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「王会長と父は本当のライバル?」長嶋茂雄氏の葬儀で三奈さんが明らかにした、父親の涙と笑顔の関係

3日に肺炎のため89歳で亡くなった巨人軍の永遠の名誉監督、長嶋茂雄氏の通夜と告別式が東京都内の桐ケ谷斎場で執り行われました。喪主を務めた次女の三奈さんが、長嶋茂雄氏と「ON砲」として活躍したソフトバンクホークスの王貞治球団会長(85)について語りました。長嶋茂雄氏は3日の午前6時39分に息を引き取りました。遺体が病院から家に戻った時、最初に駆けつけたのが王会長でした。三奈さんは、「6月3日、午前6時39分に父は永遠の眠りにつきました。そのわずか7時間後、一番最初に駆けつけてくれたのが王貞治会長です。王会長に心から感謝します。父は、王会長が巨人軍に入団し最初に出会った日のことを60年経った今でも鮮明に覚えていました。父は上野駅で学生服を着た王会長が歩いてくる姿を見て、『なんて大きな体をしているんだ。目も大きくて、とても立派な体だ』と驚いたそうです。父が会長の話を始めると、いつも笑顔が絶えませんでした」と明かしました。さらに、「以前、私が『王さんとパパはライバルだったの?』と尋ねたことがあります。父はすぐに『違うよ、三奈ちゃん。王さんとパパはね、二人で一緒に巨人を強くしよう、二人で一緒に日本一のチームを作ろうって、ずっと同じことを考えて頑張ってきたんだ。パパが打てなかったときは、王さんが打ってくれたし、王さんが打てないときがあったら、今日は俺が打つぞって思っていたんだ』と、微笑んで話してくれました」と語りました。最後に、「不思議ですが、父が王会長のことを話す時は、いつも笑顔で、でも涙を浮かべていました。涙ぐみながら笑顔で思い出話をするのは、父にとっては王会長だけだったのです。最後まで父に寄り添っていただき、本当にありがとうございました」と、王会長との思い出を締めくくりました。 長嶋氏を乗せた車は7日午後2時33分に自宅を出発しました。午後3時13分から24分の間に東京ドーム周辺(黄色いビル前→水道橋交差点、壱岐坂下交差点→東京ドーム前)を通過し、午後4時3分に斎場に到着しました。祭壇は三奈さんの希望によりジャイアンツカラーで彩られ、背番号3のユニフォーム、天覧試合でのホームランバット、松井秀喜氏と共に受賞した国民栄誉賞の金のバット、天皇陛下から授与された勲記と文化勲章が飾られました。通夜の参列者は126名。そのうち、親族では長嶋一茂氏を含む27名がいました。巨人関係者はV9のチームメンバーや監督時代の選手、コーチら62名で、現在のチームからは阿部慎之助監督や二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチなど、13名が参列しました。

【参列者一覧】長嶋茂雄さん通夜に落合博満氏、清原和博氏、松井秀喜氏ら巨人OB

3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の通夜、告別式が都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主は次女・三奈さん(57)、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長で読売巨人軍取締役オーナーの山口寿一氏(68)が務めた。弔辞は堀内恒夫氏(77)と原辰徳氏(66)が読み上げた。7日に行われた通夜の参列者は126人。親族は長嶋一茂氏ら27人、巨人関係者はV9のチームメート、監督時代の選手、コーチが62人参列した。巨人OBの参列者は以下の通り(順不同、敬称略)阿野鉱二、上田武司、江藤省三、王貞治、河埜和正、柴田勲、末次利光、杉山茂、高田繁、新浦壽夫、原田治明、広野功、堀内恒夫、吉田孝司、黒江透修、横山忠夫、江川卓、江藤智、大久保博元、岡崎郁、淡河弘、小俣進、鹿取義隆、金石昭人、清水隆行、高橋由伸、中畑清、所憲佐、仁村薫、原辰徳、張本勲、樋澤良信、福王昭仁、藤城和明、松井秀喜、松本匡史、村田真一、元木大介、吉村禎章、浅野啓司、阿波野秀幸、井端弘和、上原浩治、上田和明、上野裕平、大塚淳弘、岡島秀樹、落合博満、大森剛、川口和久、川中基嗣、清原和博、香坂英典、斎藤雅樹、笹本信二、條辺剛、鈴木章介、高田誠、堀田一郎、宮本和知、槇原寛己、原俊介現在のチームからは阿部慎之助監督、二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチ、橋上秀樹作戦戦略コーチ、村田善則総合コーチ、亀井善行打撃コーチ、古城茂幸内野守備コーチ、松本哲也外野守備兼走塁コーチ、杉内俊哉投手チーフコーチ、内海哲也投手コーチ、實松一成バッテリーコーチ、ウィーラー巡回打撃コーチ、丸佳浩外野手、岡本和真内野手の13人が参列した。長嶋茂雄さん死去89歳 数々の伝説残したミスタープロ野球/まとめ>>

長嶋茂雄さん葬儀、次女三奈さん「恥ずかしながらも娘としては誇りに」人を笑顔にさせる逸話の数々

肺炎のため3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の通夜、告別式が都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主を務めた次女・三奈さんが、長嶋さんの愛されたおちゃめな一面を、喪主あいさつで語った。三奈さんは「父は本当に耳もいいですし、記憶力もいいんですが、なぜか選手の皆様のお名前はよく間違えておりました」と話した。「上原浩治さんに、上原さんいらっしゃると思うんですが、上原浩治さんにお会いしたときには、『監督、僕のことをずっと二岡って呼ぶんですよ』って。すみませんって言いながら、また、ある時は桑田真澄さんにお会いしたときは、『監督、僕のことを最後までクワダって言っていました』。娘としてはちょっと恥ずかしかったんですが、もう父の話が出ると、もう周りの方が皆さん、一瞬にして笑顔の花がぱっと咲いて、父ってどこにいてもいろんな方を笑顔にするんだな、もう野球と関係ないのに笑顔で包んでくれるんだなと、ちょっと恥ずかしながらも娘としては誇りに思っておりました」と語った。続けて「そんな父ですので、皆さん、どうかこれからも笑顔で笑い声をあげながら、父のことを話していただければなと思います。そして本日は、読売新聞グループ本社様の多大なるお力添えを賜りまして、父らしい温かい通夜を執り行うことができました。家族・親族を代表しまして、心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました」と語った。 長嶋さん棺を乗せた車は7日午後2時33分に自宅を出発。同3時13分から24分にかけて東京ドーム周辺(黄色いビル前→水道橋交差点、壱岐坂下交差点→東京ドーム前)を通り、同4時3分に斎場に到着した。祭壇は三奈さん希望でジャイアンツカラーで彩られ、背番号3のユニホーム、天覧試合でホームランを打った時に使用したバット、松井秀喜と一緒に授与した国民栄誉賞の金のバット、天皇陛下から直々に授与された勲記と文化勲章が飾られた。通夜の参列者は126名。うち、親族は長嶋一茂氏ら27人、巨人関係はV9のチームメート、監督時代の選手、コーチが62人、現在のチームからは阿部慎之助監督、二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチ、橋上秀樹作戦戦略コーチ、村田善則総合コーチ、亀井善行打撃コーチ、古城茂幸内野守備コーチ、松本哲也外野守備兼走塁コーチ、杉内俊哉投手チーフコーチ、内海哲也投手コーチ、實松一成バッテリーコーチ、ウィーラー巡回打撃コーチ、丸佳浩外野手、岡本和真内野手の13人が参列した。【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 伝説残したミスタープロ野球 通夜、告別式で最後の別れ/1

【喪主挨拶全文】長嶋茂雄さんの葬儀での三奈さんの挨拶「父の太陽のような笑顔で長嶋家はいつも青空でした」

3日に89歳で亡くなられた読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督の通夜と告別式が、都内の桐ケ谷斎場にて執り行われました。喪主として次女の三奈さん(57)が務め、葬儀委員長は読売新聞グループ本社社長であり、読売巨人軍のオーナーでもある山口寿一氏(68)が担当しました。弔辞は堀内恒夫氏(77)と原辰徳氏(66)が読み上げました。長島三奈さんの喪主挨拶本日はお忙しい中、また遠方より父の長嶋茂雄の通夜にお越しいただき、心より感謝申し上げます。祭壇に飾られた父の写真をご覧ください。家族と過ごす時、父は本当に太陽のように大きく、明るく、暖かい笑顔で毎日私たちに光を与えてくれました。よく、仕事場に行くと「監督は試合で負けると機嫌が悪いのか」と聞かれましたが、私は父が機嫌を損ねたり、物に当たる姿を一度も見たことがありません。 もちろん、選手の中には「試合中、ベンチで何度も蹴られたことがある」と思う方もいるかもしれません。ですが、父はグラウンドで真剣さゆえに雷のように激しさを見せていたのが事実です。それでも家族に戻ると穏やかで、長嶋家には常に青空が広がっていました。6月3日の朝6時39分、父は長い眠りへとつきました。そのわずか7時間後に駆けつけてくださったのが王貞治会長です。会長、本当にありがとうございました。父は、王会長が巨人に入団した日のことを60年以上経った今でも鮮明に覚えています。上野駅で初めて出会った際、父は「なんて大きな身体で、クリクリとした大きな目をしているんだろう」と驚いておりました。王会長の話をする時、父はいつも笑顔でした。一度、「王さんとパパはライバルだったの?」と尋ねたことがあります。すると父は、「違うよ、三奈ちゃん。王さんと僕は巨人を強くするために一緒に頑張ってきたんだ」と明るく語ってくれました。お互いに補い合い、巨人を支えていたのです。 不思議ですが、父が王会長の話をするときは、本当に笑顔で目には涙が浮かんでいました。そんな話を共有できるのは、父にとって王会長だけでした。最後まで父を支えてくださり、本当にありがとうございました。そして6月4日の朝早くには、ニューヨークから松井秀喜さんが駆けつけてくださいました。松井さん、本当にありがとうございました。ご存知のとおり、父が世界で最も大切にしていた方でした。もし、松井さんと私が同時に海で溺れていたとしたら、きっと真っ先に松井さんを助けたことでしょう。松井さんがヤンキースに入団した最初の年、父は居ても立ってもいられずニューヨークに駆けつけました。その時の逸話を聞くたびに、顔がほころびます。父は松井さんと共に歩んできた数々の思い出を大切にしておりました。 実は、松井さんと私にはある約束がありました。それは、父が松井さんが次の巨人監督になるという希望を抱かせ続けることで、父のリハビリに対するモチベーションを高めることでした。「『監督やるやる詐欺』しましょう」と松井さんと話していたのです。父もきっと聞いているかもしれません。父は耳が良く、記憶力も優れていましたが、選手の名前だけはよく混同していました。それでも、父の話にはみんなが顔をほころばせ、笑顔が溢れる方でした。そんな父を娘として誇りに思います。皆さん、どうかこれからも父のことを笑顔で語り、思い出していただければ幸いです。そして、本日は読売新聞グループ本社様のお力添えで、温かい通夜を行うことができました。心より御礼申し上げます。 最後に、父の祭壇をオレンジの花で彩っていただいたことに特別な感謝を申し上げます。オレンジは父の愛するジャイアンツカラーで、とても素晴らしい明るい祭壇となりました。巨人軍が提供してくださった父の背番号3のユニフォーム、天覧試合でホームランを放った時のバット、松井秀喜さんと共に授与された国民栄誉賞の金のバット、そして天皇陛下から授与された勲記と文化勲章が誇り高く飾られています。もしお時間があれば、ぜひ記念写真を撮っていただき、父を笑顔で送り出していただければと思います。本日は本当にありがとうございました。

【阪神】岡田彰布オーナー付顧問が曽谷龍平を大絶賛「宮城と同レベルだ。彼の高校は?ああ、明桜なんだね」

阪神の岡田彰布オーナー付顧問(67)は、ABCラジオの「フレッシュアップベースボール」で解説を務めました。 オリックスの先発投手、曽谷龍平(24)は初回から安定したピッチングを見せ、3年目の左腕に対して岡田氏は大絶賛しました。 「昨日の宮城投手と遜色ないですね。本当にいいピッチングをしています。彼は何年目ですか? 3年目ぐらいですよね。伊原投手と同い年なんですよね。お互いに知っているのでしょう。曽谷選手はどこの高校出身なんですか? 明桜なんですね。」と述べ、普段から高い評価をしている様子がわかりました。 阪神の監督として、岡田氏は2年連続でオリックスと対戦しました。曽谷選手が新人だった23年には4回途中で攻略しましたが、昨年の対戦では6回を無得点に抑えられ、12三振を喫して勝利を逃しています。

【日本ハム】新庄監督が「代打の神様」八木コーチの還暦を祝うサプライズ

日本ハムの八木裕打撃コーチが、60歳の誕生日を迎え、新庄剛志監督(53)や選手たちによるサプライズ祝福を受けました。試合前の練習が始まる前に、三塁側ファウルグラウンド付近に全員が集まりました。そこに新庄監督が現れ、「代打の神様がおじいちゃんとして仲間入りしました」と笑顔で祝福しました。さらに赤いちゃんちゃんこの代わりに、ホームユニホームの白い部分を赤くした「還暦ユニホーム」が贈られました。左胸には「60」という番号が記されています。八木コーチは大きな拍手に包まれながら、「選手もコーチもスタッフも、60歳でも元気でいるためには今が大事です。私もあと20年がんばります」と挨拶しました。その還暦ユニホームを着て、試合前の練習に参加した八木コーチは、「おじいちゃんとは思われたくないから、還暦とはあまり言われたくないけど、まだまだ元気で若くいたいという気持ちです」と苦笑しながらも、「もしちゃんちゃんこだったら大変でした。ユニホームでよかった」と笑顔を見せました。

佐々木主浩氏、長嶋茂雄さんとの心温まるエピソードでスタジオが爆笑「僕のことを佐々木って知らなくて…」

横浜ベイスターズやシアトル・マリナーズで活躍した佐々木主浩氏(57歳、日刊スポーツの評論家)が、8日にTBSの「サンデーモーニング」に生出演し、3日に肺炎で89歳で亡くなった長嶋茂雄さんとの思い出を語りました。番組には張本勲氏(85歳)も出演。長嶋さんについて尋ねられると佐々木氏は、「私にとっての憧れの存在でした。野球を始めたきっかけは長嶋さんです」と語りました。他の球団に属していながらも、監督として、選手としての思い出を明かしました。さらに、「とにかくオーラが凄かったです。これがオーラというものかと実感しました。しかし、長嶋さんは私のことを『佐々木』と認識していなくて、いつも『魔神くん、魔神くん』と呼んでいました。『魔神くん、元気?』って言われるたびに、にこやかになってしまいます」と話すと、スタジオは温かい笑いに包まれました。

阪神の漆原大晟が特例で登録、石井大智の代わりとして指名 日本ハムの山崎福也や他選手が抹消/8日公示

6月8日のプロ野球の出場選手の登録および抹消情報は以下の通りです。【セ・リーグ】<登録>巨人 佐々木俊輔外野手阪神 漆原大晟投手ヤクルト 高橋奎二投手中日 伊藤茉央投手<抹消>巨人 馬場皐輔投手巨人 E・ヘルナンデス外野手【パ・リーグ】<登録>日本ハム 金村尚真投手<抹消>日本ハム 山崎福也投手ロッテ 田中晴也投手楽天 滝中瞭太投手楽天 大内誠弥投手※再登録は6月18日以降となります。※【注】阪神の漆原大晟選手は、脳振盪により特例措置で抹消された石井大智選手の代わりとして指名された選手です。

【阪神】脳振とうの特例措置で抹消された石井大智の「代替指名選手」に漆原大晟 NPBが発表

阪神タイガースの漆原大晟投手(28歳)が、8日に出場選手として登録されました。漆原投手は、7日に「脳振とう特例措置」で出場登録から抹消された石井大智投手(27歳)の代替選手です。この特例措置は2016年に導入された制度で、脳振とうの疑いで登録を抹消された選手は、NPBが制定しているガイドラインに基づいた復帰プログラムを実施する必要があります。医師の許可があれば、通常の10日間を待たずに再登録が可能です。再登録が10日未満で行われる場合、その選手と代わった代替指名選手も10日を待たずに一軍に再昇格することができます。石井投手は、6日に行われたオリックスとの試合(甲子園球場)で打球が側頭部に直撃し、緊急搬送されました。球団の発表によると、石井投手は医師の指導の下、自宅で静養を行っています。

大谷翔平、4打数1安打の活躍 山本由伸、6回無失点も7勝目迎えられず ドジャース、サヨナラで惜敗/詳細

ドジャースの大谷翔平選手は「1番DH」として試合に出場し、4打数で1安打と1四球を記録しました。一方、カージナルスのラーズ・ヌートバー外野手は「1番左翼手」として出場し、山本由伸投手と対戦。彼に対しては三振、三振、そして左前安打を打ちました。山本投手は6回を4安打無失点で毎回9奪三振の好投。残念ながら打線の援護がなく、7勝目はお預けとなりました。 試合は9回表に、大谷選手の内野安打とその後の暴投でドジャースが同点に追いつきました。しかし、その裏の無死一、三塁で、カージナルスに内野5人シフトの裏をかかれ、レフトに安打を許し1-2のサヨナラ負けを喫しました。 カージナルス対ドジャース 5回裏、力投するドジャース先発の山本。打者ヌートバー(撮影・滝沢徹郎) カージナルス対ドジャース 9回裏カージナルス無死一、三塁、内野5人のシフトを敷くドジャース(撮影・滝沢徹郎) カージナルス対ドジャース サヨナラ勝ちし喜ぶカージナルス(撮影・滝沢徹郎) チーム123456789計 ド0000000011 カ000000011X2 【カ】フェディー、マッツ、レイヒー、ヘルズリー 【ド】山本由伸、ベシア、カスペリアス