松井秀喜氏「涙止まりませんでした」長嶋茂雄さんと“夢の時間”の終わりを覚悟した日 弔辞

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3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の告別式が8日、都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。棺(ひつぎ)を乗せた車は7日に都内の自宅を出発し、愛着のある東京ドーム周辺を通って通夜を行った同斎場に到着。喪主は次女・三奈さん(57)が務め、縁の深い王貞治氏(85)、松井秀喜氏(50)ら巨人OBが弔辞を読み上げた。戒名は遺族の希望で非公開。初めて明かされた最期の時を超え「ミスタープロ野球」は日本の太陽として輝き続ける。   ◇   ◇   ◇数え切れないほどの思い出に浸りながら優しく語りかけた。元巨人のヤンキース松井GM付特別アドバイザーは、告別式の弔辞の冒頭で「監督、今日は素振りないですよね?」と切り出した。「(92年の)ドラフト会議で私を引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。その後、すぐに電話で『松井君、待ってるよ』と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました」。この瞬間から2人の師弟関係は始まった。旧ジャイアンツ寮に入寮してから長嶋さんによる4番育成1000日計画が実行された。部屋の中で素振りを繰り返し、マンツーマン指導を受ける日々。擦り切れた畳は「松井畳」として、後輩たちに語り継がれている。この日も遺影を眺めながら「その目を見ていると『バット持ってこい。今からやるぞ』と言われそうでドキッとします」と、当時の光景が頭に浮かぶ。“夢の時間”の終わりを覚悟した日がある。01年9月28日。長嶋さんが監督退任を発表した。「私は(バットを)振っている途中、涙が止まりませんでした。これが最後の素振りになると思ったからです」。だが実際は違った。「翌日もやりましたね。そして、次の年もその次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです」。長嶋さんが巨人の監督ではなくなっても、松井氏が米大リーグ・ヤンキースに移籍しても、2人の関係は「選手と監督」のまま。指導が終わることはなかった。だからこそ、長嶋さんとの約束を果たす日が訪れることを信じている。4日に米ニューヨークから緊急帰国。空港から長嶋さん宅へ直行し、2時間以上も2人の時間を過ごした後「生前、約束したこともあります」と明かした。「先日『約束』という言葉を使いましたけれど、自分の中でも、何かこれからの自分自身とこれからの監督との対話で、監督が導いてくれるんじゃないかなと思っています」と今はそっと胸に秘める。決して別れの日ではない。「今度は私が監督を逃がしません。ですから、今日は『ありがとうございました』も『さようなら』も私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします。そして、その強烈な光でジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」。2人の物語はこれからも続いていく。【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 伝説残したミスタープロ野球 通夜、告別式で最後の別れ/1

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