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【楽天】浅村栄斗選手、2000安打達成!歌手・強が語る「やんちゃ坊主からスーパースターへ」** **

** 楽天ゴールデンイーグルスの浅村栄斗内野手(34)が、ついに通算2000安打を達成しました。これは平成生まれとして初の快挙です。  ◇  ◇  ◇浅村選手は私たちのスーパースターです。歌手の強(41)と浅村選手は、大阪都島ボーイズで初めて出会いました。学生コーチと中学生という関係が、今では歌手とプロ野球選手に変わりました。「彼は今や野球界のスーパースターです」と強さんは言います。かつて強さんが西岡剛選手(当時阪神)のために作詞した「スーパースター」が野球ファンに広まったころ、浅村選手(当時西武)は彼に登場曲の制作を依頼しました。浅村選手のお兄さんにインタビューを行い、「お下がりのグラブを使っていた」、「母親が作った濃いめの焼きそばが好きだった」というエピソードを織り交ぜた「やんちゃ坊主」を数カ月で作り上げました。「最初に練習生として来た時、茶髪か金髪でヤンキースのキャップを被っていたのを強く覚えています」と当時の印象的な姿を語りました。今シーズンの浅村選手の登場曲は異なっていますが、昨シーズンは「スーパースター」が楽天モバイルパークで鳴り響いていました。浅村選手の自主トレに参加している中日の細川選手は「やんちゃ坊主」を使用しており、「野球というエンターテインメントに音楽を通して参加できるのは非常に嬉しいです」と強さん。「浅村選手はやんちゃ坊主からスーパースターに昇格したのですね。見事な活躍ですね(笑)」お互いが大人になった今でも、「あの頃のように河川敷で野球をしよう」と強さんは呼びかけました。【山田愛斗】◆強(つよし):1983年(昭58)6月3日生まれ、大阪府出身。平安高校(現龍谷大平安)では、2001年夏の甲子園に副主将として出場し、ベスト8進出を果たしました。大阪都島ボーイズでコーチを務め、その後2008年にアルバム「全ては唄の中で」で歌手デビューし、「カーテンコール」、「スーパースター」、「やんちゃ坊主」、「グランドスラム」などの楽曲をリリースしています。

【阪神】中野拓夢、井上一樹中日監督から「タクム!」と呼ばれ…笑顔で前日の死球を振り返る

阪神の選手が球場に到着するとすぐ、中日ドラゴンズの井上一樹監督(53)が中野拓夢内野手(28)に「タクム!」と声を掛けました。 前日24日の試合で中野選手の右肘に死球が当たり、その様子を気遣う場面が見られました。また、試合後に話題となった微妙な判定についても会話したようで、二人は笑顔で別れました。 阪神の藤川球児監督(44)は24日の試合後、井上監督と球審の判定に疑問を呈していました。 9回、渡辺諒内野手(30)がフルカウントからボールを見送った際、小林和公球審が右手を上げかける紛らわしいジェスチャーがありましたが、判定はボールでした。井上監督はベンチを出て「手、出たでしょ?」と確認しましたが、抗議の対象はストライク・ボールの判定ではありませんでした。 その後、阪神は1点差まで詰め寄り、2アウト2塁とチャンスを広げましたが、中野選手が厳しい内角球をストライクと判定され、試合終了。藤川監督は最後のストライク判定に対し、審判が帳尻を合わせたのではと疑いました。 「ストライク・ボールの抗議は禁止されているはずなのに、最後の中野への1球には正直納得できない。審判をリスペクトしますが、らしくないと思いました。井上監督の抗議があって最後にストライク判定を取ったように見えるのは仕方ないかと。タイガースサイドから見ると、そのように映る抗議と最後の結果の関係」と藤川監督は指摘しました。

関東大会決勝戦:専大松戸 vs. 健大高崎 – 午前11時開始/最新情報

春の関東大会の決勝戦が行われ、専大松戸(千葉県)と健大高崎(群馬県)が熱戦を繰り広げます。グラウンド整備のため、プレーボールは1時間遅れの午前11時に予定されています。 関東大会パンフレット チーム123456789計 専松 0 健大 0 【専】鬼頭 【健】石垣聡 【試合経過】 専大松戸 健大高崎

大谷翔平、今シーズン4度目の3三振… ドジャースは打線がかみ合わず4連勝ならず/詳細

大谷翔平投手(30)は今日は無安打で、18号本塁打はお預けとなりました。彼の打席ごとの結果は、初回の空振り三振、中飛、そして2度の空振り三振となり、今シーズンでは4月22日(23日)カブス戦以来、4度目の1試合3三振となりました。 ロサンゼルス・ドジャースは投打がかみ合わず、ニューヨーク・メッツに敗れ、4連勝を逃しました。 チーム123456789計 ドジャース0200000002 メッツ01030001×5 大谷翔平の第4打席 メッツ投手は左腕ピーターソン 8回1死一塁 カウント1-2から外角への134キロスライダーで空振り三振。その後の打者も続けず無得点に終わる メッツ対ドジャース 8回表ドジャース1死一塁、大谷は空振り三振に倒れ引き揚げる(撮影・滝沢徹郎) 大谷翔平の第3打席 メッツ投手は左腕ピーターソン 5回2死走者なし カウント2-2から外角低め135キロスライダーで空振り三振 メッツ対ドジャース 5回表ドジャース2死、大谷は空振り三振に倒れる(撮影・滝沢徹郎) 大谷翔平の第2打席 メッツ投手は左腕ピーターソン 3回先頭打者 カウント1-2から内角138キロチェンジアップを打ち中飛。2死後、Tヘルナンデスが二塁打を放つも無得点 メッツ対ドジャース 3回表ドジャース無死、大谷翔平は中飛に倒れる(撮影・滝沢徹郎)...

ドジャース、打撃と投球のズレで連勝ストップ 大谷翔平は今季4度目の3三振、26日は千賀滉大と対戦予定

ドジャースは打撃と投球の調子が合わず、メッツに敗北し、4連勝を逃しました。メッツの先発、ピーターソン投手を相手に、2回にキケ・ヘルナンデス内野手(33)の適時打で先制し、続けてダルトン・ラッシング捕手(24)の内野ゴロで2点を取りました。しかし、ドジャースの先発、トニー・ゴンソリン投手(31)はその直後に1点を返され、4回には1安打2四球で2死満塁となり、マルテとソトの連続適時打で合計3点を失い逆転を許しました。ドジャースの打線は左投手ピーターソンから3回以降得点することができず、3度の併殺打もあって8回途中まで2失点の好投を許しました。抑えのディアス投手からも反撃はできませんでした。大谷翔平選手(30)は第1打席で空振り三振、中飛、その後も空振り三振、空振り三振で終わりました。1試合で3三振は今季4度目で、前回は4月22日(日本時間23日)のカブス戦でした。25日(日本時間26日)には、防御率1.43でナショナル・リーグトップを走るメッツの千賀滉大投手(32)が先発予定です。試合前には、大谷選手が実戦形式の投球練習を行う予定です。

大谷翔平、手術後初の投球練習を実施へ 26日に予定 金慧成らが打席に立つ見通し

ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平投手(30歳)は、26日(日本時間)に23年の右肘手術後初となる打者を相手にした投球練習を行います。この練習は当初24日(日本時間)に予定されていましたが、23日(日本時間)の試合が延長13回に渡り日をまたいだため、1日延期されました。ロバーツ監督によれば、金慧成(キム・ヘソン)選手らが打席に立つ予定です。大谷選手は試合前にグラウンドで軽いキャッチボールを行い、「初実戦」に向けて準備を整えました。

【楽天】浅村栄斗選手の万能な素顔!家庭でもスーパーパパぶり炸裂、料理から育児、掃除にネコの世話まで

平成世代初の2000安打を達成した楽天イーグルスの浅村栄斗選手(34)について、奥様でフリーアナウンサーの淡輪ゆきさん(32)が彼の多才な一面を語ってくれました。2020年のBS12での楽天戦副音声に出演した際、「浅村のヒットは私の酸素」という名言を残し、多くの人を驚かせました。楽天戦は絶対に見逃さず、彼のファンとして応援する姿がその言葉に込められています。【取材・構成=山田愛斗】    ◇   ◇   ◇#浅村選手の2000安打はまさに「軌跡」です。5年前、淡輪さんが楽天戦副音声にゲスト出演した際、彼女は「浅村のヒットは私の酸素」と表現しました。このフレーズは瞬く間に楽天ファンに広まり、名言タオルとして球団から販売されるほどの反響を呼びました。SNSでは今も彼が活躍するたびに「酸素」という言葉が飛び交っています。淡輪さんは浅村選手の打席を日々の「酸素」として見ており、子どもたちと共に彼を応援しています。淡輪さんは西武ライオンズのリポーターも経験しており、プロ野球界の重みを感じつつ、彼の記録達成を大きな成果と捉えています。 淡輪さんの3歳の長女もテレビで映るパパに釘付け。「この前、ファウルを見た時も『惜しかったね』とコメントするなど、野球を理解しているようです」。この姿は浅村選手を日々の活力にしています。昨年生まれたばかりの長男とともに、彼は2児の父としても奮闘しています。家では料理や掃除、育児に励む完璧なパパとして愛されている浅村選手。結婚時に一緒に飼い始めた猫にも優しく、怒ったことがないほどの慈しみを見せています。「スーパーパパ」として信頼される彼の姿は、いずれも家族にとってなくてはならない存在といえるでしょう。 2000安打を達成した今も、浅村選手は野球人生を全うする覚悟です。淡輪さんは、「彼の道を最後まで貫いてほしい」とエールを送っています。彼のFA移籍の際にも支え続け、自分の道を信じる姿を傍で見守ってきました。浅村選手の成長とこれからの活躍を応援し続けていく淡輪さんの思いが、ファンにも感動をもたらしています。

【楽天】浅村栄斗、“兄”の背中を追い続けた末に達成した2000安打 苦難を乗り越え、フォーム改良が結実

涙を抑えることができなかった。楽天の浅村栄斗内野手(34)が、平成生まれとして初めて、そして史上56人目となる通算2000安打を達成した。彼は、日本ハム戦(楽天モバイルパーク)に「3番一塁手」として出場し、初回の山崎投手から右前に適時打を放ち、4月に達成した通算300本塁打に続く偉業を成し遂げた。お立ち台では感情が溢れ、人前も憚らず涙を流した。西武時代の“兄”として背中を追った先輩さえ成し得なかったこの記録を、自身が達成したのである。楽天での記録保持者としては、2015年の松井稼頭央以来2人目そして、大阪桐蔭出身者としては初めて名球会の資格を得た。   ◇   ◇   ◇浅村は涙した。2000安打を決勝打で飾り、本拠地のお立ち台に胸を張って立った際、インタビュー中に自然と涙が流れた。「泣くとは思ってなかったんですが、これまでのことが一気に蘇りました。2000本で涙を流す人はあまりいないと思っていたので、恥ずかしいです。でも、様々な感情が溢れて、つい涙が出ました」苦しみに苦しんで、やっと辿り着いた偉業だった。試合開始早々、一死二塁から日本ハムの山崎投手の投球を右前に打ち返し、先制打を記録。浅村らしい逆方向への打球だった。「忘れることのないヒットになると思うし、2000本の中でも一番の思い出に残る1本」だと話す。そして2回には左前に2001本目を運んだ。自己ワーストの35打席連続無安打も経験し、20日には歴代4位の連続試合出場「1346」が途切れてしまった。しかし、これらの試練を乗り越えての偉業だった。チームメートも総立ちで称賛し、歴史的瞬間を見守ったファン、さらには日本ハムの選手たちからも拍手が贈られた。プロ野球への道は険しかった。大阪桐蔭高校2年生の冬、進路希望には「プロ」と記したが、1学年上の中田翔(中日)のようにスカウトが常に視察に訪れるような注目選手ではなく、“いい選手”と評価されていた。高校3年春時点では、ドラフト5位で指名されることも危ぶまれ、指名されなかった場合は社会人チームに進む内定も出ていた。しかし、後に西武がドラフト3位で指名。08年夏の甲子園で、1番打者として大爆発し、優勝に貢献したことで評価が一変、西武の中心選手であった中島宏之氏(42)の後継者になる可能性も取り沙汰された。“兄”のように慕った中島の背中を追った。西武時代の1年目オフから4年間、自主トレに同行。浅村は「中島さんとの練習、一緒にプレーした時間が今の自分を作ってくれた」と述べる。また、「右方向にすごいホームランを何本も打っているのを見て、こういう選手になりたい」と憧れていた。中堅から右方向への打球が多いのは、2013年6月の左肩負傷の影響もある。「ある程度のけがは(試合に)出られる」というのが浅村の理念だが、肩に負担の少ないフォームを模索し、テニスラケットのように右手でボールを運ぶイメージでスイングするようになり、ヒットゾーンが広がった。「引っ張れないほど重症で、その中でどうすれば痛くなく、打てるかを考えた結果だった」。けがの功名だった。数々の苦難を乗り越え2000安打に到達したが、あくまで通過点である。旅はまだまだ続く。【山田愛斗】◆浅村栄斗(あさむら・ひでと)1990年(平成2年)11月12日、大阪府出身。大阪桐蔭高校3年の08年夏、甲子園で6試合16安打を放ち優勝。その後、ドラフト3位で西武に入団。3年目の11年に1軍に定着し、初の規定打席到達。18年オフにFAで楽天に移籍。本塁打王、打点王を各2度獲得。ベストナイン8度、ゴールデングラブ賞2度。オールスター出場8度。16年から昨季まで9年連続全試合出場。19年プレミア12、21年東京五輪で日本代表。182センチ、90キロ。右投右打。今季推定年俸5億円。妻はタレント、フリーアナウンサーの淡輪(たんのわ)ゆき。◆日本プロ野球名球会 通算2000安打を達成した浅村は、名球会入りの資格を得た。名球会は1978年に設立され、野球振興、社会貢献を目的とする団体。入会資格は日米通算で投手なら200勝または250セーブ、打者なら2000安打以上。入会資格に相当する記録保持者が特例で入会する制度もある。理事長は古田敦也氏。

** 【楽天】浅村栄斗は「強さ」の人 痛みに強い体、力強いスイング、強い心で2000安打到達 **

** 強さ—。平成生まれとして初めて、史上56人目となる通算2000安打を達成した楽天の浅村栄斗内野手(34)。彼を表すのに最も適した言葉です。痛みに対して非常に強い選手です。西武時代から続けてきた連続試合出場は、今月20日の西武戦で途切れたものの、パ・リーグ記録として「1346」を達成した鉄人でもあります。怪我をしないわけではありませんが、彼は「痛いと感じたら、その部分ばかりに意識が行くので、あまり気にしない」と言っています。あえて鈍感でいることを大切にしています。今季も右太もも裏を痛めながら出場を続け、自身2度目の本塁打王に輝いた。今年4月26日のソフトバンク戦(楽天モバイルパーク)では、左太もも裏に死球を受けて倒れ込んでも治療後に代走を送られず一塁へ向かいました。「レギュラーとして出る以上はずっと出たい」との思いのもと、翌日も痛みを抱えつつ2安打を放ちました。力強いスイングは浅村の代名詞です。大阪桐蔭時代の恩師、西谷浩一監督(55)から「とにかく思い切り振ってこい」と教わったことが彼のスイングスタイルに影響を与えています。「ホームランを打ちたいと打席に入るわけではなく、強く振った中で生まれるヒットも多い。後悔がないようにするのが基本」と力強く語ります。心の強さも彼の特徴です。調子の良し悪しにかかわらず、メンタルは常に一定である彼は、試合前のロングティーなど早朝練習を欠かさず、自分の信じる道を進むことを大切にしています。高校時代には寝坊を繰り返し監督から注意を受けていましたが、今では信じられないほどストイックに野球に打ち込んでいます。チームメートの鈴木大は「実力をつけるのにも心の強さが必要。浅村さんは体だけでなく心も非常に強いと思う」と話しています。また、小郷も「彼の調子の良し悪しは分からないくらい感情の波がないように見える」と証言しています。自己ワーストの35打席連続無安打も経験した2000安打到達は、まさに浅村の「強さ」そのものです。【山田愛斗】

中島裕之氏が真相激白 メジャー帰国後に起きた争奪戦「西武から早い段階でなかったことにって」** **

** 元ヤクルトの宮本慎也氏(54=日刊スポーツ評論家)が、公式YouTube「解体慎書」を更新し、3月に現役引退を発表した元西武の中島裕之氏(42)が、メジャーからNPBへ復帰した際の裏話を語りました。 中島氏は2012年オフに海外FA権を行使し、アスレチックスと2年契約を結びました。その後、2014年オフにNPB復帰が決まり、複数の球団による争奪戦の末にオリックスに入団しました。中島氏は「報道では阪神と西武が取り上げられ、西武は(中島から西武に対して)『断りの連絡が入った』と記事になった」とメディアの報道を振り返りました。 しかし、ここで中島氏は真相を告白。「これを言って良いか分からないけれど、早い段階で西武から『話は無かったことにしてくれるか?』と言われました。でも『昔からの関係だから、どこか決まったら教えてな』と言われてたんです。それを真に受けて、『チーム(オリックスに)決まりました』と西武側に連絡したら、『(中島が西武に)断りの連絡を入れた』と記事にされました」と苦笑いで明かしました。 中島氏はオリックスで4年間プレーしましたが、2018年オフに減額制限を超える減俸を提示され、新たに巨人と契約しました。「(当時監督の)原さんからも声をかけてもらいましたし、そこで(坂本)勇人や阿部(慎之助)さん、長野(久義)や内海(哲也)もいるなと思って」と巨人入りの理由を語りました。