Year: 2025

【DeNA】審判の見事な判定 勝利を決めた二盗成功、外側からの観察

審判の隠れた見事な判定がありました。DeNAの8回の攻撃での出来事です。2死一塁の場面で、代走の石上泰輝選手(23)が相手の警戒をかいくぐり、見事に二塁への盗塁を成功させました。阪神はリクエストを行いましたが、判定は覆りませんでした。この回、DeNAは待望の先制点を奪取しました。その際、二塁審の川口亘太氏(53)はダイヤモンドの外側に位置し、外野側からタッチの瞬間をしっかりと確認していました。日本では約20年前から、二塁ベースの判定は通常ダイヤモンドの内側から行われてきました。しかし、近年では守備位置がベースの前に出ることが増え、そのため追いタッチの形になることが多くなっています。内側からでは視界が制限されるため、メジャーリーグやNPBでは一部の審判が外側からの判定を行うケースも見られるようになりました。

【バスケットボール】宮崎早織、来シーズン限りで引退「今は再び大好きです」東京五輪銀メダル恩師への思い

日本の女子バスケットボール代表として21年の東京オリンピックで銀メダルを獲得し、24年のパリオリンピックでも主力選手として活躍した宮崎早織さん(29歳=ENEOS所属)が、25~26年シーズンをもって現役を引退することを15日に発表しました。東京都内で行われた記者会見で、宮崎さんは「28年のオリンピックを目指すのは難しいと感じています。何かを嫌になったわけではなく、体力と元気があるうちに潔く辞めたいと思いました。ファンの皆さんにどう恩返しできるかを考えると、早めに伝えて、1年間一緒にいい思い出を作ることができたらと思いました」と決断に至った思いを明かしました。埼玉県出身の宮崎さんは、2014年にENEOSに入団し、キャプテンとしてチームの顔として活躍してきました。この数年間は「パリまで頑張る」と決意していたものの、その後は「目標が見つからなくなり、次のステップに進むべきだと感じました」と心理的な難しさもあったようです。日本代表として東京オリンピックでは銀メダルを獲得し、輝かしい成績を収めた一員となりましたが、当時のトム・ホーバス監督(58歳)には厳しい指導を受けることが多かったと振り返ります。「東京五輪では怒られすぎて嫌いでしたが、今は再び大好きです」と笑って話しました。現在は芸能事務所GATEに所属しており、引退後もバスケットボールとの関わりを維持しつつ、テレビでの活動も視野に入れています。記者会見では笑顔と涙を見せながら、「優勝して引退したいという思いが強いです」と意気込みを語り、最後にファンへの感謝の気持ちを伝えました。 「この1年間を通して、ファンの皆さまにたくさん恩返しをし、感謝を伝えたいです。SNSでも多くのメッセージをいただいています。すべてには返信できていませんが、しっかりと読ませていただいています。『学校に行きたくないけど頑張っています』『病気で苦しんでいます』といったメッセージも全て目を通しています。そういった方々の力になれるよう、変わらずに笑い楽しんでいる姿を見ていただければ嬉しいです。」限られた時間を大切にし、前を向く宮崎さんの思いが伝わる会見でした。【松本航】◆宮崎早織(みやざき・さおり)は1995年生まれの埼玉県出身。父は野球、母はハンドボール経験者で、5人きょうだいの次女として生まれました。姉の優子さんもバスケットボール選手、兄の泰右さんはプロサッカー選手、妹の安奈さんはボートレーサーとして活躍するスポーツ一家です。高校では聖カタリナ学園で全国高校総体準優勝、14年にENEOSに入団。21年の東京五輪で銀メダルを獲得し、アジア杯で優勝しベスト5に選ばれました。24年パリ五輪の代表選手でもあります。コート上ではのニックネーム「ユラ」で親しまれ、1月には同じENEOSで野球部に所属していた榎本和輝さんとの結婚を発表しました。身長167センチ、体重56キロ。

【楽天】浅村栄斗、平成生まれ初の通算2000安打に残り2本 ロッテ戦の7回に左前適時打

楽天浅村栄斗内野手(34)が、平成生まれ初の通算2000安打まで残り2本とした。「楽天スーパーナイター」と銘打たれた東京ドーム開催のロッテ戦に「7番DH」でスタメン出場。5点を追う7回2死一、二塁、八木の4球目、142キロ直球を左前適時打とした。14日のロッテ戦では3安打の固め打ちで、今季3度目の猛打賞を記録した。前日の試合後には「2000本で終わりじゃないので、あんまり2000本、2000本と思わず、1本でも多く打てるように」と話していた。【プロ野球スコア速報】はこちら>>

【阪神】森下翔太、ジャクソンの151キロ死球に激怒 バットを投げ捨て、険しい表情に

阪神タイガースの森下翔太選手(24)は、死球を受けた際に感情を露わにしました。試合の4回表、打席に立つ森下選手は、カウントが1-1の時、アンドレ・ジャクソン投手(29)の投じた151キロの球が内角高めに入りました。その球は右肘の下をかすったものの、大きな怪我にはつながらず、森下選手は怒りを隠せないままバットを勢いよく三塁ベンチ方向へ投げ捨て、一塁に歩いて行きました。

【日本ハム】宮西尚生、驚異の新記録!880試合連続救援登板で岩瀬仁紀を超える快挙 見事な無失点

日本ハムの宮西尚生投手(39歳)がプロ野球における880試合連続救援登板という新しい記録を達成しました。この日は0-0の7回、2アウト3塁の場面で玉井選手に代わり3番手として登板。オリックスの西川選手を二ゴロに打ち取り、無失点でピンチを切り抜けました。ベンチに戻ると、新庄剛志監督(53歳)から「みや、みや!」と声をかけられ、花束を受け取りました。スタジアムの大型ビジョンには記録達成を祝う画像が映し出され、オリックスファンからも称賛の拍手が送られました。宮西投手は10日の楽天戦(エスコンフィールド)で今季10試合目の登板を果たし、元中日の岩瀬仁紀投手(50歳)が持つ連続試合リリーフ登板の記録に並んでいました。岩瀬選手の記録はプロ2年目の最後の試合で1度だけ先発登板をしていますが、宮西投手は一度も先発することなく、デビュー以来すべて救援登板で記録を更新しました。試合後、宮西投手は「岩瀬さんが偉大すぎて、並んだという感覚が全くありません(笑)。本当にここまで18年間、がむしゃらにやってきて、気づいたらここまで来ていました。監督やコーチ、トレーナーの皆さん、裏方の方々のサポート、そして先輩方のフォローがあってこその達成です。このチームでなければ達成できなかったと思います。様々な出会いに感謝です」と話しました。宮西尚生(みやにし・なおき)、1985年6月2日兵庫県生まれ。市尼崎高校、関学大を経て2007年に大学・社会人ドラフト3巡目で日本ハムに入団。ルーキーイヤーからセットアッパーとして活躍し、21年まで14年連続で50試合以上の登板を記録しました。2024年8月4日、ソフトバンク戦でプロ野球史上初の400ホールドを達成。2016年、2018年、2019年には最優秀中継ぎ投手に選ばれています。2017年はWBC日本代表としても活躍。身長180センチ、体重81キロ、左投げ左打ち。今季の推定年俸は6500万円です。

【全米プロ】松山英樹選手が挑む難関「グリーンマイル」…刑務所の死刑台へと続く通路が名前の由来

男子ゴルフのメジャー第2戦、全米プロ選手権はクウェイルホロー・クラブ(7626ヤード、パー71)で開催されています。このコースの16~18番ホールは、その難易度の高さから「グリーンマイル」と呼ばれています。その名前の由来は、刑務所内で死刑台に続く通路が緑色の床で覆われており、「死に向かう長い道」として名付けられたことにあります。アメリカでは1990年代後半に、この通路を舞台にした奇跡の物語が小説として発表され、その後映画化もされています。この3ホールはすべて水が関与しています。16番ホールは529ヤードの長いパー4で、グリーン左奥には池が控えています。17番は223ヤードのパー3で、池を越えるホールとなっており、左から奥に広がる池からの風が影響を与えます。18番は494ヤードのパー4で、左側には小川が続き、フェアウェーからわずか数ヤードで球が転がり落ちることがあります。このコースは1961年にオープンされ、2016年には名デザイナーであるトム・ファジオ氏によって改修されました。2017年には全米プロ選手権、2022年にはプレジデンツ・カップが開催されています。マスターズ・トーナメントで知られるオーガスタ・ナショナルGCには、11~13番ホールが「アーメンコーナー」と呼ばれ、祈りの気持ちで挑むことで有名です。数々のドラマを生み出してきましたが、今週は「グリーンマイル」での逆転劇が期待されます。

プロスピAでイチロー氏に新たな特殊能力 松井秀喜氏との対談が公開「イチローさんは特殊能力だらけ」

株式会社コナミデジタルエンタテインメントは15日、YouTubeの「パワプロ・プロスピ公式チャンネル」で、イチロー氏(現在51歳、シアトル・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)と松井秀喜氏(現在50歳、ニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザー)の特別対談動画を公開しました。モバイルゲーム『プロ野球スピリッツA』では、16日よりイチロー氏に新たな特殊能力が追加されます。既存の特殊能力「イチロー」の効果が強化され、さらに広い角度でヒットを打ちやすくなる「ハイアベレージヒッター」が新たに実装されます。   ◇   ◇   ◇【イチロー氏と松井氏の一問一答】-松井さんは、イチローさんがアメリカに挑戦することについてどのように感じていましたか?松井氏: 「気にしていました。日本で見ていたイチローさんがメジャーに行って、どんな打撃やプレーをするのか非常に興味がありましたね。かなり注目していました。」イチロー氏: 「松井さんがアメリカでプレーしたいと強く思ったのはいつだった?何かきっかけがあった?」松井氏: 「1999年のプレーオフでヤンキースの試合を観に行きました。ヤンキー・スタジアムで試合を見て感動しました。あの感動が忘れられなくて、『メジャーに行きたい』と思いました。」イチロー氏: 「日本でプレーしている時に、何をしても打てると感じたことはなかった?それで寂しさを感じることはなかった?」松井氏: 「イチローさんがそう感じているのはよくわかる気がします。日本でのプレーが満たされないと思っていたのは感じていましたね。イチローさんの打席を見ながら、自分ならどうだったかと考えたことはありました。」 -追い込まれた際の打席でのアプローチは?イチロー氏: 「できるだけボールを長く見る。変化球を待ちながら直球にも対応するというスタイルで、これにはアメリカでも驚く人が多いです。遅い球を待ちながら直球を打つのは難しいですが、ショートの後ろに落とす技術が僕の特徴でした。」松井氏: 「言っていることは非常に理解できますが、それを実行するのはまた別の話です。遅い球を待ちながら速球も対応できる打者は少ないと思います。自分も遅い球を待ち、速いボールが来たら手が出てもキャッチャーミットに入るイメージがありますね。」イチロー氏: 「僕は、キャッチャーミットに収まる瞬間にファウルができれば良いという感覚ですね。」松井氏: 「イチローさんの能力は特殊能力だらけなんですよ。」-イチローさんは全てにおいて特化している?松井氏: 「全てが特殊能力です。我々から見るとそう思いますね。全ての能力が高い選手はいないと思います。自分は打つことに特化していますが、全てに特化している選手はいません。」

【日本ハム】2カード連続で勝ち越し!郡司裕也が34打席ぶりに勝ち越しの2点適時打、宮西尚生が今季1勝

日本ハムは試合の終盤で勢いを見せ、2カード連続の勝ち越しを達成しました。0-0で迎えた7回1死満塁の場面で、捕手の郡司裕也選手(27)が左前に2点の適時打を放ち、試合をリード。郡司選手は4月22日の楽天戦以来、33打席連続無安打と苦しんでいましたが、この34打席ぶりのヒットが貴重な決勝打となりました。さらに8回無死満塁の場面では、捕手伏見寅威選手(35)が中前に適時打を打ち、内野手の水野達稀選手(24)は右翼への2点適時二塁打を追加し、追加点を挙げました。 投手陣では、今季初登板で初先発の細野晴希投手(23)が勝利を逃したものの、6回で6安打2四球無失点の好投を見せました。0-0の7回2死三塁の場面で、3番手として登板した宮西尚生投手(39)が880試合連続リリーフ登板のプロ野球新記録を達成。マウンドではオリックスの西川選手を二ゴロに打ち取り、無失点に抑える好投を見せ、その直後の7回裏にチームが勝ち越したため、今季初の勝利が転がり込みました。 この結果、チームは貯金を7に増やし、2位とのゲーム差を2に広げました。

【DeNA】マルセリーノ、嬉し涙の支配下昇格 「スーツで来て」との連絡に「何かやらかしたかと」

DeNAは15日、ハンセル・マルセリーノ投手(22)と支配下選手契約を結ぶことを発表しました。背番号は「98」です。記者会見に臨んだマルセリーノ投手は、「この日を夢見て日本に来てから頑張ってきたので、涙が止まりませんでした」と喜びを語りました。この知らせは不意に訪れました。当日の朝、通訳の方から「スーツを着て横浜スタジアムに来て欲しい」と連絡があり、「何か問題でも起こしたのかと心配しましたが、良いニュースで良かったです」と胸をなでおろしました。マルセリーノ投手は2021年オフに入団し、今シーズンで4年目を迎えます。これまでイースタン・リーグで14試合に登板し、防御率2.51を記録。150キロ台後半の直球とユニークなスライダーを武器に、奪三振率17.58の高い数字を維持しています。「自信のあるストレートを駆使して、皆さんを驚かせたい」と意気込みを見せました。

元小結北勝富士が引退「いい相撲人生」年寄「大山」襲名 横綱白鵬からの金星は「大きな財産」

日本相撲協会は、5月15日の夏場所5日目に元小結の北勝富士(32)の現役引退と年寄「大山」襲名を発表しました。今後、八角部屋の部屋付き親方として新たなキャリアを開始し、後進の育成に努めることになります。北勝富士はこの日、八角親方(元横綱北勝海)とともに両国国技館で記者会見を行いました。東十両8枚目だった3月の春場所では3勝にとどまり、今場所は約9年ぶりに幕下に降格。首や右膝の痛みもあり、初日から休場していましたが、今場所中に引退を決断しました。約10年間の現役生活について、北勝富士は「10年、そして10歳から始めた相撲を約23年間、一生懸命取り組んできました。悔しい思いもしましたが、充実した相撲人生でした」「1日1番に全力を尽くし、それで全てが終わってもいいという覚悟で取り組みました。最後まで貫けたことが自分の誇りです」と振り返りました。北勝富士は新入幕時に、本名の大輝から「北勝富士」に改名。師匠の「北勝海」から「北勝」、師匠の師匠の「北の富士」から「富士」をもらったといいます。その名前について「師匠から、この名前を良くするのは自分次第と言われて、とても意識するようになりました」。北の富士さんは昨年11月に亡くなりましたが、北勝富士は「多くの励ましをいただき、『まだこれからだぞ』と言われ続けたことが心に残っています。これからもさらに努力を重ねていきたい」とコメントしました。印象的な取組としては、横綱白鵬を下した試合と学生時代のライバル、御嶽海との対戦を挙げました。2018年初場所での白鵬戦では、3度目の対戦で初めて勝利し、金星を挙げました。「子どもの頃から最強の人と対戦したいと思っていたので、実際に土俵で勝てたことは自分にとって大きな財産です」と振り返りました。御嶽海とは28回の対戦があり、成績は12勝16敗。「同期の御嶽海関との熱い戦いは自分の成長を感じさせてくれるものでした」と語り、引退決断後には御嶽海から「お前のおかげで切磋琢磨できた」との感謝の言葉がありました。八角親方は「全てやりきったと思います。リハビリも含め、本当によく頑張りました」と労い、「怪我を乗り越えた経験が、今後の親方としての活動に生かされるでしょう」と期待を寄せました。【佐々木一郎】◆北勝富士大輝(ほくとふじ・だいき)本名・中村大輝。1992年(平成4年)7月15日生まれ、埼玉県所沢市出身。10歳から相撲を始め、埼玉栄高校で高校横綱、日本体育大学では学生横綱を獲得。2015年春場所で初土俵、2016年名古屋場所で新十両、同年九州場所で新入幕。2017年名古屋場所から4場所連続で金星を獲得。23年名古屋場所では12勝を挙げ、優勝決定戦に進出し、豊昇龍に敗れました。最高位は小結で、三賞は殊勲賞1回、技能賞2回。金星は現役最多タイの7個。通算成績は424勝368敗37休。