ヘイ!カール、メークドラマ/平成の長嶋茂雄伝説
プロ野球界で2期15年にわたり読売ジャイアンツの監督を務めたジャイアンツ軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが、3日午前6時39分に肺炎のため都内の病院で亡くなりました。89歳でした。この訃報は、読売新聞グループ本社、読売ジャイアンツ、オフィスエヌが連名で発表しました。 <平成の長嶋茂雄伝説> ◆91年(平成3年) 8月26日 長嶋茂雄さんは世界陸上のリポーターを務め、100メートル走で優勝したカール・ルイスにスタンドから「ヘイ、カール」と声をかけました。その際、犬が好きなルイスに秋田犬の子犬を贈ったことがあり、後に自身が脳梗塞で倒れた際にルイスからメッセージが届きました。 91年、世界陸上で長嶋茂雄さんは「ヘイ!カール」と呼び止めてカール・ルイスと握手 ◆92年(平成4年) 11月12日 長嶋茂雄監督がジャイアンツの監督に復帰し、ドラフト会議で星稜高校出身の松井秀喜をくじ引きで獲得しました。 92年11月12日 ドラフト会議で松井秀喜の交渉権獲得にサムアップポーズを見せる長嶋茂雄監督 ◆93年(平成5年) 2月17日 長嶋監督はフィールドで初めて長男の長嶋一茂選手に打撃指導を行いました。さらに、評論家の張本勲氏と一緒にステップの矯正を手伝いました。 11月21日 FA宣言した槙原選手の自宅を背番号と同じ17本のバラを持って訪問し、残留を決意させました。 93年11月21日、FA宣言した槙原寛己(右)の自宅を訪れた長嶋茂雄監督 ◆94年(平成6年) 10月8日 勝利すると優勝が決まる同率最終戦を前にホテルでのミーティングで「勝つ、勝つ、勝ーつ」と選手たちを鼓舞しました。その結果、槙原、斎藤、桑田という先発投手の柱を巧みに使い勝利しました。 94年10月8日、中日対巨人 リーグ優勝を決め、祝勝会場でのビールかけに笑顔の巨人長嶋茂雄監督 ◆95年(平成7年) 7月23日 「9、10月に必ずメークドラマします。かけてもいいですよ」と豪語し、試合では非常に強気な表情で審判に抗議しました。同年は3位で終わりました。 ◆96年(平成8年) 2月2日 長嶋監督が宮崎キャンプ中に60歳の誕生日を迎え、「今年初めて還暦を迎えまして…」と語り、選手のアップに飛び入り参加し、30メートルのダッシュを繰り返しました。 96年2月 巨人春季キャンプ 還暦を迎え赤いちゃんちゃんこを着た長嶋茂雄監督...