Month: June 2025

「野球界では誰も打てないでしょう」新人王&最多勝のMLB名左腕が大谷翔平のスイーパーに驚き** **

** マーリンズやタイガースで活躍し、数々の輝かしい成績を残した左腕投手、ドントレル・ウィリス氏(43)は、今季2度目の登板を迎えたロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平投手(30)について、その素晴らしいピッチングを深く解析しました。 「スポーツネットLA」に出演したウィリス氏によると、その日の大谷はスイーパーやスプリットを駆使し、2つの三振を奪取。1イニングを18球で無失点に抑えるという完璧な内容でした。ウィリス氏は、まず663日ぶりとなった大谷の二刀流復活の初日(16日)の試合について分析し、「彼のフォームに注目してほしい。初登板では彼が少し緊張していたように見えました。グラブを持つ手の動きが上体を左右に揺らし、投球に影響を与えていましたが、これは努力の賜物です。」とコメントしました。 今回の登板について、ウィリス氏は「大谷は非常に落ち着いていました。彼のグラブの動きが上下に整えられ、投球の軌道が安定していました。初登板で決まらなかった変化球も、この日は見事に決まっていました。スイーパーの鋭い曲がりと速さは、他の選手が打つのは難しいでしょう。スプリットも素晴らしく、大事な場面での決め球が的確に投げられるようになった」と絶賛しました。 ウィリス氏自身もマーリンズ在籍時の2003年には14勝を記録し、新人王に輝き、2005年には22勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得し、2006年WBCではアメリカ代表に選出されるなど、輝かしいキャリアを持っています。

なぜ、総合格闘家ではないのか?ウルフ・アロンが新日本プロレス入団を決めた理由

「好き」を貫いた。21年東京オリンピック(五輪)柔道男子100キロ級金メダルのウルフ・アロン(29)が23日、新日本プロレス入団会見に出席した。「なぜプロレスをと言われたら、好きだから」。電撃入団の理由を、こう言い切った。柔道をとことん極めてきた。21年東京五輪で金メダル、24年パリ五輪にも出場した。好きなことは、勝つこと。今年4月、個人戦ラストの大会でもその姿勢は不変だった。体重無差別で日本一を決める全日本選手権。3回戦で敗退し、会場から大きな拍手を浴びた。充実の表情を浮かべるかと思いきや、目をぎゅっとつむり、天を仰いだ。「もっともっと上を目指してやってきたので、悔しい。最後の最後まで負けるのは嫌だなと思えた」。大好きな白星を逃したことを悔しがった。もう1つの「好き」を抑えられなかった。東海大時代に15、16年の講道館杯を連覇。17年に全日本選抜体重別で2連覇し、世界選手権も優勝。畳で大活躍する一方で、別の夢が沸き上がっていた。毎週、テレビ朝日系列で70年代から続く「ワールドプロレスリング」を録画視聴。「いつか柔道でやり残すことがなくなったら、プロレスをやりたいと思っていた」。学生時代から思い描いていた。パリ五輪を終え、新日本プロレスに直談判。29歳にして夢をかなえた。進路も一貫していた。92年バルセロナ五輪78キロ級金メダルで、所属のパーク24で総監督を務める吉田秀彦氏は、引退後に総合格闘家に転向した。08年北京五輪100キロ超級金メダルの石井慧が転身した例もある。五輪金メダリストがプロレス界に転向した前例はないが、あえてその道を進んだ。「僕はまず、そこまで総合格闘技が好きじゃない。自分が好きかどうかが、自分がやる上で一番大事なところ。好きじゃないものをやろうとはならなかった」と思いを明かした。自身のスタイルにも一致する。柔道時代から「人に対して、自分自身を見せることも、見られることも好き」と、テレビのバラエティー番組などに多く出演してきた。批判の声もあったが、意に介さなかった。今月10日の会見でも、引退後も変わらず「自分自身が表に立ちたい気持ちが強い」と明言していた。「しゃべるのも好き。体を動かして表現することも好き。全てを表に出したい、さらけ出したいような気持ちが強い」と、新たな道を選択した。デビュー戦は、来年1月4日の東京ドーム。一体どんなパフォーマンスを見せてくれるだろうか。【飯岡大暉】(柔道担当)プロレス転向電撃発表のウルフ・アロン「柔道を捨てるのではない」井上康生氏に事前報告…反応は

「試合中のボールに手を出しちゃいけないと…」大谷翔平の本塁打球は幻も尾中さんがグッドマナー

日本人ファンである尾中亮介さん(43歳)と息子の仁くん(7歳)が、大谷翔平選手(30歳)の26号ホームランボールを惜しくもキャッチすることができませんでした。試合の中で、大谷選手は11-3とリードする8回1死一塁の場面で、ラトリッジ選手の直球を力強く左翼へ運びました。打球は左中間席に座っていた亮介さんのグラブに一度当たり、外野へと転々としました。最終的に大谷選手は二塁に留まりましたが、審判団がビデオ判定を依頼した結果、ホームランと認められ、8試合ぶりの26号2ランとなりました。幻のホームランボールとなってしまいましたが、亮介さんの頭を抱える姿と仁くんの涙する様子が中継映像に映されました。亮介さんはフェンスの向こう(グラウンド側)に手を出さず、フェンスを越えたところでボールと接触したため、プレーを妨害することはありませんでした。報道陣に対し尾中さんは、「試合中に手を出してはならないと思っていたのですが、逆に力が入ってしまったんです。妻からも『手を出さないで』と釘を刺されていました。結局、僕が彼(仁くん)を押しのけて手を当ててしまったので、すごく泣いていました(笑)」と苦笑いしながら語りました。プレミア級の価値があるはずのホームランボールは幻に終わりましたが、フレディ・フリーマン内野手(35歳)のファンである仁くんにとっても、忘れられない思い出となりました。

【日本ハム】新庄監督、待望のアイテムが到着 コーチ陣にも「ぜひ来て!」

日本ハムの新庄剛志監督(53)は、23日に自身のインスタグラムストーリーズで、自宅に酸素カプセルを設置したことを明かしました。22日に行われた交流戦の最終戦、中日との3連戦を締めくくった新庄監督は、自宅に設置した酸素カプセルの写真を投稿し、「待ちに待った酸素カプセルがついに家に設置された!」と、拍手の絵文字とともに喜びの声をあげました。さらに、「これで心身ともに疲れを癒し、後半戦に向けて頑張りましょう。コーチのみんなも頭をリフレッシュしにぜひ来てください!」と、コーチ陣にもリフレッシュを勧めていました。

プロレス転向の五輪金ウルフ・アロン「棚橋選手といつか戦いたい気持ち」1月4日に東京ドームで対戦!?

2021年東京オリンピック(五輪)で柔道男子100キロ級金メダリストとなったウルフ・アロン(29)が、新日本プロレスに正式に入団することが発表されました。これは23日に都内のホテルで行われた会見で、新日本プロレスの棚橋弘至社長や親会社ブシロードの木谷高明代表取締役と共に明かされたもので、ウルフは晴れて新日本の一員となりました。そして2026年1月4日、東京ドームでの新日本プロレス大会でプロレスデビューを果たす予定です。この東京ドーム大会では、会見に同席した棚橋選手の引退試合が予定されています。まだ対戦相手は公表されていませんが、ウルフは「来年1月4日が棚橋選手の引退試合ということで、少し寂しい気持ちがあります。私はワールドプロレスリングや新日本プロレスを見て育ち、棚橋選手といつか戦いたいという気持ちがあります。どうですか?」と、対戦相手として名乗りを上げる姿勢を見せました。棚橋選手は「これは興行面での話ですが、別々にする方が面白いかもしれませんね。これから一緒に練習する機会もあると思いますし、無観客でやるのも面白いかなと思います。ちょうど入れ替わりのタイミングですね。ファンの皆さんも、ウルフ・アロンと棚橋弘至が戦うところを見たいと思うかもしれませんが…。それは想像にお任せします」と、慎重に答えました。

東京オリンピック柔道金メダリストのウルフ・アロン、新日本プロレスへの入団が決定

2021年東京オリンピック男子柔道100キロ級で金メダルを獲得したウルフ・アロン(29歳)が新日本プロレスに入団することが、23日に発表されました。金メダリストがプロレスラーに転向するのは、日本では初めてのことです。東京都内のホテルで行われた記者会見では、新日本プロレスの棚橋弘至社長と親会社ブシロードの木谷高明代表取締役も同席しました。ウルフは「新たなステージで挑戦できることに喜びを感じています」と語り、「パリオリンピック後の1年間、やり残しのないようにプロレスの道を選びました。プロレスが好きだからです。自分のすべてを見せることができるのがプロレスです」とその決意を表明しました。デビュー戦は2026年1月4日に、新日本プロレスの年間最大のイベント、東京ドーム大会で予定されています。ウルフは「デビュー戦が特例だという意識を持って、ゼロからスタートします。半年間、一瞬一瞬を無駄にしないよう全力で挑戦します」と述べました。新日本プロレスでは、昨年3月にオカダ・カズチカがAEWに参加し、内藤哲也も退団したばかりです。また、看板選手であり社長でもある棚橋弘至は来年1月4日の東京ドーム大会で引退となります。団体は世代交代の過渡期にあり、ウルフ選手への期待が高まります。また、21年には紫綬褒章も受賞しており、東京オリンピック後には多くのバラエティ番組に出演し、お茶の間の人気者となりました。アントニオ猪木の時代から続く「ストロングスタイル」を体現する実力とファンを引きつける能力を持っているため、新たな新日本プロレスの顔になる可能性を秘めています。 ウルフは6歳から柔道を始め、千葉県の東海大浦安高校、そして東海大学時代には数多くのタイトルを獲得しました。2021年の東京オリンピック男子100キロ級では、2000年シドニーオリンピック以来となる日本人の金メダルを獲得しました。2024年のパリオリンピックでは7位になりました。今月8日には、現役最後の試合となる全日本実業団体対抗大会に出場し、個人で3戦全勝し、チームは準優勝を果たしました。柔道からプロレスへの転向は、1965年の全日本選手権優勝者、坂口征二が旭化成からプロレスに転向した例があります。また、1992年バルセロナオリンピック男子95キロ級銀メダリストの小川直也は1997年にプロ格闘家に転向し、総合格闘技にも参戦しました。1964年の東京オリンピック無差別級金メダリストのアントン・ヘーシンク(オランダ)は1973年に全日本プロレスに加入しました。女子では、66キロ級で世界選手権銅メダリストの神取忍がジャパン女子プロレスに入門した例があります。◆ウルフ・アロンについて:1996年2月25日、東京都生まれ。6歳から春日柔道クラブで柔道を始める。千葉の東海大浦安高校時代には選手権、金鷲旗、全国総体などで優勝。東海大学時代には2015年と2016年の講道館杯を連覇。2017年には全日本選抜体重別で2連覇し、世界選手権でも優勝。2019年には体重無差別の全日本選手権で優勝。東京オリンピックで優勝した翌年には紫綬褒章を受章。2024年のパリオリンピックでは7位。左組みの柔道スタイルで、得意技は大内刈り。身長181センチ、血液型はA型。

ロバーツ監督、大谷翔平のクローザー起用は否定「今のところそれは正しい起用法ではないですね」

23日午前8時、ドジャースのデーブ・ロバーツ監督(52)へのABEMA独占インタビュー企画「おはようロバーツ」が放送されました。ロバーツ監督は、ファンの間でささやかれている「打者出場→クローザー」への起用法について、完全に否定しました。「それはないでしょう」ときっぱりと述べ、試合の流れ次第で突然準備をする必要があるクローザーとしての起用は適任ではないと説明しました。大谷について、「試合前にしっかり準備し、投げるタイミングを把握しておくことが重要です。クローザーとしての準備は、電話が鳴ったらすぐに開始しなければなりません。今のところ、それは正しい起用法ではないですね」と指摘しました。大谷は16日(日本時間17日)のパドレス戦で663日ぶりに投手として復帰しました。今季初登板は先発で1回を2安打1失点とし、22日(日本時間23日)のナショナルズ戦での2度目の先発では、1回を無安打2奪三振と順調な調整を見せました。

ロバーツ監督が語る“投手大谷翔平”の電撃復帰の舞台裏 〜 予定を早めたキーマンたちの思惑

ロサンゼルス・ドジャースのデーブ・ロバーツ監督(52)へのABEMA独占インタビュー「おはようロバーツ」が23日午前8時に放送されました。このインタビューで、ロバーツ監督はドジャース所属の大谷翔平投手(30)がオールスター前に登板する可能性に言及しました。しかし、インタビューから12日後には電撃的に「投手大谷」が復帰しました。その背景についてロバーツ監督が語りました。登板の4日前に大谷選手から「月曜日にライブBPを行うなら、試合でも投げられるかもしれません。1イニングだけならメジャーの試合でも投げられます」との連絡があったと明かしました。大谷選手自身、代理人、アンドリュー・フリードマン球団編成本部長、医師、トレーナー、投手コーチらが集まり相談しました。フリードマン本部長が「翔平が登板したいと言っているがどう思いますか」と聞かれた際、ロバーツ監督は「1イニングだけ投げて、あとは打者に専念してもらう。チームにとって助かるだろうと思いました」と提案しました。結果として、大谷選手は1イニングの投球を承諾し、関係者全員が一致して予定を前倒しした投手復帰を果たすことになりました。今後の起用方針についてロバーツ監督は「右肘の手術(2023年9月)から時間が経っています。リハビリを急がせず、イニング数を管理すれば大丈夫だと思います」と語り、「2イニング投げられるなら1イニングがちょうどいい。3イニング投げられるなら2イニングで止める。慎重に進めれば完全復活できるでしょう」と、慎重に進める方針を示しました。

東京オリンピック金メダリスト ウルフ・アロンが新日本プロレスに入団を発表

2021年の東京オリンピックで柔道男子100キロ級の金メダルを獲得したウルフ・アロン(パーク24所属、29歳)が、23日に新日本プロレスへの入団を正式に発表しました。この日は東京都内のホテルで記者会見を開き、プロレス転向の背景などについて説明しました。オカダ・カズチカや内藤哲也といった主力選手の退団が続く中、新たなスター選手のプロレス転向は大きな話題を呼び起こしそうです。 オリンピック金メダリストによる他の格闘技への転向は、1992年バルセロナオリンピック78キロ級金メダリストの吉田秀彦や、2008年北京オリンピック100キロ超級金メダリストの石井慧が例として挙げられますが、プロレスへの転向はウルフが初めてです。また、小川直也は世界選手権で4度金メダルを獲得しているものの、オリンピックでは1992年バルセロナ大会の男子95キロ超級で銀メダルが最高成績でした。 海外では、オリンピック金メダリストからプロレスラーに転身した例として最も有名なのが、1996年アトランタオリンピックレスリング男子フリースタイル100キロ級金メダリストのカート・アングル(アメリカ)です。彼は1998年にWWEに加入し、WWEヘビー級王座やWWE世界ヘビー級王座など多くのタイトルを獲得しました。2002年には主要タイトルを制覇するグランドスラムを達成し、2017年にはWWE殿堂入りも果たしました。 21年東京オリンピックの他の金メダリストもプロレスに転身しています。レスリング男子フリースタイル125キロ級金メダリストのゲイブル・スティーブンソン(アメリカ)は、22年にWWEと契約。レスリングとプロレス技術を並行して磨く特別育成プログラムが組まれていましたが、24年に契約解除となりました。また、レスリング女子68キロ級金メダリストのタミラマリアナ・ストックメンサ(アメリカ)は23年にWWEと契約し、WWEパフォーマンスセンターでプロレス技術を習得。リングネーム「タイラ・メイ・スティール」として昨年7月にNXTレベルアップ大会でWWEデビューし、今年6月3日に正式にNXTデビューを果たしました。

【記者の目】ウルフ・アロンがプロレス界に進出 新日本プロレスの救世主となるか? 自己プロデュースが鍵

柔道のオリンピック金メダリスト、ウルフ・アロンが新日本プロレスに加わることが決まった。彼の柔道経験を考えれば、「ストロングスタイル」を体現するには最適な選手と言える。オカダ・カズチカや内藤哲也といったスター選手が次々と退団した新日本にとって、アロンは救世主となる可能性がある。しかし、プロレスリングでは実力だけでなく、ファンに対するアピール力も重要である。これは必ずしも善人であるからといって人気が出るわけではない。新日本プロレスにおいても、団体から期待される正統派の海野翔太が時にはブーイングを受けることもある。プロレスラーにとって「正解」とは相手との対決だけでなく、観客との対峙も含まれるのだ。柔道からプロレスに転向した選手としては、バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した小川直也が思い起こされる。彼は橋本真也との抗争を経て「暴走王」として名を上げ、橋本と「OH砲」を結成。「オレごと刈れ」といった合体技を開発し、マイクパフォーマンスでも注目された。品行方正ではなかったが、高い人気を得た。異なるスポーツからの転向例としては、力道山、天龍源一郎、輪島大士、北尾光司、曙太郎ら相撲出身者が多い。近年では、青木真也や佐々木憂流迦といった総合格闘技の名選手たちもプロレスのリングで活躍している。プロ野球からの転向例としてはジャイアント馬場が知られる。ウルフ・アロンが成功するかどうかは、受け身や攻防の間の取り方といったプロレス特有の技術を身につけられるか、そして団体の大きな流れの中で如何に自己プロデュースできるかに左右される。【千葉修宏】(プロレス担当)