Month: June 2025

** 中畑清氏、長嶋茂雄さんの自宅へ弔問 「元気出せよ!と励まされている気がしました」 **

** 巨人の元選手である中畑清さん(71)は、3日に肺炎で亡くなった長嶋茂雄終身名誉監督の自宅を4日に訪れ、弔問しました。黒のスーツに身を包み、沈痛な表情での訪問でした。中畑さんは長嶋さんに対面し、「感謝しかありません。これからも目標にし、頑張りますとお伝えしました」と感謝の気持ちを述べました。別れを惜しむ中で、「(表情は)『おい、みんな元気か!元気出せよ!』って声をかけられているように感じました」と語り、恩師への別れの辛さをにじませました。長嶋さんとの対面で感じたことについては、「現実は悔しさに満ちています。それだけです」と述べました。この日早朝には、ヤンキースのGM付特別アドバイザーである松井秀喜氏(50)が弔問に訪れ、その後には元巨人監督の高橋由伸氏(50)が元日本テレビアナウンサーの妻、小野寺麻衣さん(49)とともに弔問しました。

【卓球】平野美宇、中国スーパーリーグ参戦を表明 世界女王・孫穎莎らが所属チーム

卓球女子でパリ五輪日本代表の平野美宇(木下グループ)が4日、自身のインスタグラムで最高峰の中国スーパーリーグに参戦することを表明した。「深■大学チームから参加できることを、とてもうれしく思います。頑張ります」と記した。25歳の平野は5月にカタールで行われた世界選手権個人戦の女子シングルスで2回戦敗退。日本代表での活動ペースを落とすことを明らかにし、帰国後は「また違う新しい気持ちで卓球に取り組んでいきたい。環境をちょっと変えてみたい」と語っていた。深■大学チームには世界選手権女子シングルスで2連覇を達成した孫穎莎らが所属している。(共同)※■は土ヘンに川

明大vs早大 先発は毛利と伊藤樹 東京6大学優勝決定戦/速報中

勝ち点4で同率の明治大学と早稲田大学が東京六大学野球の優勝をかけて決定戦に臨みます。昨秋に続く2シーズン連続の対決です。前回は早稲田が勝利しましたが、今回早稲田が勝てば3シーズン連続で49度目の優勝、明治が勝てば4シーズンぶりに44度目の優勝となります。今春の対戦では早稲田が2勝1敗で勝ち点を獲得しており、特に第2戦では早稲田の伊藤樹投手(4年=仙台育英)がノーヒットノーランを達成しました。 チーム123456789計 明大 0 早大 0 【早】伊藤樹(仙台育英) 【明】毛利(福岡大大濠) 試合経過 明大は1回表、 早大は1回裏、 スタメン 【明大】 1(左)田上=広陵 2(右)岸本=横浜 3(中)榊原=報徳学園 4(一)小島=東海大相模 5(三)宮田=横浜 6(二)木本=桐蔭学園 7(捕)福原=東海大菅生...

長嶋さんに「クセ者」として知られた元木大介氏「僕の結婚式では、親は長嶋さんが仲人であることを喜んでいました」

元読売ジャイアンツの選手である元木大介氏(53)は、4日放送のフジテレビ系情報番組「サン!シャイン」(月~金曜午前8時14分)に出演し、3日に亡くなったジャイアンツ交流終身名誉監督の長嶋茂雄さんに関する思い出を語りました。長嶋さんについて尋ねられた元木氏は、「僕にとって、それはプライベートな思い出です。野球に関する思い出はたくさんありますが、個人的には結婚式で仲人を務めてもらいました。当初は長嶋さんの息子である一茂さんにお願いしていたのですが、ある時、長嶋さんから突然『俺がやってやるよ』と言っていただきました。恐縮でしたが、彼の熱意に感謝しています。私の結婚式でしたけど、親は長嶋さんが仲人をしてくれることを非常に喜んでいました。いい親孝行ができたなと思いますね」と笑顔で振り返りました。現役時代、元木氏は監督として長嶋さんのもとでプレーし、リーグ優勝や日本一に貢献しました。「クセ者」という愛称もつけられ、日本の野球ファンに広く知られています。

松井秀喜氏「長嶋監督と素振りで会話したこと、1番の幸運」 最後に会ったのは1月/一問一答

元巨人でヤンキースGM付特別アドバイザーの松井秀喜氏(50)が米国から緊急帰国し、3日に肺炎のために亡くなった長嶋茂雄終身名誉監督と対面した。空港から直行し、4日午前4時57分、都内の恩師の自宅を訪れた。紺色のスーツに黒のネクタイ姿で訪れた松井氏を、次女の長島三奈さんが「おはようございます、松井さん」と出迎えた。午前7時10分すぎに弔問を終えて、報道陣の取材に応じた。一問一答は以下の通り。-長嶋さんは松井さんにとってどのような存在ですかひと言でこういう存在でしたと表すのはちょっと難しいかなと思います。長嶋さんは1人なんですけど、私からしたらたくさんの顔を持つ方だった。ひと言でいうのは難しいですね。それぐらいいろいろな意味で、たくさんのものを与えてくださって。そういう意味で、たくさんの顔を持つ、顔を持つというのはおかしいですかね、そういう存在でしたね。-たくさんの時間を過ごされたと思うのですが、一番の思い出はどのようなことでしょうか。一番は難しいですね。ほんとにいろんな、長嶋さん、いろんな監督、監督、選手として、また監督をお辞めになった後も、私はまだ選手を続けてた時のその関係性もありますし、また私が引退した後の関係性もありますし。その時その時で、いろんな関係性はあったと思います。なんか難しいですね、言葉にするのは。-普段の松井さんでしたら、素振りをされていた時間が一番念頭にあったかと思いますが、今日はどんな感情がありましたか。 そうですね、いろんな時間を過ごして、本当に私は幸せもので。長嶋監督といろんな時間を共有させてもらいましたし。その時その時の思い出っていうのはありますけど、やっぱり素振りで、素振りで会話したというか、素振りを通じて、野球選手としての大事な部分を授けてくださった。いち松井秀喜という野球選手に最も大切なことを授けてくださいましたし、そのことが私の中では1番幸運でもあり、また1番感謝してることでもあります。-おふたりで話されたということでしたけども、これから、どのような形で長嶋さんの意思を受け継いでいきたいなと考えてますか。私にね、たくさんのことを授けてくださいました。今後ね、どういう形で、また次の世代に継承していくかっていうことははっきりとした形を見えませんけどね。長嶋さんと生前約束したこともあります。ここでは、今はお話しできませんが。その約束を果たしたいと思ってます。-直近でお会いされたのはいつですか。1月ですね。1月の上旬にちょっと帰国する機会がありまして、その時にお会いしたのが最後ですかね。-最初に聞かれた時っていうのはどのようなお気持ちでしたか。いや、もうショックというか。ショックでしたね、やっぱり。【動画】松井秀喜さんが故長嶋茂雄さん弔問 約2時間無言の対面>>長嶋茂雄さん死去89歳 数々の伝説残したミスタープロ野球/まとめ>>

松井秀喜氏、長嶋茂雄さんとの「生前での約束」を明かす 緊急帰国後の静かな対面

元巨人軍の選手であり、現役でヤンキースの特別アドバイザーを務める松井秀喜氏(50)が、3日に亡くなった長嶋茂雄名誉監督とのお別れを果たしました。 訃報を受け、松井氏は米ニューヨークから約14時間のフライトで緊急帰国し、都内の長嶋氏の自宅を4日早朝に訪れ、故人と最後の対面をしました。名誉監督は肺炎でお亡くなりになられました。長嶋氏の次女である三奈さんの計らいで、松井氏は長嶋氏と二人きりで思い出を静かに振り返りました。 松井氏と長嶋氏の師弟関係は、1992年のドラフトから始まりました。巨人監督に就任が決まっていた長嶋氏がドラフト抽選を引き当て、松井氏は巨人に入団。長嶋氏の直接指導による「1000日計画」が始まり、素振りを通じて野球の大切さを学びました。そして、約2時間にわたる弔問を終えた松井氏は、「素振りを通じて多くのことを教えていただいたことは、私の人生の中で最も大きな幸運であり、感謝しています」と報道陣に語りました。 今後について尋ねられると、松井氏は「具体的にどのように次世代に継承するかはまだわかりませんが、長嶋さんと生前に約束したことがあります」とコメントしました。「詳細についてはここではお話しできませんが、その約束を果たすためにこれからも師弟関係は続いていく」とも話しています。

高橋由伸氏、妻の小野寺麻衣さんと故長嶋茂雄さんの自宅を弔問「笑みを浮かべているように見えました」

元巨人監督の高橋由伸氏(50)は、3日に逝去した長嶋茂雄さんの自宅を4日に訪れ、妻で元日本テレビアナウンサーの小野寺麻衣さん(49)と共に弔問しました。長嶋さんとの対面で高橋氏は、「関係者の方や三奈さん、中畑さんと共に色々な昔話や談笑をした中で、長嶋さんは今にも笑い出しそうな表情を浮かべているように思えました。我々の話を聞きながら、笑顔を見せ、本当に今でも笑い出しそうな感じでした」と話しました。高橋氏は思い出について、「長嶋監督がいたからこそ、ジャイアンツに入団できたと思います。監督は私を導いてくれた方であり、感謝の気持ちでいっぱいです。監督になってからは、2人で話す機会が増え、厳しく叱られたこともありますが、本当に支えてもらいました」と感謝の気持ちを述べました。また、同日早朝には元巨人でヤンキースGM付特別アドバイザーの松井秀喜氏(50)も弔問に訪れ、2時間以上滞在しました。「次女の三奈さんが『2人でじっくり話してください』と言ってくださり、2人きりで思い出を語り合いました」と語りました。元巨人の中畑清氏(71)も弔問に訪れました。

【巨人】坂本勇人、打席で感じた長嶋茂雄との特別な瞬間

読売ジャイアンツの終身名誉監督である長嶋茂雄さんは、3日の午前6時39分に都内の病院で肺炎のため亡くなりました。89歳でした。   ◇   ◇   ◇    日本プロ野球界には「長嶋茂雄伝説」として数多くの逸話があります。その影響を実感した1人が、坂本勇人内野手(36)です。坂本選手が長嶋さんと初めて直接会話を交わしたのは彼のプロ2年目の春季キャンプ。「君の将来を期待している」と声をかけられたこと、その時に体をそっと触られた際の「オーラがすごかった」という感動を今も覚えています。ある試合で、打席に立った坂本選手は、背中に熱を感じ、体から力が湧き出るような体験をしました。本塁打を放ち、ダイヤモンドを一周した際、バックネット裏から笑顔で声援を送る長嶋さんの姿が見えたのです。試合後に関係者から、長嶋さんが力強く机を叩きながら声援を送り、坂本選手に力を送っていたと聞かされると、彼は鳥肌が立ったと言います。「長嶋さんが与えてくれた力は本当に不思議です。球場に来られている日は、特に打てるように感じます」と坂本選手は語ります。思い返せば、2008年の初ホームランも、長嶋さんの偉業を称える「永久欠番シリーズ」の最終日で、ベンチに飾られた長嶋さんのユニホームを前に、球団初の10代での満塁ホームランを達成しました。球団創設80周年の記念行事の一環として行われた14年7月4日の中日戦では、金田正一さんが始球式を務め、長嶋さんが打席に立つ中での彼の活躍が注目されました。昨年の5月3日、阪神戦での球団創設90周年特別試合「長嶋茂雄DAY」では3安打を記録し、186度目の猛打賞で長嶋さんに肩を並べることができました。「長嶋さんのセレモニーの日にそんな成績を出せたことは本当に光栄ですし、素直に嬉しく思います」と坂本選手は、まるで運命に導かれているようだと振り返ります。【久保賢吾】

長嶋茂雄氏「書くのが仕事でしょ」心に響いた言葉

プロ野球の巨人軍で監督を2期15年間にわたり務めた長嶋茂雄さんが、肺炎により3日午前6時39分に都内の病院で亡くなりました。享年89歳でした。   ◇   ◇   ◇巨人軍のキャップ担当時代、長嶋監督の進退についての記事を書きました。96年にメークドラマの勝利を収めたものの、97年にはBクラスに沈み、98年の契約最終年も不調が続きました。国民的ヒーローである長嶋監督について書くことには大きなプレッシャーがありました。その夏は息苦しいものでした。ある日の7月31日、阪神戦でガルベス選手の不始末があり、彼は出場停止となりました。監督は丸刈りになって謝罪しましたが、チームの不調は続きました。そして1カ月後、「長嶋監督辞意」という記事を1面に掲載しました。その日の朝、自宅近くでランニング中の監督に出会いました。心臓が張り裂けそうでしたが、驚いたことに監督は笑顔を浮かべていました。「新聞買いましたよ、えっへっへ。家でじっくり読みますよ」。彼の澄んだ瞳が今でも忘れられません。その頃、読売新聞社はすでに次期監督候補との交渉を終えていました。しかし、長嶋監督はそのプロセスから外されたことに怒りを覚え、最終的には辞任を撤回しました。世論も疑念を抱き、渡辺オーナーは事態の収束を図り監督続投を決定しました。 結果的に誤報となり、どう責任を取るべきか悩んだ末、監督に時間をいただきました。険しい表情の彼に「こちらへおいで」と呼ばれ、ヤクルト戦の試合前、神宮球場の三塁ベース付近で会いました。「私は野球については何を書かれても構わない。野球以外のことやプライベートなら怒るけどね。だから(辞任の)記事はもう過ぎた話です。なんのわだかまりもないですよ。だって田さんだって書くのが仕事でしょ」。私の目に涙が浮かびそうになりました。記者としてよりも、人として救われた気持ちになりました。その時、三塁側内野席から巨人ファンが声をかけてきました。「ナガシマさ~ん!」。監督は右腕を上げ、歓声に応えました。彼がかつてサードポジションからスタンドを見るのが好きだと聞いたことがあります。そして私も見上げてみました。この光景が…。ファンからも、野球そのものからも、愛され続けてきた「長嶋茂雄」がそこにいました。【97、98年巨人キャップ=田誠】

大谷翔平、出るか2試合連続ホームラン24号「1番DH」でメッツ戦 5月の月間MVPに選出/速報します

ドジャースの大谷翔平選手は「1番DH」で先発出場を果たしました。前日には日本の野球界のレジェンド、長嶋茂雄終身名誉監督が逝去し、大谷選手は自身のインスタグラムでその死を悼む投稿をしました。試合では追悼の意を込めて23号のソロホームランを放ち、2試合連続ホームランとなる24号に期待が高まっています。 さらに、この日、大谷選手はナショナル・リーグ野手部門で5月の月間最優秀選手(MVP)に選ばれました。昨年9月以来の受賞で、5月としては初の快挙となりました。エンゼルス在籍時を含め通算6度目の受賞となり、自身が持つ日本人選手最多受賞記録を更新しました。 ドジャースは、左足つま先を骨折していたベッツ選手が2番ショートで復帰しました。 チーム123456789計 メッツ 0 ドジャース 0 大谷翔平第1打席 ドジャース大谷翔平(25年4月撮影)