松井秀喜氏「バット持ってこい。今はその声を聞きたいです」長嶋茂雄さんの告別式で弔辞

3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の通夜が7日、告別式は8日、都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主は次女・三奈さん(57)、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長で読売巨人軍取締役オーナーの山口寿一氏(68)が務めた。96人が参列した告別式では、元巨人の松井秀喜氏(50=ヤンキースGM付特別アドバイザー)が弔辞のあいさつを行った。 ◇ ◇ ◇ 監督、きょうは素振りないですよね? その目を見ていると、「バット持ってこい。今からやるぞ」と言われそうでドキッとします。でも、今はその声を聞きたいです。ドラフト会議で私を引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。タイガースファンだった私は、心の中でちょっとズッコケました。しかし、その後、すぐに電話で「松井君、待ってるよ」と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました。監督はひとたびユニホームを着てグラウンドに出ると、強烈な光を発し、私と二人で素振りをする時は、バットマン長嶋茂雄になりました。それが私の日常でした。監督が引退された年に生まれた私は、監督の現役時代をともに過ごした方々と同じ気持ちになりたくてもなることはできません。その時代を生きていません。ですが逆に、私はその、野球の神様、長嶋茂雄というものを、肌で感じていないからこそ、普段、普通の自分自身で接することができました。それが私にとって、非常に幸運だったと思っております。監督を退任する日、私は最後の素振りだと思って、振っている途中、涙が止まりませんでした。これが最後の素振りになると思ったからです。「何泣いてんだ。タオルで涙ふいて、ほら振るぞ」。そう声をかけてくださいました。それが最後だと思っていましたが、翌日もやりましたね。そして、次の年も次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです。監督、私は現役時代に一度だけ監督にお願いしたことを覚えていますか。私はセンターを守っておりましたが、「監督、どうせなら私、サードやらしてくださいよ」とお願いしました。そしたら、「お前はサードじゃないよ。お前はやっぱりセンターだ。俺はお前をジョー・ディマジオにしたいんだ」とおっしゃってくださいました。私は全くピンときておりませんでした。ある日、素振りで監督のご自宅にお邪魔した時、私はそこにジョー・ディマジオのバットとジョー・ディマジオの大きな写真があることに気づきました。見逃しませんでした。監督は本当にジョー・ディマジオが好きなんだなと思って、また、その選手のようになれと言ってくれたことに、本当にその時、幸せに感じました。それから私は喜んでセンターが大好きになりました。その時、監督は、私がジョー・ディマジオと同じユニホームを着て、同じグラウンドでプレーすることを夢に思っていなかったと思います。もちろん、私も思っていませんでした。私が引退して、監督に挨拶に行った時、「監督がジョー・ディマジオって言ったから、私、ヤンキースに行ったんですよ」って言ったら、この笑顔を見せてくださいました。その時、初めて私は、大好きなジャイアンツを去ることになりましたが、これで良かったんだと思いました。そして、今も遠い離れた場所にいます。日本に帰ってくるたび、監督にご挨拶に行くと、監督の言いたそうなことを、言おうとするのに言わない。でも、その気持ちはいつも受け取っておりました。これからも監督が、なぜ私だったのか、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか。その意味を、その答えを、自分自身が心の中で、監督に問い続けます。今度は、私が監督を逃がしません。ですから、今日は「ありがとうございました」も、「さようなら」も、私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします。そして、その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください。【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 伝説残したミスタープロ野球 通夜、告別式で最後の別れ/1