Day: June 8, 2025

【手記】那須川天心、世界挑戦はまだジャンプ前、バネが弾けるのは世界のベルトを巻いてから

プロボクシングWBC世界バンタム級1位の那須川天心さん(26=帝拳)は、WBA同級6位ビクトル・サンティリャン選手(29=ドミニカ共和国)に3-0の判定勝利、世界前哨戦を見事クリアしました。11月には世界挑戦が予定されています。ボクシングデビューからわずか2年2カ月、那須川選手が日刊スポーツに手記を寄せてくれました。   ◇   ◇   ◇世界前哨戦をクリアしたものの、私にとって「世界挑戦」はまだジャンプの直前です。今はひざを深く曲げ、バネをため込んでいる状態です。世界のベルトを掴むまでは準備期間であり、まだ道の途中にいます。爆発する瞬間は、世界のベルトを巻いたときですね。周りからは態度が大きいと言われるし、「ちゃらんぽらんな兄ちゃん」と思われているかもしれません。しかし、態度は大きくても、実際に見えていること以外は言っていません。地に足をつけている自負があります。そのことをまず伝えたいです。デビューから2年2カ月。順調に見えるかもしれませんが、ボクシングの基礎を身に付けるまでには時間がかかりました。何度も苦労し、大きな壁に直面することもありました。昨年7月のロドリゲス戦前では、スパーリングでも全く上手くいかず、泥沼状態でした。普通なら他の道を探るかもしれませんが、私はあえてその泥沼にはまり、もがき抜きました。すると気が付いたときには泥沼から抜け出していました。まるで泥パックをして肌がスベスベになったように。1日約2時間の練習ですが、非常に集中しているため、体感では何十時間ものように感じます。まるで「精神と時の部屋」ですね。それだけ極限まで追い込んできました。会長や粟生トレーナーのアドバイスを一言も漏らさないように、全身の感覚を研ぎ澄ませています。まだ2年ですが、倍以上の経験を積んでいる感覚です。 周りは「天才」や「神童」と呼びますが、自分はそうではありません。格闘技は地道な努力の積み重ねが重要で、一夜にして強くなれるものではありません。おそらく格闘技の中でボクシングが一番難しいです。自分はキックやアクロバティックな技が得意ですが、ボクシングには厳しいルールが存在します。その基礎をしっかりと身につけた上で、自分のスタイルを加えていければ、よりボクシングを楽しめると思っています。ボクシングへの挑戦状を宣言したときの気持ちは変わっていません。今も「キックからの外敵」として見られることはありますが、批判も含め多くの注目を受けてボクシング界が盛り上がるなら、それで良いと思っています。注目される分だけお返しをしたいです。日本のボクシングに対する熱意を強く感じます。流行に惑わされず、歴史と伝統を地道に守り抜いてきた結果、多くの支持を集め、そして盛り上がっています。だからこそボクシングに真摯に向き合い続けています。それがこの競技に対する礼儀です。強くなるためには誠意を持って取り組む。それが私のスタンスです。(WBCバンタム級1位・那須川天心)※「精神と時の部屋」は、人気アニメ『ドラゴンボール』に登場する、お坊様の神殿内にある特殊な部屋で、1日で1年分の修行ができると言われる場所。

【巨人】阿部慎之助監督「ゾクッときた。長嶋さんが打たせてくれた」東京ドームで起きた最期の奇跡

巨人の阿部慎之助監督(46)は、3日に亡くなった長嶋茂雄終身名誉監督にこの秋優勝を報告することを心に誓いました。この日、楽天に5-0で完勝しました。阿部監督は「いい報告を、優勝したいなと思いますので、とにかく僕たちは1日1日勝っていくしかありませんので」と決意を語りました。7日の楽天戦後、通夜にも参列しました。「三奈さんがご挨拶してくれて、遺影が非常に笑顔で、それがとても印象的でした。三奈さんも『ぜひ笑顔で一緒に写真を撮ってください』とおっしゃっていました。とても優しい顔をされていたと思って、感謝を述べてお別れしました」と話しました。7日に長嶋さんのご遺体を乗せた車は、午後3時13分から24分にかけて東京ドーム周辺(黄色いビル前→水道橋交差点、壱岐坂下交差点→東京ドーム前)を通り、同4時3分に斎場に到着しました。その直後、増田陸、丸が2者連続で本塁打を放ちました。阿部監督は「そのような話も、ゾクッときましたけど。打ったのは本人たちですが、長嶋さんが打たせてくれたというのもあると思います」と噛みしめながら語りました。

大谷翔平、予期せぬハプニング!左足首付近にスイーパーが直撃、それでもプレーを続行

ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平投手(30歳)は、試合中に思わぬアクシデントに遭遇しました。 試合は7対3で迎えた8回の2アウト1、2塁の場面。カウント1-2から、右腕スバンソン選手の投げたスイーパーが大谷選手の左足首付近に直撃しました。衝撃を受けた瞬間、大谷選手は思わず声を漏らしながらも、足を引きずりつつプレーを続ける姿を見せました。 同日の試合では、初打席で二塁打を放ち、これで5試合連続のヒットを記録しています。

【ボクシング】相手の異変に中谷潤人「非情ですけど勝つために腕を狙っていきました」一問一答

WBC世界バンタム級王者の中谷潤人(27=M・T)が、初の王座統一に成功した。IBF世界同級王者の西田凌佑(28=六島)に6回終了TKO勝ち。全勝の日本人王者対決を、3階級制覇王者が制した。自身10度目の世界戦で、国内タイ記録となるプロデビューから31連勝を達成した。以下、試合後会見の一問一答。-今日の感想を「統一戦という舞台も初めての経験だったので、そういったところでより集中できましたし、今週の段階で高いモチベーションを持ってやってこれたので、こういった試合ができたと思います」-西田選手と戦ってみての印象の変化は「1ラウンド目からいきなりダメージを与えていくということはチーム内で決めてたことだったので、そこを実行できて。目のはれだったりとか、腕だったりとか、本当につぶしていくというイメージで打っていったんで、そこが形になって出たかなと」-序盤から距離を詰めて戦っていた。それは相手が西田選手だからか「まあ一つサプライズというか、みなさんを驚かせたいというか。エンターテインメント性があったのと、西田選手をあっと驚かすというのは大事になってくると思っていたので。そこらへんはうまくはまった」-お客さんも盛り上がっていた「そうですね、楽しかったです」-この先、どういう目標があるか「今まで通り、僕のスタイルとしては一戦一戦、大切に戦っていくということを大事にしてきて。今回の試合も本当に大事な一戦、ポイントになる一戦だったので。こういった積み重ねが大きいピックマッチにつながってくると思っているので。引き続き一戦一戦、大切に皆さんに見ていただけたらうれしいです」-試合が終わった時、どういう気持ちになったか「すごくダメージっていうのは与えてるっていうのも、外から見受けられたので、そこまで長くはならないだろうなという感覚は持っていました」-1ラウンドからいった時に力みからか、スピードがないように感じたが「顔に当てていくってなるとスピードが必要になってくると思うんですけど、腕とかあばらとか、体に当てていくっていうことだったので。多少遅くてもダメージを的確に与えていくというところでは問題ないかなと思っていたので。思いきり強く打っていくというところで多少の力みがあったかなと思っているんですけど」-西田選手のボディ攻撃は?「想定はしていたので。効いたパンチもなかったですし。そこら辺は想定内でした」-これまで対戦した中で西田選手は1番強かった?「何をしてくるかわからないなって言う不気味さは多少ありましたけど、いろんなことを想定して、自分自身がこうなったら嫌だなっていうところを毎回想定するので。どういうやり方をしていくか、1ラウンド目から出ていくとチームと話をして。1ラウンド目から出られたというのは1つ自信になりました」-リングサイドに井上尚弥選手がいた「井上選手が会場に見えていたのは知っていました。一戦一戦やっていくというところが大切ですし、そこで良いパフォーマンスがくればよりビッグファイトへの期待が大きく集まってくると思うので。本当に一戦一戦全力で戦っていきたいです」-1ラウンドからダメージを与えるというのは(トレーナーの)エディさんからの提案?「そうですね。西田選手の距離感が優れているので、そこでボクシングするよりかは1ラウンド目から崩してやろう、狂わしてやろうというのは僕自身もありましたし、そういうひらめきというかチームの発想は楽しいので、楽しい方を選びました」-ビッグマッチを盛り上げるためというのは2番目の理由?「もちろんダメージを与えていくというのが第1の目的だと思います。結果としてみなさんにサプライズできた」-新たな未来につながる試合だったということを言っていた「いろんな選択肢が増えると思うので。階級を上げるというところも想定していますし。バンタム級は他にもチャンピオンがいますし。どういうチョイスができるか、未来が広がったかなというふうに思います」-井上尚弥選手との対戦がどんどん現実味をおびてきている感覚は「周りの人の期待感はすごい感じていますし、大きくなってきているというのは感じています」-西田選手の攻撃や距離感で嫌だなと感じたものは「攻撃が終わった後のすぐの攻撃。第2回目の攻撃がすごく速かったので、そこら辺は対策してきて良かったと」-打ちながら西田選手のダメージは感じられたか「はい、3ラウンド目、4ラウンド目が始まる前に肩をこうやって(痛そうに)やってたので。非情ですけど勝つために腕を狙っていきました」中谷潤人、西田凌佑を6回TKOで下し2団体統一成功 那須川天心は世界前哨戦に判定勝利/詳細

【巨人】天が味方したかの如く…戸郷翔征が体験した不思議、ミスターへの勝利を「示せた」

読売ジャイアンツの戸郷翔征投手(25歳)が今季最高のピッチングを見せつけた。先発として今季最長の7回を投げ、119球3安打無失点という好成績を残した。さらに、この日は長嶋茂雄さんの告別式が行われた特別な日。「体調が悪い中、何度も球場に足を運んで、僕たちに応援を送ってくださった。そのような方が亡くなり、とても悲しいですが、勝つことが一番の喜びだと思うので、それをミスターに示せて良かった」と語った。 特別な体験があった。3日前、彼は自宅で過去の投球映像を見返していた。「寝る前に去年投げたフォークを思い出した」。その感覚はまるで天が与えてくれたかのようで、「それが試合で活かされてよかったです」と微笑んだ。 ようやく本来の調子が戻ってきた。今季は開幕から6試合連続で勝ち星がなく、2軍降格も経験。しかし、昨季まで3年連続で12勝を挙げた右腕が、良い時の感覚を取り戻せば無敵状態に入る。この日も、150キロを超える速球とフォークを低めに集めるピッチングを見せ「今年の中で一番の出来でした」と手応えを感じていた。 それでもまだ2勝目に過ぎない。戸郷は「交流戦は非常に重要ですし、まだまだジャイアンツの実力はこんなものではない」と語り、自らの更なる活躍を誓った。【水谷京裕】

中畑清氏「あなたは私の人生全て」長嶋さん告別式での弔辞で「夢の時間」伊東キャンプの思い出も明かす

89歳で逝去された読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄氏の通夜が7日に、告別式が8日に東京の桐ケ谷斎場で行われました。喪主は次女の三奈さん(57)、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長であり読売ジャイアンツ取締役オーナーの山口寿一氏(68)が務めました。通夜の弔辞では堀内恒夫氏(77)と原辰徳氏(66)、告別式では王貞治氏(85)、中畑清氏(71)、松井秀喜氏(50)が読み上げました。    ◇   ◇   ◇ 元ジャイアンツの中畑清氏(71)は、告別式での弔辞にて恩師である長嶋さんに向けた言葉を語り掛けました。感謝の気持ちを最初に伝えた後、「あなたは私の人生全てです」と述べ、多くの思い出の中から、特に印象深い伊東キャンプでの2人による特訓について語りました。 捕るのが難しい位置に打たれ、長嶋さんから「下手くそ」と叱咤されましたが、ボールを捕った後には長嶋さんに向かって投げ返しました。「『ヒョー、ヒョー』と叫びながら、踊るような監督との対決を忘れることができません。それはまさに夢の時間でした」とその記憶を振り返りました。 キャンプ中の過酷なランニングでは、長嶋さんも走るように篠塚氏に言わせたことを「告白」しました。長嶋さんはそれに応えて坂を全力で走り抜け、戻ってくるとその姿に「長嶋コール」が起こり、「まさにみんなが長嶋ファミリーになった瞬間でした」と回想しました。 初めて憧れの人を「ミスター」と呼んだ日のことも、今でも鮮明に脳裏に刻まれています。現役引退後、共にゴルフをし、背中越しに「ミスター」と声をかけた時、「おお、どうした、キヨシ」と満面の笑みで答えられました。「子供のように心から心臓が止まるほど感動し、嬉しかったです」と話しました。 弔辞の途中、微笑む長嶋氏の遺影を見つめながら、中畑氏は「命懸けで教えてくれたこと、育ててくれたことは宝物です」と感謝の意を述べました。「つらいけど、私たちがやるべきことは『こんなことで下を向いている場合じゃないぞ』と。胸を張って前を見て進めというメッセージをいただいたように感じます。頑張ります」と力強い言葉で締めくくりました。

【追悼の辞】長嶋茂雄さんの通夜、告別式での弔辞者 – 堀内恒夫氏、原辰徳氏、王貞治氏、中畑清氏、松井秀喜氏

伝説的な存在である長嶋茂雄さんが3日に89歳で他界され、7日に通夜、8日に告別式が都内の桐ケ谷斎場で行われました。喪主は次女の三奈さん(57歳)が務め、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長で、読売巨人軍取締役オーナーの山口寿一氏(68歳)が担当しました。 通夜では、元巨人の堀内恒夫氏(77歳)と前巨人監督の原辰徳氏(66歳)が弔辞を述べました。告別式では、ソフトバンクの王貞治球団会長(85歳)、元巨人の中畑清氏(71歳)、元ヤンキースGM付特別アドバイザーの松井秀喜氏(50歳)が言葉を捧げました。    ◇   ◇   ◇ 堀内氏は、現役時代の選手だったころ、長嶋さんに結婚式のスピーチをお願いした思い出を振り返りました。「選手仲間が結婚式の仲人をするのは稀です。ですが、長嶋さんは快く引き受けてくださり、私の質問よりも長嶋さんと奥様への質問が多く、焦る場面も多かったです」と語りました。 原氏は、「4番サード長嶋」の響きに憧れ、九州で育ったことを思い出しながら、巨人に4球団競合で入団が決まった直後のエピソードを紹介。「母が『長嶋さんからよ』と興奮して電話を渡してくれたのを覚えています。その年、長嶋さんは監督を辞められたのですが、広い視野で野球を捉え、巨人を愛する姿勢に感銘を受けました」と振り返りました。 王氏は入団時のキャンプで同室だった際のエピソードを披露しました。部屋の片付けができず1週間で部屋を変えられた話から、「長嶋さんは非常に普通の方で、私を普通の人として接してくれました。大きな恩を受けた方です」と述べました。 中畑氏は、険しい「伊東キャンプ」を振り返り、苦しい練習を長嶋監督が率先して取り組んでいたと当時を懐かしみました。「息を切らして帰還する姿を見て、雲の上にいた監督が我々のところまで降りてきてくれたと感じました」と回顧しました。 松井氏は「1000日計画」で毎日長嶋さんと素振りを行っていた思い出を語り、「今後も引き続きよろしくお願いします。長嶋さんの強烈な光で、巨人の未来、日本の野球の未来を照らし続けてください」と締めくくりました。

長嶋茂雄さんが松井秀喜氏のただ1度のお願いを却下した理由「サード、やらしてくださいよ」

元読売ジャイアンツ選手であり、現ヤンキースGM付特別アドバイザーの松井秀喜氏(50)が、3日に逝去した長嶋茂雄名誉監督に、一度だけお願いをし、それを断られたエピソードを語りました。3日に亡くなった長嶋監督の告別式が8日に都内で執り行われ、松井氏は弔辞でその思い出を語りました。その中で「監督に現役時代、唯一お願いしたことがありました。それを覚えていますか?」と話し始めました。松井氏「私はセンターを守っていましたが、『監督、どうせならサードをやらせてください』とお願いしました。しかし、監督は『お前はサードじゃない。お前はやっぱりセンターだ。俺はお前をジョー・ディマジオみたいにしたいんだ』と言われました。その時はその言葉がピンと来ませんでした。」と語りました。ある日、スイングの練習で監督のご自宅を訪れた際、ジョー・ディマジオのバットと大きな写真があることに気付きました。この瞬間に、監督が本当にジョー・ディマジオを好きであり、また彼のような選手になるよう励ましてくれたことに幸せを感じました。それ以降、私はセンターを大好きになりました。しかし、当時、監督が私にジョー・ディマジオと同じユニフォームを着させ、同じ舞台でプレーすることを考えていたとは思いもしませんでした。祭壇に飾られた笑顔の遺影を見つめながら、“サードの後継者”にしなかったことにあらためて感謝の気持ちを抱きました。後にディマジオが活躍したヤンキースのユニフォームに袖を通すことになりました。「私が引退し、監督に挨拶に行った時、『監督がジョー・ディマジオと言ったから、私はヤンキースに行ったんですよ』と言ったら、この笑顔を見せてくださいました。その瞬間、大好きだったジャイアンツから離れましたが、これで良かったと心から思いました」と振り返りました。

告別式で明かされた長嶋茂雄さんの最期…看護師も「見たことない」と驚いた心臓の波形と闘志

3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の告別式が8日、都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。棺(ひつぎ)を乗せた車は7日に都内の自宅を出発し、愛着のある東京ドーム周辺を通って通夜を行った同斎場に到着。喪主は次女・三奈さん(57)が務め、縁の深い王貞治氏(85)、松井秀喜氏(50)ら巨人OBが弔辞を読み上げた。戒名は遺族の希望で非公開。初めて明かされた最期の時を超え「ミスタープロ野球」は日本の太陽として輝き続ける。   ◇   ◇   ◇山なりの波形が、ずっと続いていた。6月3日午前6時過ぎ、長嶋さんは病室のベッドの上で、プロ野球界を照らし続けた天寿を全うしようとしていた。脈拍と血圧の数値は「0」になった。医学的には心肺停止状態の表示がその時を伝えながら、ただ、心臓の動きを示す波形が山を作っていた。三奈さんは看護師に聞いた。「これ、どういうことなんですか」。その答えに、父の生きざまが表れていた。「監督が心臓を動かそう、動かそう、動かそうとしている振動なんだと思います。こんなの見たことありません」。誰もが驚いた。「最後まで、俺は生きるんだ、諦めてないぞ、諦めてないよ」。死してなお、その鼓動が「燃える男」の不屈の闘志を伝えていた。5月下旬、肺炎が悪化した。血圧が下がりながら、持ち直した。先月31日に重篤な状態となったが、この時も持ちこたえた。これまでも病室では「痛い」「つらい」などひと言も発しなかった。看護師が痛みを伴う喉の吸引を申し出ると、いつも力強くうなずいた。 集中治療室には巨人マスコットのジャビットやオレンジ色の紙花が飾られていた。6月3日、三奈さんの誕生日の午前6時39分、新たな日が昇る最中、「球界の太陽」は息を引き取った。都内の自宅に戻って4日後の7日、棺を乗せた車が東京ドームへ向かった。監督として戦い続けた、愛する本拠地。午後2時から交流戦の楽天戦が行われていたドームの周囲を回った。都内の葬儀場に着いた時、5連敗中だったチームを救う増田陸、丸の連続弾が飛び出した。長嶋さんが身につけた、巨人の永久欠番「3」が揺れた東京ドーム。別れの時は、勝利こそがふさわしかった。弔い星の後、午後6時から始まった通夜では、祭壇にオレンジ色が咲いた。三奈さんが「どうしても父の大好きなジャイアンツカラーにしたくて」と熱望。自筆の「3」が入ったユニホームや、天覧試合で本塁打を打ったバットなどが飾られた明るい祭壇の中央に、ほほえむ写真が置かれた。8日の告別式では王貞治氏がその笑顔を見ながら、弔辞を読み上げた。「あなたは日本の健康優良児でした。存在そのものが、日本人の誇りでした」。通夜と告別式には、多くの巨人関係者らが参列し、別れを惜しんだ。荼毘(だび)に付されても、不滅。長嶋さん、ミスター、監督-。これからも皆の心の中で生き続ける。【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 伝説残したミスタープロ野球 通夜、告別式で最後の別れ/1

松井秀喜氏「涙止まりませんでした」長嶋茂雄さんと“夢の時間”の終わりを覚悟した日 弔辞

3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の告別式が8日、都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。棺(ひつぎ)を乗せた車は7日に都内の自宅を出発し、愛着のある東京ドーム周辺を通って通夜を行った同斎場に到着。喪主は次女・三奈さん(57)が務め、縁の深い王貞治氏(85)、松井秀喜氏(50)ら巨人OBが弔辞を読み上げた。戒名は遺族の希望で非公開。初めて明かされた最期の時を超え「ミスタープロ野球」は日本の太陽として輝き続ける。   ◇   ◇   ◇数え切れないほどの思い出に浸りながら優しく語りかけた。元巨人のヤンキース松井GM付特別アドバイザーは、告別式の弔辞の冒頭で「監督、今日は素振りないですよね?」と切り出した。「(92年の)ドラフト会議で私を引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。その後、すぐに電話で『松井君、待ってるよ』と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました」。この瞬間から2人の師弟関係は始まった。旧ジャイアンツ寮に入寮してから長嶋さんによる4番育成1000日計画が実行された。部屋の中で素振りを繰り返し、マンツーマン指導を受ける日々。擦り切れた畳は「松井畳」として、後輩たちに語り継がれている。この日も遺影を眺めながら「その目を見ていると『バット持ってこい。今からやるぞ』と言われそうでドキッとします」と、当時の光景が頭に浮かぶ。“夢の時間”の終わりを覚悟した日がある。01年9月28日。長嶋さんが監督退任を発表した。「私は(バットを)振っている途中、涙が止まりませんでした。これが最後の素振りになると思ったからです」。だが実際は違った。「翌日もやりましたね。そして、次の年もその次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです」。長嶋さんが巨人の監督ではなくなっても、松井氏が米大リーグ・ヤンキースに移籍しても、2人の関係は「選手と監督」のまま。指導が終わることはなかった。だからこそ、長嶋さんとの約束を果たす日が訪れることを信じている。4日に米ニューヨークから緊急帰国。空港から長嶋さん宅へ直行し、2時間以上も2人の時間を過ごした後「生前、約束したこともあります」と明かした。「先日『約束』という言葉を使いましたけれど、自分の中でも、何かこれからの自分自身とこれからの監督との対話で、監督が導いてくれるんじゃないかなと思っています」と今はそっと胸に秘める。決して別れの日ではない。「今度は私が監督を逃がしません。ですから、今日は『ありがとうございました』も『さようなら』も私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします。そして、その強烈な光でジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」。2人の物語はこれからも続いていく。【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 伝説残したミスタープロ野球 通夜、告別式で最後の別れ/1