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井上尚弥12・27サウジでWBC1位ピカソと防衛戦とサウジ長官 米老舗専門誌の動画で明かす

プロボクシング4団体統一スーパーバンタム級王者井上尚弥(32=大橋)が12月27日、サウジアラビア・リヤドでWBC世界同級1位アラン・ピカソ(24=メキシコ)と防衛戦を行うプランが明らかになった。サウジアラビア政府直轄のプロジェクト「リヤド・シーズン」を運営する同国総合娯楽庁のトゥルキ・アラルシク長官が23日(日本時間24日)に更新された米老舗専門誌ザ・リング公式ユーチューブチャンネルのインタビューに登場し、発言したもの。交渉は大詰め段階だという。また同長官は井上-ピカソ戦をメインイベントに据えた同興行が日本-メキシコ対抗戦になるとの構想も明かした。井上は9月に名古屋で元WBAスーパー、IBF世界同級王者で現WBA同級暫定王者のムロジョン・アフマダリエフ(30=ウズベキスタン)との防衛戦を予定。アフマダリエフに勝てば12月にサウジアラビアで防衛戦を計画している。一方のピカソは7月19日(同20日)、日本フェザー級9位亀田京之介(26=TMK)との同級10回戦を控える。両者ともに目前のファイトをクリアできれば対戦に向けて一気に交渉が進みそうだ。もともと井上-ピカソ戦は今年5月、米ラスベガスのT-モバイルアリーナで開催される予定だった。しかし交渉途中にピカソ側から対戦辞退する申し出があり、WBA同級1位ラモン・カルデナス(29=米国)との対戦に変更された経緯がある。

【新日本プロレス】棚橋弘至社長、ウルフ・アロンの育成に意欲的 デビュー前から試合観戦プランも

柔道の2021年東京オリンピック男子100キロ級で金メダルを獲得したウルフ・アロン(29)が、新日本プロレスに電撃的に入団しました。23日、都内で入団会見が行われました。大学時代からプロレスに憧れ、2024年パリオリンピック後にプロレスへの転向を決意したとのことです。オリンピックの金メダリストがプロレスに転向するのは、日本の全競技を通じて初のことです。今月8日に現役の柔道選手として最後の試合を終えた後、既にプロレスの本格的なトレーニングをスタートしており、来年1月4日の東京ドーム大会でのデビューを予定しています。次々とスター選手が退団する中で、棚橋弘至社長(48)はウルフ選手の対戦を強く希望し、大きな期待を寄せています。   ◇   ◇   ◇新日本プロレスの棚橋社長は、ウルフ・アロン選手を業界を引っ張るスター選手として育てる意欲を示しました。会見に同席した棚橋社長は「入団したからには、業界の中心となる選手を目指してほしい」と話しました。デビュー戦が棚橋自身の引退試合を行う2026年1月4日の東京ドーム大会に設定されており、「ウルフ選手のデビュー試合、そして私の引退試合を満員にしたい」と意気込んでいます。この興行は、テレビ朝日系の全国ネットで大会当日に中継される予定です。また、「試合を観戦すること自体が学びになる」として、デビュー前から試合会場に帯同させる育成方針を示しました。

豊田真奈美元女子プロレスラー、山崎照朝さんを偲び感謝の意を表す 入門選考での思い出「『先生が言うなら』と合格」

女子プロレス界のレジェンドとして名を馳せる豊田真奈美氏(54)が23日、自身のX(旧ツイッター)を更新しました。「悲しいお知らせ」と題して、22日に胆管がんで77歳で亡くなった元極真空手の初代全日本王者、山崎照朝さんへの追悼の意を表しました。豊田氏は、全日本女子プロレスの入門オーディションで山崎さんが選考担当をしていた時のエピソードを振り返り、「私はオーディションの最終選考で落ちていたそうです」と述べました。「しかし、合格者の発表の前に山崎先生が『この子は取っといた方が良い』とおっしゃってくださり、『先生が言うなら』ということで合格することができたと、後になってから聞きました」と、感謝の意を示しました。また、「先生に目を留めていただけなければ、プロレスラーとしての豊田真奈美は存在しなかったでしょう」「先生、プロレスラーの豊田真奈美を誕生させていただき心から感謝いたします」「本当にお世話になりました。ご冥福をお祈り申し上げます」と、追悼の言葉と共に感謝の気持ちを表明しました。

プロレス転向の五輪金ウルフ・アロン「棚橋選手といつか戦いたい気持ち」1月4日に東京ドームで対戦!?

2021年東京オリンピック(五輪)で柔道男子100キロ級金メダリストとなったウルフ・アロン(29)が、新日本プロレスに正式に入団することが発表されました。これは23日に都内のホテルで行われた会見で、新日本プロレスの棚橋弘至社長や親会社ブシロードの木谷高明代表取締役と共に明かされたもので、ウルフは晴れて新日本の一員となりました。そして2026年1月4日、東京ドームでの新日本プロレス大会でプロレスデビューを果たす予定です。この東京ドーム大会では、会見に同席した棚橋選手の引退試合が予定されています。まだ対戦相手は公表されていませんが、ウルフは「来年1月4日が棚橋選手の引退試合ということで、少し寂しい気持ちがあります。私はワールドプロレスリングや新日本プロレスを見て育ち、棚橋選手といつか戦いたいという気持ちがあります。どうですか?」と、対戦相手として名乗りを上げる姿勢を見せました。棚橋選手は「これは興行面での話ですが、別々にする方が面白いかもしれませんね。これから一緒に練習する機会もあると思いますし、無観客でやるのも面白いかなと思います。ちょうど入れ替わりのタイミングですね。ファンの皆さんも、ウルフ・アロンと棚橋弘至が戦うところを見たいと思うかもしれませんが…。それは想像にお任せします」と、慎重に答えました。

東京オリンピック柔道金メダリストのウルフ・アロン、新日本プロレスへの入団が決定

2021年東京オリンピック男子柔道100キロ級で金メダルを獲得したウルフ・アロン(29歳)が新日本プロレスに入団することが、23日に発表されました。金メダリストがプロレスラーに転向するのは、日本では初めてのことです。東京都内のホテルで行われた記者会見では、新日本プロレスの棚橋弘至社長と親会社ブシロードの木谷高明代表取締役も同席しました。ウルフは「新たなステージで挑戦できることに喜びを感じています」と語り、「パリオリンピック後の1年間、やり残しのないようにプロレスの道を選びました。プロレスが好きだからです。自分のすべてを見せることができるのがプロレスです」とその決意を表明しました。デビュー戦は2026年1月4日に、新日本プロレスの年間最大のイベント、東京ドーム大会で予定されています。ウルフは「デビュー戦が特例だという意識を持って、ゼロからスタートします。半年間、一瞬一瞬を無駄にしないよう全力で挑戦します」と述べました。新日本プロレスでは、昨年3月にオカダ・カズチカがAEWに参加し、内藤哲也も退団したばかりです。また、看板選手であり社長でもある棚橋弘至は来年1月4日の東京ドーム大会で引退となります。団体は世代交代の過渡期にあり、ウルフ選手への期待が高まります。また、21年には紫綬褒章も受賞しており、東京オリンピック後には多くのバラエティ番組に出演し、お茶の間の人気者となりました。アントニオ猪木の時代から続く「ストロングスタイル」を体現する実力とファンを引きつける能力を持っているため、新たな新日本プロレスの顔になる可能性を秘めています。 ウルフは6歳から柔道を始め、千葉県の東海大浦安高校、そして東海大学時代には数多くのタイトルを獲得しました。2021年の東京オリンピック男子100キロ級では、2000年シドニーオリンピック以来となる日本人の金メダルを獲得しました。2024年のパリオリンピックでは7位になりました。今月8日には、現役最後の試合となる全日本実業団体対抗大会に出場し、個人で3戦全勝し、チームは準優勝を果たしました。柔道からプロレスへの転向は、1965年の全日本選手権優勝者、坂口征二が旭化成からプロレスに転向した例があります。また、1992年バルセロナオリンピック男子95キロ級銀メダリストの小川直也は1997年にプロ格闘家に転向し、総合格闘技にも参戦しました。1964年の東京オリンピック無差別級金メダリストのアントン・ヘーシンク(オランダ)は1973年に全日本プロレスに加入しました。女子では、66キロ級で世界選手権銅メダリストの神取忍がジャパン女子プロレスに入門した例があります。◆ウルフ・アロンについて:1996年2月25日、東京都生まれ。6歳から春日柔道クラブで柔道を始める。千葉の東海大浦安高校時代には選手権、金鷲旗、全国総体などで優勝。東海大学時代には2015年と2016年の講道館杯を連覇。2017年には全日本選抜体重別で2連覇し、世界選手権でも優勝。2019年には体重無差別の全日本選手権で優勝。東京オリンピックで優勝した翌年には紫綬褒章を受章。2024年のパリオリンピックでは7位。左組みの柔道スタイルで、得意技は大内刈り。身長181センチ、血液型はA型。

東京オリンピック金メダリスト ウルフ・アロンが新日本プロレスに入団を発表

2021年の東京オリンピックで柔道男子100キロ級の金メダルを獲得したウルフ・アロン(パーク24所属、29歳)が、23日に新日本プロレスへの入団を正式に発表しました。この日は東京都内のホテルで記者会見を開き、プロレス転向の背景などについて説明しました。オカダ・カズチカや内藤哲也といった主力選手の退団が続く中、新たなスター選手のプロレス転向は大きな話題を呼び起こしそうです。 オリンピック金メダリストによる他の格闘技への転向は、1992年バルセロナオリンピック78キロ級金メダリストの吉田秀彦や、2008年北京オリンピック100キロ超級金メダリストの石井慧が例として挙げられますが、プロレスへの転向はウルフが初めてです。また、小川直也は世界選手権で4度金メダルを獲得しているものの、オリンピックでは1992年バルセロナ大会の男子95キロ超級で銀メダルが最高成績でした。 海外では、オリンピック金メダリストからプロレスラーに転身した例として最も有名なのが、1996年アトランタオリンピックレスリング男子フリースタイル100キロ級金メダリストのカート・アングル(アメリカ)です。彼は1998年にWWEに加入し、WWEヘビー級王座やWWE世界ヘビー級王座など多くのタイトルを獲得しました。2002年には主要タイトルを制覇するグランドスラムを達成し、2017年にはWWE殿堂入りも果たしました。 21年東京オリンピックの他の金メダリストもプロレスに転身しています。レスリング男子フリースタイル125キロ級金メダリストのゲイブル・スティーブンソン(アメリカ)は、22年にWWEと契約。レスリングとプロレス技術を並行して磨く特別育成プログラムが組まれていましたが、24年に契約解除となりました。また、レスリング女子68キロ級金メダリストのタミラマリアナ・ストックメンサ(アメリカ)は23年にWWEと契約し、WWEパフォーマンスセンターでプロレス技術を習得。リングネーム「タイラ・メイ・スティール」として昨年7月にNXTレベルアップ大会でWWEデビューし、今年6月3日に正式にNXTデビューを果たしました。

【記者の目】ウルフ・アロンがプロレス界に進出 新日本プロレスの救世主となるか? 自己プロデュースが鍵

柔道のオリンピック金メダリスト、ウルフ・アロンが新日本プロレスに加わることが決まった。彼の柔道経験を考えれば、「ストロングスタイル」を体現するには最適な選手と言える。オカダ・カズチカや内藤哲也といったスター選手が次々と退団した新日本にとって、アロンは救世主となる可能性がある。しかし、プロレスリングでは実力だけでなく、ファンに対するアピール力も重要である。これは必ずしも善人であるからといって人気が出るわけではない。新日本プロレスにおいても、団体から期待される正統派の海野翔太が時にはブーイングを受けることもある。プロレスラーにとって「正解」とは相手との対決だけでなく、観客との対峙も含まれるのだ。柔道からプロレスに転向した選手としては、バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した小川直也が思い起こされる。彼は橋本真也との抗争を経て「暴走王」として名を上げ、橋本と「OH砲」を結成。「オレごと刈れ」といった合体技を開発し、マイクパフォーマンスでも注目された。品行方正ではなかったが、高い人気を得た。異なるスポーツからの転向例としては、力道山、天龍源一郎、輪島大士、北尾光司、曙太郎ら相撲出身者が多い。近年では、青木真也や佐々木憂流迦といった総合格闘技の名選手たちもプロレスのリングで活躍している。プロ野球からの転向例としてはジャイアント馬場が知られる。ウルフ・アロンが成功するかどうかは、受け身や攻防の間の取り方といったプロレス特有の技術を身につけられるか、そして団体の大きな流れの中で如何に自己プロデュースできるかに左右される。【千葉修宏】(プロレス担当)

【全日本】バスとの事故で危険な状態にある長尾一大心、集中治療室で治療続く

全日本プロレスは21日、バスとの接触事故で入院したため、長尾一大心(21)が試合を休むことが決定していると発表しました。この時点での彼の様子について以下のように報告しています。「長尾一大心選手に関するお知らせ 交通事故により試合を欠場している長尾一大心選手の現状をお伝えします。5月31日に巡業バスとの事故が原因で腹部が圧迫され、外傷性ショックを引き起こしました。現在、彼は救急集中治療室で危険な状態が続いており治療を続けています。ファンの皆様、関係者、ご家族の皆様にご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。長尾選手の状態については、今後も最新情報をお伝え致します。」どのような状況で腹部が圧迫される事故が起きたのか、詳細については関係者からの説明はありません。

【大橋秀行】佐々木尽、初回に倒れるも頑張りを見せる ウェルター級はやはり“世界の壁”

WBO世界ウェルター級2位の佐々木尽(23=八王子中屋)は、大きな期待を背負って初の世界タイトルに挑んだが、残念ながら結果は失神KO負け。この階級ではまだ日本人の世界王者が誕生していないため、佐々木選手にとっても日本ボクシング界にとっても大きな試練となった。試合は同級王者ブライアン・ノーマン(24=米国)に挑み、計3度ダウンを喫した。5回0分46秒、左フックの一撃で敗退し、試合後は病院へ直行することになった。    ◇   ◇   ◇ 佐々木選手には3回までに反撃のチャンスがあると思われていたが、1回2度のダウンが痛手となった。特に試合序盤での左フックが側頭部に命中したことでペースを乱され、そのダメージが試合全体に影響を及ぼした。それでも2回からは持ち前の気迫で立ち向かい、観客を沸かせる場面を作った。 ノーマン選手のパンチは的確で、ディフェンスも巧みで、佐々木選手を翻弄した。残念ながら、これが日本人がまだ到達できていないウェルター級という“世界の壁”であることを改めて実感させられる試合となった。24歳という若さながらノーマン選手の強さと雰囲気は特別で、今後の成長が楽しみだ。 佐々木選手も見事な場面を作り、未来の可能性を感じさせてくれた。決して手が届かない差ではない。彼の挑戦は、日本人にもウェルター級で十分戦えるという希望を与えてくれた。これを良い経験にし、さらなる成長を期待したいと思う。(元WBA、WBCミニマム級王者)

【ボクシング】佐々木尽、無敗王者に大の字失神KO負け 日本人未到の激戦階級、歴史変えられず

世界初挑戦のWBO世界ウエルター級2位佐々木尽(23=八王子中屋)が失神KOで敗れ、王座獲得を逃した。同級王者ブライアン・ノーマン(24=米国)に挑戦したが、計3度のダウンを許して5回0分46秒、KO負けを喫した。同回開始すぐに左フックを浴び、キャンバスに大の字で倒れ込んで敗退。担架で運ばれると病院に救急搬送された。過去に日本人世界王者ゼロという同級の世界挑戦となったが、佐々木は日本ボクシング界の歴史を変えることはできなかった。   ◇   ◇   ◇初回から世界との差をみせつけられた。佐々木が打ち終わりを狙われ、左フックを浴びて計2度ダウンを許した。武器の左フックを狙ったが、空振りが目立った。すると5回、左ボディージャブを打った直後、右のガードが下がったところに強烈な左フックを浴びてキャンバスに大の字で倒れ込んだ。カウント途中に陣営の中屋広隆チーフトレーナー(71)からタオル投入による棄権申し出があってKO負けとなった。脳振とうを起こした佐々木は、そのまま担架で控室まで運ばれた。病院に救急搬送され、精密検査を受けた。所属ジムの中屋一生会長(46)によると、脳の出血などはなかったものの、後頭部をキャンバスに強打したため、試合時の記憶を失っているという。また20日に念のため再検査する予定となっている。欧米男性の平均体格とされる同級は名ボクサーが多く誕生する人気階級。ミニマム級からミドル級の13階級で唯一、日本人の世界王者がゼロだった難攻不落の「激戦区」だ。今回は約36年ぶりとなる国内開催の同級世界戦、日本人の挑戦も約16年ぶりだった。日本勢は挑戦することも難しいとされ、国内で開催された世界戦もわずか2回。今回も日本5人目というチャンスだった。世界2位まで到達し「何かを起こしそうな」ムードがあった佐々木でも世界との壁は厚く、高かった。高校から本格的にボクシングを開始した佐々木は定時制昼間部に進学し、練習時間を確保。期待の逸材としてジム側もスポンサーを探し、高校1年時にアルバイトした以外はジムワークに専念できる環境を整えてもらった。18年8月のプロデビュー後から頭角を現し、アジア2冠王者、世界2位まで到達した。まだ23歳と若い。日本人初の世界同級王者になるという夢は持ち越しとなった。【藤中栄二】【ラウンドVTR】1回 衝撃のスタート。開始40秒、王者ノーマンの左フックで佐々木がダウン。コーナー、ロープに追い詰められ、2分すぎには再び左フックで2度目のダウン。佐々木は残り1分で左ボディー、左フックの連打で反撃した。ニッカン採点はノーマンの10-82回 王者ノーマンが開始50秒に左フックなどで攻勢。1分半に佐々木はワンツー。その後も距離をつめて打ち合うも、有効打はノーマンが勝る。ニッカン採点はノーマン10-93回 1分すぎからノーマンが左右の連打など猛攻。佐々木はフラフラの状態も、大声をあげた。気合で懸命に左フックなどを出す。ノーマンは左右の強打を決めるが、佐々木は何とか耐えた。ニッカン採点はノーマン10-94回 開始から佐々木は前にでる。得意の左フックを狙うが、有効打は奪えない。ノーマンは冷静に交わしながら自分の距離に。佐々木は終盤接近戦に持ち込み、懸命にパンチを放った。手数は佐々木が上回った。ニッカン採点は佐々木10-95回 佐々木は積極的に前に出る。しかし、40秒、ノーマンは強烈な左フックを顔面にたたきこむ。佐々木は大の字に倒れる。そのまま動けなくなった。ノーマンが5回KO勝利◆佐々木尽(ささき・じん)2001年(平13)7月28日、東京・八王子市生まれ。小学5年から4年間は柔道を学び、都大会2位に。中学1年から並行してボクシングも開始。ボクシングの練習時間を確保するため、定時制の八王子拓真高に進み、18年8月にプロデビュー。20年12月、日本ユース・スーパーライト級王座獲得。21年10月、日本、WBOアジア・パシフィック同級王座決定戦で平岡アンディ(大橋)戦に敗れてプロ初黒星。ウエルター級に転向し、23年1月、WBOアジア・パシフィック王座を獲得。24年5月、東洋太平洋王座も奪取。身長174センチの右ボクサーファイター。血液型はAB。【ライブ詳細】佐々木尽5回46秒KO負け 3度のダウン喫し世界ウエルター級日本人初戴冠ならず