楽天の浅村栄斗内野手(34)がプロ野球通算2000本安打を達成しました。平成生まれの選手としては初めての快挙です。
2008年のドラフト3位で西武に入団した浅村選手。入団時の監督であった渡辺久信氏(現・日刊スポーツ客員評論家)が、祝福の言葉とともに「4番打者・浅村」の誕生秘話を語りました。
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浅村選手、2000本安打達成おめでとう。プロ入り時、私は監督として君を見ていました。甲子園での輝かしい姿も記憶に残っています。当時、西武のスカウトは一度君の名前を候補リストから外していましたが、その後の甲子園での活躍で再び注目を集めたことを思い出します。
1年目から君の実力は1軍で通用すると思っていました。しかし当時、ショートには中島宏之選手がいて、彼は簡単には交代しない選手でした。そのため、浅村が試合に出る機会が限られていました。だからこそ2年目までは少しずつ1軍の経験を積ませ、またファームでも打席を増やして成長を促しました。
君の強みは広角に大きな打球が打てることでした。一度、オフシーズンに体を大きくし過ぎて失敗した年もありましたが、そこから学びとなった試合があります。
打点王を獲得した年の横浜スタジアムでのDeNAとの交流戦(2013年5月28日)だったと記憶しています。相手は(三浦)大輔選手で、私たちは彼のようなタイプの投手には苦戦していました。守りを固めた際、ショートの浅村が送球ミスをし、2回に1点を取られることになりました。この時、私は他のコーチと話し合い、ゲームプランを再考しました。その試合では浅村を3回表だけで交代させたのです。
懲罰交代ではなく守備を固めたかっただけですが、浅村としては懲罰交代と感じたかもしれません。普段はおとなしい彼が、ベンチの最前列で大声を出し続けていたのは驚きでした。それが彼の一面でした。
次の日、打順の決定について考えました。その年の外国人選手は期待に応えられていなかったため、4番を誰にするか議論しました。他のコーチたちと、「浅村があそこまで声を出しているし、彼に任せてみるのもありではないか」と話し、前日に7番ショートだった彼をあえて4番ファーストで起用しました。結果、しっかりと2安打を放ち、4番に定着し、110打点を記録して打点王を獲得しました。
あの試合で彼が仲間を大声で応援していなかったら、翌日に彼を4番で使わなかったでしょう。あの試合、あの年が本当に浅村の転換点でした。なぜ大声を出したのか、彼には聞いたことがありません。
あの試合はプロ何年目だったのだろう? おそらく3年目だったかと。スマホで「浅村栄斗」と声検索したら一発で出てしまいます。普通「栄」は「ひで」と読みませんが、浅村選手のおかげで誰もが認識するようになりました。プロ4年目のことだったと気づきました。あれから12年が経ちます。浅村、本当におめでとうございます。(日刊スポーツ客員評論家)