が上回った。ニッカン採点は佐々木10-95回 佐々木は積極的に前に出る。しかし、40秒、ノーマンは強烈な左フックを顔面にたたきこむ。佐々木は大の字に倒れる。そのまま動けなくなった。ノーマンが5回KO勝利◆佐々木尽(ささき・じん)2001年(平13)7月28日、東京・八王子市生まれ。小学5年から4年間は柔道を学び、都大会2位に。中学1年から並行してボクシングも開始。ボクシングの練習時間を確保するため、定時制の八王子拓真高に進み、18年8月にプロデビュー。20年12月、日本ユース・スーパーライト級王座獲得。21年10月、日本、WBOアジア・パシフィック同級王座決定戦で平岡アンディ(大橋)戦に敗れてプロ初黒星。ウエルター級に転向し、23年1月、WBOアジア・パシフィック王座を獲得。24年5月、東洋太平洋王座も奪取。身長174センチの右ボクサーファイター。血液型はAB。【ライブ詳細】佐々木尽5回46秒KO負け 3度のダウン喫し世界ウエルター級日本人初戴冠ならず

【ボクシング】大の字失神KO負けの佐々木尽が病院へ緊急搬送 試合後の会見中止

WBO世界ウエルター級2位の佐々木尽(八王子中屋)が日本人初の世界同級王座獲得に失敗した。世界初挑戦で同級王者ブライアン・ノーマン(24=米国)に挑戦したが、計3度のダウンを許して5回0分46秒、KO負け。1回に左フックで2度ダウンを許すと5回には左ボディージャブを放って右ガードが外れていた瞬間を狙われ、強烈な左フックを浴びて大の字で倒れ込んだ。ダメージが深いため、担架で運ばれた。関係者によると「佐々木は意識はあるが、念のため緊急搬送されました」と説明。予定されていた試合後の会見は中止となり、病院に救急搬送されていた。【ライブ詳細】佐々木尽、大の字5回46秒KO負け 3度のダウン喫し世界ウエルター級日本人初戴冠ならず

日本人初のウェルター級世界王者誕生なるか 佐々木尽がブライアン・ノーマンに挑む/試合のライブ速報

プロボクシングWBO世界ウェルター級で2位にランクされている佐々木尽選手(23歳、八王子中屋所属)は、同級の世界王者であるブライアン・ノーマン選手(24歳、アメリカ出身)に挑戦します。 試合のライブ速報をニッカンコムでお届けします。 笑顔でポーズを決めるラウンドガールの須藤セリナ(左)と水瀬琴音(撮影・河田真司) 関連記事 佐々木尽    ブライアン・ノーマン ◆試合経過 1回 佐々木尽とノーマンJr・WBOウェルター級比較表 【イラスト】佐々木尽とノーマンJr・WBOウェルター級比較表 階級別日本人王者数 【イラスト】階級別日本人王者数 日本人のウェルター級世界挑戦 【イラスト】日本人のウェルター級世界挑戦 日本男子の世界王者 【イラスト】日本男子の世界王者

元大関の増位山が死去 76歳 肝不全 歌手としても「そんな夕子にほれました」ミリオンヒット

大相撲の元大関2代目増位山の沢田昇(さわだ・のぼる)さんが、15日午後2時38分に肝不全で死去していた。沢田さんが所属する株式会社ゴールデンミュージックプロモーションが17日、発表した。東京都出身、76歳だった。2022年12月に体調不良を訴え、敗血症と診断された。以降は復帰に向けて療養とリハビリを続けていた。葬儀は家族葬で行い、遺族の意向により香典、供花などは辞退する。お別れの会は調整中という。沢田さんは元大関増位山の長男として生まれ、18歳の時に父が師匠だった三保ケ関部屋に入門。同部屋の北の湖とともに1967年初場所初土俵。69年名古屋場所新十両、70年春場所新入幕、73年初場所新三役と出世し、80年初場所後に大関に昇進した。史上初の親子大関として話題になった。現役時代から、歌手としても活躍。25歳だった74年にデビューし、同年発売した3枚目のシングル「そんな夕子にほれました」は120万枚、77年には「そんな女のひとりごと」が130万枚を売り上げるなど、ミリオンヒットを連発した。81年春場所途中で現役を引退し、年寄「小野川」として三保ケ関部屋の部屋付き親方となった。父が定年退職を迎えた後は、年寄「三保ケ関」として部屋を継承。小結浜ノ嶋、幕内肥後ノ海らを育て、のちに大関となる把瑠都をスカウトした。65歳となった2013年九州場所限りで日本相撲協会を退職。退職後は、歌手「増位山太志郎」として活動を始め、同年12月に新曲を披露した際には「無事に大相撲界を定年して、これからは歌で生きていきます。歌があること、次にやりたいことがある僕は本当に幸せ。相撲では大関止まりでしたが、歌謡界では横綱を目指します」と話していた。2015年には東京・墨田区の旧三保ケ関部屋に「ちゃんこ増位山」(現在は閉店)をオープンし、歌声を披露することもあった。

大相撲Vパレードカー使用に“待った?”豊田会長は引き取り示唆、トヨタは「協会と協議します」

大相撲の幕内優勝力士が千秋楽のパレードで使用するトヨタのセンチュリーSUVオープンカーの継続使用について、停止状態となるのか? 12日に愛知県豊田市内で開かれたトヨタの株主総会で、豊田章男会長(69)が株主からの質問に答えました。その中で、日本相撲協会を退職した白鵬翔さん(40)への支援について問われ、センチュリーの提供を一度引き取る可能性を示唆しました。16日までに日刊スポーツの取材を受けたトヨタ広報部は、「センチュリーの提供については今後、日本相撲協会と協議してまいります」と述べ、現時点での継続可否については言及を避けました。現在のセンチュリーは昨年1月の初場所から使用されています。当時の宮城野親方だった白鵬さんと豊田会長の親密な関係から、ベンツやアウディといった海外メーカーの車両が日本製に切り替わりました。「世界に1台だけ」(豊田会長)という特注車で、価格は2,500万円以上します。以前は海外メーカーの黒色でしたが、相撲界と国産メーカーの連携により、白星をイメージさせる白色に変更されました。この車両は、二人の深い関係性が実現した唯一無二のVパレードカーでした。協会を退職した白鵬さんは「世界相撲グランドスラム」構想を示し、トヨタ率いる豊田会長がスポンサー候補として挙がっています。また、14日付でアマチュア相撲を統括する日本相撲連盟会長にも就任しました。今後も協力して活動を進めていく流れが見られます。5月の夏場所でも2場所連続4度目の優勝で新横綱の地位を手にした大の里がこの車に同乗しました。トヨタの本拠地である7月の名古屋場所で優勝力士が乗る車はどうなるのでしょうか。

元横綱白鵬、驚きの告白―自らの祖先が15世紀モンゴル帝国の皇帝ダヤン・ハーンであった

大相撲で歴代最多45回の優勝を誇り、このたび日本相撲協会を9日付で退職した元横綱、白鵬翔さん(40)が、「白鵬ダヤン相撲&スポーツ株式会社」を設立し、社長として新たな一歩を踏み出すことが決定しました。この事業計画は、14日に都内のホテルで開催された「第69代横綱白鵬を応援する集い ~40歳を迎えて、新たな未来を創る~」で正式に発表されました。社名に含まれる「ダヤン」という言葉に関して、パーティー後に白鵬さんを直撃しました。「ダヤンとは何を意味するのでしょう?」という質問に対し、白鵬さんは「モンゴル語で『世界』という意味です。なので『白鵬世界相撲&スポーツ』ということになります」とにこやかに答えました。 さらに、15世紀にモンゴル帝国を再統一したダヤン・ハーンに由来するという意味も含まれていると明かしましたが、ここで驚きの告白が。「そのダヤン・ハーンは私の祖先です」と伝えたのです。白鵬さんの父親である故ムンフバトさんが、モンゴル初の五輪メダリストとして国民的英雄であることは広く知られています。しかし、今回、祖先が第34代皇帝ダヤン・ハーンであることを、引退から4年経った今になって初めて公表しました。 また「新会社で『社長』という肩書でよろしいですか?」という追加の質問に対しては、「はい。頑張ります」と満面の笑みで答えていました。【高田文太】

白鵬氏の新会社「白鵬ダヤン相撲&スポーツ株式会社」が世界相撲グランドスラムを推進

大相撲で45度の優勝を誇り、これまでの記録を塗り替えてきた白鵬翔氏(40歳)が9月9日付で日本相撲協会を退職し、14日に都内のホテルで「第69代横綱白鵬応援パーティー ~40歳を契機として、未来を輝かせる~」を開催しました。このイベントでは、今後の活動として、「世界相撲グランドスラム」の構想を中心に、相撲を世界に広めるプロジェクトを進めたいと表明しました。そして、この構想を実現するための新会社として、「白鵬ダヤン相撲&スポーツ株式会社」を立ち上げると発表しました。この特別なパーティーには、サッカー元日本代表の本田圭佑氏やタレントのデヴィ夫人、さらに石原伸晃氏と橋本聖子氏など、各界の有名人およそ200人が一堂に会しました。

トヨタ自動車の豊田章男会長がアマチュアの日本相撲連盟会長に就任 現役時代から白鵬さんを支援

アマチュア相撲を統括する日本相撲連盟は14日、都内で評議員会、理事会を開き、トヨタ自動車会長の豊田章男氏(69)が、新たに会長に就任すると発表した。任期は2年。「豊田新会長のリーダーシップのもと、日本相撲連盟は今後さらに相撲競技の普及振興、伝統文化としての価値向上、そして国際的な発展に向けた活動を推進してまいります」としている。豊田氏は、9日付で日本相撲協会を退職した元横綱の白鵬翔さん(40)を、現役時代から支援していた。白鵬さんは9日に開いた会見で「今後は相撲を世界に広めるプロジェクトを中心に活動したい」と明言。アマチュアや女子にも門戸を広げた「世界相撲グランドスラム」の構想を発表していた。同時に白鵬さんは「豊田章男会長から激励のお言葉をちょうだいした」とも明かしていた。豊田氏が日本相撲連盟のトップに立ったことで、白鵬さんはトヨタ自動車、アマチュア相撲界、双方と密接に連携を取り、支援を受ける可能性が出てきた。

輝が都内で挙式・披露宴 新婦とは「空気感が合うのが一番好きです」師匠含めて400人が祝福

大相撲の元幕内で十両の輝(かがやき、31=高田川)が14日、東京・千代田区のホテルニューオータニで、新婦・智恵(ともえ、29)さんと挙式、披露宴を行った。師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)や、角界関係者ら約400人から祝福された。2人は輝の31歳の誕生日となった1日に婚姻届を提出した。輝は「ここまでこられたのは、いろんな方々のおかげです。生活していきながら、仲良くやっていければいいと思います」と謙虚に話した。互いに「りょう」「とも」と呼び合っているという。約2年半前、ともに石川県出身の2人は共通の知人を通じて知り合った。その3日後に2人で会い、輝からの告白で交際に発展した。「早かったです。びっくりしました」。結婚に至るきっかけは、2024年元日に発生した能登半島地震を通じて知った相手のやさしさだった。能登半島地震は、輝の姉家族(夫と子供3人)が、七尾市の実家に帰省していた時に起きた。姉家族が住んでた珠洲市の家は津波で被災。そんな時、智恵さんが、小松市の自身の実家に避難することを勧めてくれた。輝の父は数日、姉家族は約20日間も、智恵さんの実家で世話になったという。輝は智恵さんについて「明るいところと、優しいところ(が好き)。空気感が合うのが一番好きです」と話す。能登半島の復興支援の意味も込めて、引出物は輪島塗の夫婦箸を選んだ。2人は既に都内で新生活を始めている。【佐々木一郎】◆輝大士(かがやき・たいし)本名・達綾哉(たつ・りょうや)。1994年(平6)6月1日、石川県七尾市生まれ。小1から相撲を始める。中3時に全国都道府県中学生選手権の個人、団体2冠。高田川部屋に入門し、2010年春場所初土俵。14年九州場所で新十両に昇進し、しこ名を本名から「輝」に改名。地元石川県まで延伸する北陸新幹線「かがやき」にちなんだ。16年初場所新入幕。最高位は東前頭3枚目。家族は父、姉、兄。横綱輪島は遠縁にあたる。192センチ、170キロ。得意は突き押し。血液型O【関連記事はこちら】――>>輝が挙式、引出物は輪島塗の夫婦箸 石川出身の夫婦が被災地支援の願い込めた