告別式で明かされた長嶋茂雄さんの最期…看護師も「見たことない」と驚いた心臓の波形と闘志

3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の告別式が8日、都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。棺(ひつぎ)を乗せた車は7日に都内の自宅を出発し、愛着のある東京ドーム周辺を通って通夜を行った同斎場に到着。喪主は次女・三奈さん(57)が務め、縁の深い王貞治氏(85)、松井秀喜氏(50)ら巨人OBが弔辞を読み上げた。戒名は遺族の希望で非公開。初めて明かされた最期の時を超え「ミスタープロ野球」は日本の太陽として輝き続ける。 ◇ ◇ ◇山なりの波形が、ずっと続いていた。6月3日午前6時過ぎ、長嶋さんは病室のベッドの上で、プロ野球界を照らし続けた天寿を全うしようとしていた。脈拍と血圧の数値は「0」になった。医学的には心肺停止状態の表示がその時を伝えながら、ただ、心臓の動きを示す波形が山を作っていた。三奈さんは看護師に聞いた。「これ、どういうことなんですか」。その答えに、父の生きざまが表れていた。「監督が心臓を動かそう、動かそう、動かそうとしている振動なんだと思います。こんなの見たことありません」。誰もが驚いた。「最後まで、俺は生きるんだ、諦めてないぞ、諦めてないよ」。死してなお、その鼓動が「燃える男」の不屈の闘志を伝えていた。5月下旬、肺炎が悪化した。血圧が下がりながら、持ち直した。先月31日に重篤な状態となったが、この時も持ちこたえた。これまでも病室では「痛い」「つらい」などひと言も発しなかった。看護師が痛みを伴う喉の吸引を申し出ると、いつも力強くうなずいた。
集中治療室には巨人マスコットのジャビットやオレンジ色の紙花が飾られていた。6月3日、三奈さんの誕生日の午前6時39分、新たな日が昇る最中、「球界の太陽」は息を引き取った。都内の自宅に戻って4日後の7日、棺を乗せた車が東京ドームへ向かった。監督として戦い続けた、愛する本拠地。午後2時から交流戦の楽天戦が行われていたドームの周囲を回った。都内の葬儀場に着いた時、5連敗中だったチームを救う増田陸、丸の連続弾が飛び出した。長嶋さんが身につけた、巨人の永久欠番「3」が揺れた東京ドーム。別れの時は、勝利こそがふさわしかった。弔い星の後、午後6時から始まった通夜では、祭壇にオレンジ色が咲いた。三奈さんが「どうしても父の大好きなジャイアンツカラーにしたくて」と熱望。自筆の「3」が入ったユニホームや、天覧試合で本塁打を打ったバットなどが飾られた明るい祭壇の中央に、ほほえむ写真が置かれた。8日の告別式では王貞治氏がその笑顔を見ながら、弔辞を読み上げた。「あなたは日本の健康優良児でした。存在そのものが、日本人の誇りでした」。通夜と告別式には、多くの巨人関係者らが参列し、別れを惜しんだ。荼毘(だび)に付されても、不滅。長嶋さん、ミスター、監督-。これからも皆の心の中で生き続ける。【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 伝説残したミスタープロ野球 通夜、告別式で最後の別れ/1