Year: 2025

【中日】井上監督、早ければ7月から金丸夢斗の中6日リミッター解除「経験させておかないと」

中日井上一樹監督(53)がドラフト1位金丸夢斗投手(22)の登板間隔について、早ければ7月から「中6日」のリミッターを解除する考えを明かした。金丸は22日2軍阪神戦(ナゴヤ)に調整登板。5回4安打無失点で2軍で2勝目を挙げた。井上監督は「間が空きすぎるのもいけないから」と前回13日西武戦(ベルーナドーム)から中8日で投げさせたことを説明した。昨年春の腰痛を考慮し、1軍デビュー戦の5月5日DeNA戦から次戦への登板間隔は中10日から中7日とまだ中6日はない。「次、いきなり中6日ということはない」と次回登板は7月1日からのDeNA3連戦(横浜)になりそうだ。「あいつには来年以降も投げてもらわないといけない。先発は中6日で回るというものを今年、経験させておかないといけないというのはある」と、今季中に中6日のリミッターを解除する考えだ。7月、8月の夏場には今、先発で回っている涌井秀章投手(39)、大野雄大投手(36)、松葉貴大投手(34)らの疲労も考慮しなければならない。「ベテランが中6で回っていくとも思わない。そういうプランもある」と、金丸を早ければ7月から中6日でフル回転させ、大エースへ成長させる下地にする。【石橋隆雄】【関連記事】中日ニュース一覧

【阪神】村上頌樹から始まる首位固めローテ「1発目勝てるように」広島キラー伊原、大竹は週明け

首位固めへ、阪神が先発ローテを再編する。交流戦ブレークが明けた27日からは通常のリーグ戦が再開。まずは村上頌樹投手(26)が中6日で27日ヤクルト戦(神宮)に先発する見込みだ。「いつも通り過ごしたい。休むところはしっかり休んで、体を追い込むところは追い込んで。メリハリをしっかりしたい」とイメージした。25日に誕生日を迎え、27歳最初のゲーム。ここまで両リーグトップタイの7勝を挙げている一方、交流戦での3試合は白星を逃していた。「1発目を勝てるように、自分の仕事を。しっかり投げられるようにやっていきたい」。この日は甲子園室内での投手指名練習に参加。今季の開幕投手が、まずはバースデー星で流れを呼び込む。ヤクルト戦は28日にデュプランティエ、29日に伊藤将が続く見通し。7月1日からの巨人3連戦(甲子園)は才木、大竹、伊原と続く見込みだ。伊原は2度目の巨人戦先発。前回も6回1失点に抑え、対戦防御率0・47と好相性だ。また、翌週戦う広島にも3連勝中。通算11勝1敗のコイキラー大竹とともに、万全の態勢で迎え撃つ。何より、村上を除く全員が中8日以上空いての登板になる。リフレッシュした先発陣でガッチリ首位を固めにかかる。【関連記事】阪神ニュース一覧

【球宴】阪神森下翔太がトップ68万4653票 2位日本ハム万波中正/ファン投票最終中間発表

日本野球機構(NPB)は23日、マイナビオールスターゲーム2025(7月23日=京セラ、同24日=横浜)のファン投票の最終中間発表を行った。両リーグ最多得票は阪神森下翔太外野手(24)の68万4653票で、パ最多は日本ハム万波中正外野手(25)の64万4537票だった。各部門1位(外野手は3位まで)の球団別はオリックスの6人が最多。阪神5人、日本ハム4人と続いた。楽天のルーキー宗山塁遊撃手(22)はルーキートップの40万9044票を獲得した。最終結果は7月1日午後4時に発表する。選手間投票は3日、監督選抜を含むメンバーは7日、プラスワン投票の結果は16日に発表する。【関連記事】阪神ニュース一覧

【データ】大谷翔平、制球力が大幅に向上 落差84センチの「縦スライダー」が新たな武器に

ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手が2度目の復帰登板で、その制球力が大きく改善されました。ストライク率が前回の57%から67%に急上昇し、初球は全4打者に対してストライクを取ることでカウントで追い込まれることがありませんでした。直球の最速は98.8マイル(約159キロ)で、前回の100.2マイル(約161キロ)から少し落としていますが、直球の平均球速も99.1マイル(約159キロ)から97.9マイル(約158キロ)に下がりました。しかし、直球の1分間あたりの平均回転数は2271から2392に大幅に上昇し、重力を除いたホップ量も13.4インチ(約34センチ)から14.5インチ(約37センチ)に増加しました。前回「中心に投げた」とされるシンカー(ツーシーム)は投げず、今季初めてカットボールを3球投げましたが、最後の18球目はそれまでの2球とは明らかに異なり、鋭く縦に落ちる軌道を描きました。落差33インチ(約84センチ)は、2球投げたスプリットの平均落差30.5インチ(約77センチ)を上回り、分類が難しい「縦スライダー」として新たな武器になる可能性があります。【斎藤直樹】

山崎照朝さんが「静かに旅立ちました」–息子の倍実氏が報告「一切弱音を吐かず毅然とした姿勢を貫いた」

極真空手の初代全日本王者で、「極真の龍」と称された山崎照朝(やまざき・てるとも)さんが、22日に胆管がんにより亡くなりました。享年77歳。山梨県のご出身で、23日にご家族がSNSを通じて発表されました。山崎さんは現役時代、キックボクシングでも活躍し、人気漫画『あしたのジョー』のキャラクター「力石徹」のモデルになったことでも知られています。引退後は、ボランティアとして空手の指導に携わる一方、格闘技評論家としても活躍しました。葬儀と告別式は、26日午前9時半から埼玉県越谷市の斎場で執り行われます。喪主は妻のせつ子(せつこ)さんです。   ◇   ◇   ◇山崎さんは、今年1月まで東京中日スポーツで「山崎照朝 撃戦記」というコラムを連載し、ボクシングの現場にも積極的に参加されていました。その後、闘病生活を送っていたとのことです。息子の倍実氏はSNSで「胆管がんとの闘病の末、静かに旅立ちました」と報告し、「最後まで一切弱音を吐くことなく(中略)毅然とした姿勢を貫いてくれました」と綴りました。山崎さんは、山梨県の都留高校に在学中、極真会館に入門し、その後、日本大学への進学を経て頭角を現しました。1969年、大山倍達館長の勧めで、当時人気を博していたキックボクシングのリングに上がり、8連続KO勝利を収め、一躍スターとなりました。同年9月には、極真会館の第1回全日本選手権で優勝し、その野性的な技から「極真の龍」と呼ばれ、『あしたのジョー』の「力石徹」のモデルとなりました。1973年の全日本選手権準優勝を最後に、選手として引退した山崎さんは、ボクシング記者や格闘技評論家として活動を続け、さらに女子プロレスのコーチとしてクラッシュ・ギャルズなどを指導しました。また、埼玉県さいたま市内に空手道場「逆真会館」を設立し、週末には長年にわたってボランティアで指導を行っていました。

【南北海道】昨秋部員1人から始まった札幌あすかぜが健闘 指揮官は北照で甲子園8度の河上敬也監督

2年ぶりに単独チームで大会に挑んだ札幌あすかぜは、ベンチ入り9人ながら初回に3点を先制し、奮闘しました。3年生1人、2年生1人、1年生7人のチームメンバーは、昨春から指導を開始した元北照の河上敬也監督(66)の下で、秋に向けて大きな一歩を踏み出しました。 わずか9人で戦い抜いた札幌あすかぜは、さわやかな風を札幌円山に吹き込みました。北照を春夏通じて甲子園に8度導いた河上監督は昨年4月から指導を始めました。「選手たちだけでなく、私やコーチの全員が、やればできると自信を持つことができました」と、この結果に満足しています。 その決意は初回の攻撃に表れました。1回、2アウト1、2塁で5番の主将、長岡宏紀外野手(3年)が先制の中前適時打を放ちました。続いて荒川亮二外野手(2年)も中前適時打で3点を奪いました。 秋には荒川一人だけの部員で大会に出場できなかった危機的状況から、今年4月に7人の新入生が入部しました。さらに1年生のときに退部していた長岡も監督の要請で復帰。「辞めたことを後悔しており、大好きな監督の下で後悔なく最後を迎えたかった」と語ります。今春は札幌北斗と合同チームでの出場でしたが、最後の夏に念願の単独チームとしてグラウンドに立ちました。 春からは河上監督を慕う北照出身のOB13人がコーチとして指導に加わり、キャッチボールもままならなかった選手たちがわずか2ヶ月で急成長を見せました。2安打1打点を記録した長岡は「最初はボールに当てられなかったが、監督の直接指導で打てるようになりました」と語ります。孤独だったときに退部を決意した荒川も、「監督が留まらせてくれ、コーチも丁寧に教えてくれたおかげで今回のヒットにつながりました」と感謝の意を表しています。 単独チームで記録した価値ある3得点。秋以降の公式戦で1勝を目指し、名将のもとさらなる成長を遂げていきます。

豊田真奈美元女子プロレスラー、山崎照朝さんを偲び感謝の意を表す 入門選考での思い出「『先生が言うなら』と合格」

女子プロレス界のレジェンドとして名を馳せる豊田真奈美氏(54)が23日、自身のX(旧ツイッター)を更新しました。「悲しいお知らせ」と題して、22日に胆管がんで77歳で亡くなった元極真空手の初代全日本王者、山崎照朝さんへの追悼の意を表しました。豊田氏は、全日本女子プロレスの入門オーディションで山崎さんが選考担当をしていた時のエピソードを振り返り、「私はオーディションの最終選考で落ちていたそうです」と述べました。「しかし、合格者の発表の前に山崎先生が『この子は取っといた方が良い』とおっしゃってくださり、『先生が言うなら』ということで合格することができたと、後になってから聞きました」と、感謝の意を示しました。また、「先生に目を留めていただけなければ、プロレスラーとしての豊田真奈美は存在しなかったでしょう」「先生、プロレスラーの豊田真奈美を誕生させていただき心から感謝いたします」「本当にお世話になりました。ご冥福をお祈り申し上げます」と、追悼の言葉と共に感謝の気持ちを表明しました。

【体操】東京五輪2冠の橋本大輝「菊池病」の可能性「高校生の時も同じ症状があり再発という診断」

体操男子で2021年東京五輪2冠の橋本大輝(日本生命・セントラルスポーツ)が23日、リンパ節に良性の炎症が起きる「菊池病」の可能性が高いと診断されていたことを明らかにした。体調不良を押して出場した5月のNHK杯後に病院で血液検査を受け、異常が見つかったという。「高校生の時も同じような症状があり、再発という診断だった」と説明した。当初はインフルエンザとの診断で、服薬後もしばらく熱が下がらなかった。この日は東京都内での強化合宿に元気に参加。原因不明の病気で、再発防止に向けて「先生と相談し、良くなるために何をするかを考えてもらっている」と話した。

「野球界では誰も打てないでしょう」新人王&最多勝のMLB名左腕が大谷翔平のスイーパーに驚き** **

** マーリンズやタイガースで活躍し、数々の輝かしい成績を残した左腕投手、ドントレル・ウィリス氏(43)は、今季2度目の登板を迎えたロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平投手(30)について、その素晴らしいピッチングを深く解析しました。 「スポーツネットLA」に出演したウィリス氏によると、その日の大谷はスイーパーやスプリットを駆使し、2つの三振を奪取。1イニングを18球で無失点に抑えるという完璧な内容でした。ウィリス氏は、まず663日ぶりとなった大谷の二刀流復活の初日(16日)の試合について分析し、「彼のフォームに注目してほしい。初登板では彼が少し緊張していたように見えました。グラブを持つ手の動きが上体を左右に揺らし、投球に影響を与えていましたが、これは努力の賜物です。」とコメントしました。 今回の登板について、ウィリス氏は「大谷は非常に落ち着いていました。彼のグラブの動きが上下に整えられ、投球の軌道が安定していました。初登板で決まらなかった変化球も、この日は見事に決まっていました。スイーパーの鋭い曲がりと速さは、他の選手が打つのは難しいでしょう。スプリットも素晴らしく、大事な場面での決め球が的確に投げられるようになった」と絶賛しました。 ウィリス氏自身もマーリンズ在籍時の2003年には14勝を記録し、新人王に輝き、2005年には22勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得し、2006年WBCではアメリカ代表に選出されるなど、輝かしいキャリアを持っています。

なぜ、総合格闘家ではないのか?ウルフ・アロンが新日本プロレス入団を決めた理由

「好き」を貫いた。21年東京オリンピック(五輪)柔道男子100キロ級金メダルのウルフ・アロン(29)が23日、新日本プロレス入団会見に出席した。「なぜプロレスをと言われたら、好きだから」。電撃入団の理由を、こう言い切った。柔道をとことん極めてきた。21年東京五輪で金メダル、24年パリ五輪にも出場した。好きなことは、勝つこと。今年4月、個人戦ラストの大会でもその姿勢は不変だった。体重無差別で日本一を決める全日本選手権。3回戦で敗退し、会場から大きな拍手を浴びた。充実の表情を浮かべるかと思いきや、目をぎゅっとつむり、天を仰いだ。「もっともっと上を目指してやってきたので、悔しい。最後の最後まで負けるのは嫌だなと思えた」。大好きな白星を逃したことを悔しがった。もう1つの「好き」を抑えられなかった。東海大時代に15、16年の講道館杯を連覇。17年に全日本選抜体重別で2連覇し、世界選手権も優勝。畳で大活躍する一方で、別の夢が沸き上がっていた。毎週、テレビ朝日系列で70年代から続く「ワールドプロレスリング」を録画視聴。「いつか柔道でやり残すことがなくなったら、プロレスをやりたいと思っていた」。学生時代から思い描いていた。パリ五輪を終え、新日本プロレスに直談判。29歳にして夢をかなえた。進路も一貫していた。92年バルセロナ五輪78キロ級金メダルで、所属のパーク24で総監督を務める吉田秀彦氏は、引退後に総合格闘家に転向した。08年北京五輪100キロ超級金メダルの石井慧が転身した例もある。五輪金メダリストがプロレス界に転向した前例はないが、あえてその道を進んだ。「僕はまず、そこまで総合格闘技が好きじゃない。自分が好きかどうかが、自分がやる上で一番大事なところ。好きじゃないものをやろうとはならなかった」と思いを明かした。自身のスタイルにも一致する。柔道時代から「人に対して、自分自身を見せることも、見られることも好き」と、テレビのバラエティー番組などに多く出演してきた。批判の声もあったが、意に介さなかった。今月10日の会見でも、引退後も変わらず「自分自身が表に立ちたい気持ちが強い」と明言していた。「しゃべるのも好き。体を動かして表現することも好き。全てを表に出したい、さらけ出したいような気持ちが強い」と、新たな道を選択した。デビュー戦は、来年1月4日の東京ドーム。一体どんなパフォーマンスを見せてくれるだろうか。【飯岡大暉】(柔道担当)プロレス転向電撃発表のウルフ・アロン「柔道を捨てるのではない」井上康生氏に事前報告…反応は