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元前頭藤ノ川で東海学園大教授の服部祐兒さん死去 アマ最強と言われ角界入りもけがで26歳で引退

大相撲の元前頭藤ノ川で東海学園大教授の服部祐兒(はっとり・ゆうじ)さんが6日午前5時43分、肝臓がんのため死去したことが分かった。64歳だった。親しい関係者によると「最近は自宅で過ごしていたのですが、容体が急変した」という。23年夏に背中の痛みを訴え、脊髄の手術を受けたが回復せず、その後、盲腸がんであることが検査により判明。同11月に再び手術を受け、抗がん剤治療なども続けていたが、肝臓にも転移。大阪や愛知で治療などを行っていた。昨年9月まではオンラインなどで東海学園大の会議などに参加していたものの、今年5月以降は自宅で完全静養していた。服部さんは1960年生まれ、愛知・大府市出身。東海高から同志社大へと進学した。高校時代に全国総体(インターハイ)制覇、大学時代は学生横綱、アマ横綱を獲得してアマ最強と言われ、83年に伊勢ノ海部屋に入門。順調に85年に幕内に昇進したが、けがの影響で87年に26歳で引退。最高位は前頭3枚目だった。大相撲の世界には残らずアマ相撲の指導者を目指し、筑波大の大学院で体育学修士の学位を得た。東海学園大相撲部の監督などを経て、現在は同大経営学部経営学科の教授を務めていた。日本相撲連盟の評議員としても相撲普及に尽力していた。

金髪から黒髪に変えた那須川天心、迫る世界戦に向けた「黒く塗りつぶせ」

プロボクシングWBC世界バンタム級1位の那須川天心(26歳、帝拳)は、6日に東京・後楽園ホールで行われた世界前哨戦に向けた公式会見に参加しました。ノンタイトル10回戦で対戦するWBA世界同級6位のビクトル・サンティリャン(29歳、ドミニカ共和国)と初めて顔を合わせ、会見後には並んで写真撮影にも応じました。会見の前日に金髪から黒髪に変えて登場した那須川は、「金髪がトレードマークだというのは、周りが勝手に思っていることです。今回は黒にしてみました」と笑顔を見せました。サンティリャン戦でのコスチュームが黒を基調にしていることから、「黒く染めました。これは矢沢永吉さんの曲『黒く塗りつぶせ』のように黒くしたというわけです。それに、若返ったと言われましたね」と語り、髪色を変えた理由を明かしました。また、右側頭部には漢字の「天」をモチーフにしたロゴをバリアートしました。那須川は、「これは狙いですか?少し黒なので、自分のチームTENSHINのグッズの漢字の『天』と合わせています。コスチュームもグッズと連動することを意識しました。みんなの思いを乗せたそり込みです」と強調しました。

宮城野親方が「白鵬翔 40歳を契機とした未来を応援する会」開催へ 退職願は9日付受理の予定

大相撲で歴代最多45回の優勝を達成した元横綱白鵬、現在の宮城野親方(40歳)が、14日に東京のホテルで「白鵬翔 40歳を契機とした未来を応援する会」を開催することが明らかになりました。この情報は、4日に招待状を受け取った関係者によって明かされました。招待状には、「モンゴルでは40歳は特別な誕生日とされ、人生の重要な節目にあたります」と記されていました。そして、「これまで応援いただいた皆さまに感謝を伝え、今後さらに一層のご指導と鞭撻を賜る会」としてその趣旨が説明されていました。日本相撲協会に対する退職願は9日付で受理される予定です。その9日に記者会見が予定されており、その場で今後の計画が発表される見込みです。今回判明した支援者を招いての会合は、その発表に続いて開催されることになります。白鵬の誕生日は3月11日ですが、40歳の誕生日から3カ月後のこの会合は、彼が早い段階から退職の意思を固め、第2の人生に向けた本気度を示していることをうかがわせます。

宮城野親方の退職への見解―元大関栃ノ心が語る「クビのような状況」について、協会への疑念

元大関栃ノ心ことレバニ・ゴルガゼ氏が4日に自身のX(旧ツイッター)を更新し、伝説的な元横綱白鵬の宮城野親方が日本相撲協会を退職した件について自身の考えを表明しました。彼はツーショット写真と共に「信じられない、心が痛い」とコメントし、動画メッセージを添えました。約6分のメッセージの中で、「文章で伝えるよりも、直接自分の気持ちを皆さんに伝えたいと思っています。今話すのは宮城野親方と白鵬横綱の件です」と述べました。動画の中で彼は、「皆さんはどう思いますか?45回もの優勝を誇る人物で、人間としても非常に優れている人です。彼は20年間、相撲界の象徴的存在でした。それがこのように冷たくされるとは思いもしませんでした」と失望を表しました。さらに、宮城野部屋の再興を期待していた彼は、「自分の部屋に戻されるのかなと思っていたのに、まるでクビになったような状況です。彼自身も辞めると発言したそうですが、他の選択肢がなく、辞めるしかなかったのです。それがとても悔しい」と述べました。また、「これからも宮城野親方や若い親方たちが協力して日本相撲協会を盛り上げると思っていたのに、なぜ白鵬関だけが冷遇されたのか不思議です。宮城野部屋で起きた問題と同じような問題は他の部屋でも起こっていますが、それらは隠されたり、うまく処理されたりしています。どうして宮城野親方だけがこんなに厳しくされるのか、不思議です」と疑問を投げかけました。そして日本相撲協会に対して「協会というものは何のためにあるのでしょうか。若い人々や力士、親方たちを守るためにあるべきだと思っていますが、なぜ宮城野親方を守れなかったのか、皆さんはどう思いますか?おかしいと思いませんか?あんな相撲に貢献してきた人がクビにされたのですから信じられないです」と納得できない様子で語っていました。

【ボクシング】田中恒成が失明危機で電撃引退 4階級王者「悔しさはあるけど…」笑顔で衝撃告白

日本人選手として最速で、5戦目で世界王者に輝いた4階級制覇の田中恒成(29歳、畑中ジム所属)が突然の引退を発表しました。昨年10月にはプメレレ・カフ(南アフリカ)に判定1-2で敗れ、WBO世界スーパーフライ級の王座を失った後、目の疾病のため無念にも現役から退く決断をしました。ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)と並んで世界最速12戦で3階級制覇を果たした田中ですが、失明の危機には勝てませんでした。    ◇   ◇   ◇ 田中は日本選手の最速記録を成し遂げてきたものの、潔く引退を決めました。その直接的な原因は目の問題でした。 近年は網膜剥離を抱えながら戦っており、「怪我が全て」と明かしました。昨年10月の試合後に両目を手術しましたが、失明のリスクが残ることから再起不能と判断しました。「達成できなかった目標もあり悔しさもあるけど、あの時こうしておけば良かったという後悔は全くない」と笑みを浮かべながら語りました。 彼の告白は衝撃的でした。5戦目で世界王者に輝き、12戦目で世界最速の3階級制覇。同じ日本人の井岡一翔(志成ジム)や井上尚弥(大橋ジム)に次ぐ3人目の4階級制覇を達成しましたが、見えない未来との闘いに苦しんでいました。 元WBC世界スーパーバンタム級王者、畑中清詞会長(58歳)によれば「彼は生まれつき目が弱かったのではないか」と明かします。過去の試合全般にわたって目の問題を抱えており、特に20年の元旦に井岡戦で初黒星を喫した後、「4、5回手術をしたかもしれない。白内障が始まり、その後剥離の症状が現れた」と語りました。あらゆる可能性を探ったものの、最終的には「(試合を)継続させることはできなかった」と決断しました。 今後の活動は未定です。「相談には乗っていますが、本人も迷っています」と畑中会長は述べ、田中は「ボクシングに関わり続けたい」と言いました。日常生活においては目の問題はないといいます。華々しい登場を果たした記録保持者が志半ばにてリングを去ります。 ◆田中恒成(たなか・こうせい)1995年(平成7年)6月15日、岐阜県多治見市生まれ。小学5年からボクシングジムに通い始め、中京高校では国体2連覇など4冠を達成。在学中に畑中ジムに所属し、2013年11月にプロデビュー。中京大学に進学し、2014年10月には4戦目で日本最速の東洋太平洋ミニマム級王者。5戦目でWBO世界同級王座を獲得。8戦目の2016年12月にWBO世界ライトフライ級、12戦目の2018年9月には同フライ級王座を獲得し、最速で3階級制覇。2024年2月にWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し4階級制覇。身長164センチの右ボクサーファイターで、戦績は20勝(11KO)2敗。兄の亮明は東京オリンピックフライ級の銅メダリスト。

「重岡銀次朗選手の回復に向けた前進」

元IBF世界ミニマム級王者である重岡銀次朗選手(25歳、ワタナベ所属)が5月24日の試合後に急性硬膜下血腫のため緊急の開頭手術を受けたことに関して、彼の兄で元WBC世界同級王者の重岡優大さん(28歳、ワタナベ所属)が3日、インスタグラムのストーリーズで弟の容体について報告しました。優大さんは、家族が励ましのメッセージを書き込んだ千羽鶴の写真とともに、「今日から銀次朗は麻酔を徐々に減らしていて、少し目を開けている状態です。声をかけると口を動かしたり、あくびをしたりすることがあり、意識が少しずつ戻ってきているような感じでした。瞬きもしていました。これからさらに意識がはっきりしてくるのではないかと思います。」と述べました。 現在も集中治療室(ICU)で経過観察が続いている銀次朗選手について、「近いうちにICUから一般病棟に移ることができそうです。少し安心しました。」と報告しました。また、銀次朗選手の友人たちに対して、「銀に音声メッセージをもっと聞かせたいと思っています。すでに多くの友人が送ってくれて感謝しています。短くてもいいので、ぜひまた送ってください。毎日、銀に聞かせます。多くの方が銀を心配してくれて、みんなに愛されているのを感じ、兄として誇りに思います。引き続き銀次朗の応援をよろしくお願いします。」とメッセージを送っています。

【解説】元白鵬の引退と退職劇の裏にある2つの主要な理由と協会の見解の相違

歴代最多45回の優勝を誇る元横綱・白鵬(現宮城野親方、40歳)が日本相撲協会を退職することが正式に決定しました。日本相撲協会は2日に臨時理事会を東京・両国国技館で開催し、宮城野親方が9日付で退職すると発表しました。宮城野親方の以前の部屋である旧宮城野部屋では、昨年度に元前頭・北青鵬による暴力事件が発覚し、これにより監督責任を問われて2階級降格の処分を受け、部屋は閉鎖。昨年4月に伊勢ケ浜部屋に移籍しました。部屋再興の兆しが見えず、さらに協会の公式発表とも食い違う形で退職が決まりました。    ◇   ◇   ◇ 旧宮城野部屋の閉鎖と伊勢ケ浜部屋への移籍以降、宮城野親方は心機一転しました。伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の助言に従い、日本全国で弟子の実家を訪れて謝罪し、部屋付きの楯山親方(元幕内誉富士)には敬語を使い、来客があれば自ら動いていました。彼の姿勢を近くで見てきた間垣親方(元幕内石浦)は「尊敬の念が増しました。涙が出ることもありました」と話しています。この1年間の努力について尋ねられた宮城野親方は、「それが私の人間性なんです。でも、上層部には理解されない」と苦笑し、「痛みは本人にしか分からない。成長はしました」と述べました。宮城野親方が退職に至ったのは、協会と本人の双方に原因があります。宮城野部屋の閉鎖期間を明確にしなかったのは、協会幹部によれば「期間を決めると宮城野親方が反省しないから」とのことでした。しかし、1年ほど経った頃には、再興が認められるのではないかという期待が高まりました。伊勢ケ浜親方が7月初旬に定年を迎えるため、最終の本場所である5月の夏場所後が再興のタイミングと見られていたのです。伊勢ケ浜一門は初場所後から、宮城野部屋の再興を理事会で議題に上げてほしいと頼んでいましたが、実質的な議論には至りませんでした。宮城野親方が退職の意志を固めた理由として、<1>協会が再興時期を決めてくれないこと、<2>後輩の照ノ富士親方(元横綱)の指導下に入ることをプライドが許さないこと、の2点が挙げられます。3月27日の理事会でも議題に上がらず、彼の心は退職に傾きました。協会の発表では、「今後は浅香山部屋で預かる」「解除を十一月場所後とすることを検討」とされていますが、宮城野親方は既に決心を変えませんでした。この発表に関し、宮城野親方に近い関係者は「全く違う」と強調しました。ある元力士は「ハメられたのでは?怖い」と話しています。宮城野親方は9日に会見を開く予定ですが、協会の見解よりも次のステップに目を向けているようです。協会が再興時期の提案をもっと早くできなかったのか。宮城野親方も、もう少し耐えることができなかったのか。この処分は、現役時代からの言動も大きく影響していると考えられます。協会にとっても大きな損失です。有名で実績豊かな横綱と共存できないことへの損失感は否めません。チケットは売れ続けるかもしれませんが、この決定により大横綱を活かしきれなかった事実は、永遠に消えることはありません。【佐々木一郎】

退職した宮城野親方、今後「白鵬翔」として活動へ 新たな相撲団体の設立や国際的な展開を視野に

大相撲で歴代最多の45回優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)が、日本相撲協会を退職することが正式に決まりました。2日、協会は東京・両国国技館で臨時理事会を開催し、宮城野親方が9日付で協会を退職することを発表しました。昨年、宮城野親方が率いる旧宮城野部屋で弟子の被害事件が発覚し、その監督責任が問われた結果、部屋の閉鎖や降格処分を受け、師弟ともに伊勢ケ浜部屋へと移籍していました。新たな道が見出せず退職を決意しましたが、協会からの公式発表とは意見の相違があり、後味の悪い結末となりました。    ◇   ◇   ◇ 宮城野親方の退職後の活動はどうなるのでしょうか。親方としての役職を離れるため、今後は本名の「白鵬翔」を用いて活動していくことになります。これまでの功績や知名度を考慮すれば、生活には困らないでしょうし、多くの後援者も存在しています。朝青龍や日馬富士のように、ビジネスでの成功も期待されています。具体的な活動プランとして、日本国内の子供たちを対象にした相撲大会「白鵬杯」の規模拡大があります。協会から離れることで、会場使用料などの貸与条件が厳しくなると予想されますが、それでも大会のさらなる発展を目指しているそうです。将来的には、相撲の新たな団体設立の構想もあります。まずはアマチュア相撲の組織作りに着手し、その後世界規模の団体へと成長させる計画です。これが実現すれば、かつての宮城野部屋の力士たちが新たな舞台で活躍する可能性もあります。宮城野親方はプロの相撲界からは離れますが、何らかの形で相撲との関わりを続ける希望を持ち続けています。

退職の元横綱白鵬の宮城野親方「相撲の未来を世界中の人々とともに築いていく」/コメント全文

大相撲で歴代最多45度の優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)が、日本相撲協会を退職することが正式に決まりました。日本相撲協会は2日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、宮城野親方が9日付で退職することを発表しました。昨年、彼が指導していた旧宮城野部屋で、弟子の元前頭北青鵬による暴力事件が発覚し、監督責任を問われて2階級降格などの処分を受け、部屋は閉鎖され、その後師弟ともに伊勢ケ浜部屋へ転籍していました。部屋を再興する道筋を見出せず、退職を決意したとのことです。現在モンゴルに滞在中で、帰国後に会見を予定しています。 宮城野親方が文書で発表したコメントは以下の通りです。    ◇   ◇   ◇ 【ご報告】   日本相撲協会退職のご挨拶と今後の活動について   私、白鵬翔は日本相撲協会に辞表を提出し、本日開催された臨時理事会で6月9日付で承認されることとなりました。 これまで相撲道一筋で歩んできた力士としての人生は、多くの皆様の温かい支援と指導のおかげで成し遂げられました。心より感謝申し上げます。また、現役を退いてからは、わずかながらも弟子の育成や相撲界の未来を見据えた取り組みに尽力してまいりました。 今後は、日本が誇る「相撲」という文化をより広く、次世代に伝えるため、日本相撲協会の外からその発展に貢献していく決意を固めました。 国内外を問わず、相撲の持つ価値と魅力を新たな形で伝え、相撲の未来を世界中の人々とともに築いていく活動に力を注ぎたいと思います。 これまで支えてくださった皆様に改めて心より御礼申し上げるとともに、今後とも変わらぬご厚情とご指導を賜りますようお願い申し上げます。 現在、私はモンゴルに滞在しており、モンゴル相撲の大横綱であった故父、ジグジドゥ・ムンフバトの記念銅像除幕式に参列する予定です。父は、モンゴルで初めてオリンピック銀メダルとレスリング世界大会の銅メダルを獲得し、労働英雄賞(日本の国民栄誉賞に相当)を受賞した人物です。 私自身の真意を説明するとともに、今後の活動について、改めて記者会見の場を設け、正式にご報告させていただく予定です。 敬具 白鵬翔

宮城野親方退職、日本相撲協会が発表「9日付の退職願を受理」伊勢ケ浜親方が再開を示唆し慰留も本人の意志固く

歴代最多45回の優勝を誇る元横綱白鵬の宮城野親方(40)の退職が、日本相撲協会によって正式に承認されました。2日に都内で開かれた臨時理事会では、昨年4月から閉鎖中であった宮城野部屋と宮城野親方の退職が認められました。 会議後、佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)と西岩親方(元関脇若の里)は取材に対し、6月9日付の退職願が全会一致で受理されたことを明かしました。 同日から、年寄伊勢ケ浜こと杉野森正也が宮城野名跡を継承し、宮城野部屋の弟子たちは伊勢ケ浜部屋で引き続き指導を受けることとなります。 説明によれば、宮城野親方の退職願は出されたものの、伊勢ケ浜預かりの旧宮城野部屋の弟子たちが師匠不在となるのを避けるため、まず弟子たちの受け入れを決定し、その後で退職願が受理される形となりました。 浅香山親方(元大関魁皇)は、今年の初場所から宮城野部屋の再開について話し合っていたといい、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の定年退職に伴い名古屋場所から師匠が交替することもあり、八角理事長(元横綱北勝海)から「浅香山部屋での預かりを検討するように」との指示がありました。浅香山親方は「幾度も思い留まるよう話をしたが、宮城野は退職の意向を示した」と報告しました。 また、伊勢ケ浜親方も「何度も宮城野を説得し、部屋は近いうちに再開するので、もう少し辛抱してはどうかと慰留を試みたが、本人の意志が強固だった」「宮城野は自身の弟子たちのことを心配しており、伊勢ケ浜部屋での預かりを継続して欲しいと話していた」と語りました。宮城野親方の弟子たちもそれを望んでいたことが報告されました。 宮城野親方は昨年、元前頭北青鵬の暴力問題により監督責任を問われ、降格処分を受けました。部屋は閉鎖され、昨年4月に師弟ともに伊勢ケ浜部屋へ移籍していました。1年経っても部屋再開のめどが立たず、宮城野親方は退職届を提出し、角界を離れることになりました。