3日に89歳で亡くなられた読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督の通夜と告別式が、都内の桐ケ谷斎場にて執り行われました。喪主として次女の三奈さん(57)が務め、葬儀委員長は読売新聞グループ本社社長であり、読売巨人軍のオーナーでもある山口寿一氏(68)が担当しました。弔辞は堀内恒夫氏(77)と原辰徳氏(66)が読み上げました。
長島三奈さんの喪主挨拶
本日はお忙しい中、また遠方より父の長嶋茂雄の通夜にお越しいただき、心より感謝申し上げます。祭壇に飾られた父の写真をご覧ください。家族と過ごす時、父は本当に太陽のように大きく、明るく、暖かい笑顔で毎日私たちに光を与えてくれました。よく、仕事場に行くと「監督は試合で負けると機嫌が悪いのか」と聞かれましたが、私は父が機嫌を損ねたり、物に当たる姿を一度も見たことがありません。
もちろん、選手の中には「試合中、ベンチで何度も蹴られたことがある」と思う方もいるかもしれません。ですが、父はグラウンドで真剣さゆえに雷のように激しさを見せていたのが事実です。それでも家族に戻ると穏やかで、長嶋家には常に青空が広がっていました。6月3日の朝6時39分、父は長い眠りへとつきました。そのわずか7時間後に駆けつけてくださったのが王貞治会長です。
会長、本当にありがとうございました。父は、王会長が巨人に入団した日のことを60年以上経った今でも鮮明に覚えています。上野駅で初めて出会った際、父は「なんて大きな身体で、クリクリとした大きな目をしているんだろう」と驚いておりました。王会長の話をする時、父はいつも笑顔でした。
一度、「王さんとパパはライバルだったの?」と尋ねたことがあります。すると父は、「違うよ、三奈ちゃん。王さんと僕は巨人を強くするために一緒に頑張ってきたんだ」と明るく語ってくれました。お互いに補い合い、巨人を支えていたのです。
不思議ですが、父が王会長の話をするときは、本当に笑顔で目には涙が浮かんでいました。そんな話を共有できるのは、父にとって王会長だけでした。最後まで父を支えてくださり、本当にありがとうございました。
そして6月4日の朝早くには、ニューヨークから松井秀喜さんが駆けつけてくださいました。松井さん、本当にありがとうございました。ご存知のとおり、父が世界で最も大切にしていた方でした。もし、松井さんと私が同時に海で溺れていたとしたら、きっと真っ先に松井さんを助けたことでしょう。
松井さんがヤンキースに入団した最初の年、父は居ても立ってもいられずニューヨークに駆けつけました。その時の逸話を聞くたびに、顔がほころびます。父は松井さんと共に歩んできた数々の思い出を大切にしておりました。
実は、松井さんと私にはある約束がありました。それは、父が松井さんが次の巨人監督になるという希望を抱かせ続けることで、父のリハビリに対するモチベーションを高めることでした。「『監督やるやる詐欺』しましょう」と松井さんと話していたのです。父もきっと聞いているかもしれません。
父は耳が良く、記憶力も優れていましたが、選手の名前だけはよく混同していました。それでも、父の話にはみんなが顔をほころばせ、笑顔が溢れる方でした。そんな父を娘として誇りに思います。
皆さん、どうかこれからも父のことを笑顔で語り、思い出していただければ幸いです。そして、本日は読売新聞グループ本社様のお力添えで、温かい通夜を行うことができました。心より御礼申し上げます。
最後に、父の祭壇をオレンジの花で彩っていただいたことに特別な感謝を申し上げます。オレンジは父の愛するジャイアンツカラーで、とても素晴らしい明るい祭壇となりました。
巨人軍が提供してくださった父の背番号3のユニフォーム、天覧試合でホームランを放った時のバット、松井秀喜さんと共に授与された国民栄誉賞の金のバット、そして天皇陛下から授与された勲記と文化勲章が誇り高く飾られています。もしお時間があれば、ぜひ記念写真を撮っていただき、父を笑顔で送り出していただければと思います。本日は本当にありがとうございました。