Day: June 8, 2025

王貞治氏「私にとっては、長嶋さんは超普通の人でした」長嶋茂雄さん告別式/弔辞全文

3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の告別式が8日、都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主は次女・三奈さん、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長で読売巨人軍取締役オーナーの山口寿一が務めた。96人が参列した告別式では、王貞治氏が弔辞のあいさつに立った。  弔辞。長嶋茂雄さん。あなたへの弔辞を読む日がこんなに早く来るとは思ってもいませんでした。あなたは日本の健康優良児でした。存在そのものが、日本人の誇りでした。グラウンドでは、一挙手一投足が、日本中のファンの心を引きつけました。日本中があなたを追いかけました。大変だったと思いますが、あなたは嫌な顔一つせず、常に明るく存在していました。太陽のように光を放っていました。本当に特別な存在でした。そんなあなたに私は迷惑ばかりかけていました。昭和34年、私が入団した年の宮崎キャンプで同室にさせられ、世間知らずの私は、部屋の片付け、布団の上げ下げなどすることもできず、揚げ句に、寝相は悪いは、いびきはかくはで、迷惑をかけっぱなしだったようで、1週間で部屋を替えさせられましたが、その間、長嶋さんは一言も文句を言いませんでした。アメリカで、ベロビーチでキャンプした時、ロサンゼルスで1泊して、フロリダに飛んだんですが、その出発の日の朝、私が寝坊してしまい、長嶋さんが天窓から部屋に入ってくれて、私を起こし、荷物をまとめてくれたので、飛行機に乗り遅れることはなく済んだこともありました。私にとっては、長嶋さんは超普通の人でした。長嶋さんは私に普通人として接してくれました。長嶋さんには頭が上がりませんでした。足を向けて寝られない人でした。そんな大恩人の長嶋さんとのこんなお別れは、到底受け入れられません。皆さんも同じだと思います。しかし、そうは言っても、現実に引き戻されてしまいます。あとは、静かに、静かにお見送りするのみです。長嶋さん、ありがとうございました。あなたとの六十有余年、私にとっては忘れることのできない貴重な年月でした。感謝するしかありません。89年間、よくぞ頑張ってくれました。日本人のために頑張ってくれました。ありがとうございました。安らかにお眠りいただくことを願うのみです。「長島茂雄」に戻ってゆっくりとお眠りください。さようなら。【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 数々の伝説残したミスタープロ野球/1>>

「王会長と父は本当のライバル?」長嶋茂雄氏の葬儀で三奈さんが明らかにした、父親の涙と笑顔の関係

3日に肺炎のため89歳で亡くなった巨人軍の永遠の名誉監督、長嶋茂雄氏の通夜と告別式が東京都内の桐ケ谷斎場で執り行われました。喪主を務めた次女の三奈さんが、長嶋茂雄氏と「ON砲」として活躍したソフトバンクホークスの王貞治球団会長(85)について語りました。長嶋茂雄氏は3日の午前6時39分に息を引き取りました。遺体が病院から家に戻った時、最初に駆けつけたのが王会長でした。三奈さんは、「6月3日、午前6時39分に父は永遠の眠りにつきました。そのわずか7時間後、一番最初に駆けつけてくれたのが王貞治会長です。王会長に心から感謝します。父は、王会長が巨人軍に入団し最初に出会った日のことを60年経った今でも鮮明に覚えていました。父は上野駅で学生服を着た王会長が歩いてくる姿を見て、『なんて大きな体をしているんだ。目も大きくて、とても立派な体だ』と驚いたそうです。父が会長の話を始めると、いつも笑顔が絶えませんでした」と明かしました。さらに、「以前、私が『王さんとパパはライバルだったの?』と尋ねたことがあります。父はすぐに『違うよ、三奈ちゃん。王さんとパパはね、二人で一緒に巨人を強くしよう、二人で一緒に日本一のチームを作ろうって、ずっと同じことを考えて頑張ってきたんだ。パパが打てなかったときは、王さんが打ってくれたし、王さんが打てないときがあったら、今日は俺が打つぞって思っていたんだ』と、微笑んで話してくれました」と語りました。最後に、「不思議ですが、父が王会長のことを話す時は、いつも笑顔で、でも涙を浮かべていました。涙ぐみながら笑顔で思い出話をするのは、父にとっては王会長だけだったのです。最後まで父に寄り添っていただき、本当にありがとうございました」と、王会長との思い出を締めくくりました。 長嶋氏を乗せた車は7日午後2時33分に自宅を出発しました。午後3時13分から24分の間に東京ドーム周辺(黄色いビル前→水道橋交差点、壱岐坂下交差点→東京ドーム前)を通過し、午後4時3分に斎場に到着しました。祭壇は三奈さんの希望によりジャイアンツカラーで彩られ、背番号3のユニフォーム、天覧試合でのホームランバット、松井秀喜氏と共に受賞した国民栄誉賞の金のバット、天皇陛下から授与された勲記と文化勲章が飾られました。通夜の参列者は126名。そのうち、親族では長嶋一茂氏を含む27名がいました。巨人関係者はV9のチームメンバーや監督時代の選手、コーチら62名で、現在のチームからは阿部慎之助監督や二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチなど、13名が参列しました。

【参列者一覧】長嶋茂雄さん通夜に落合博満氏、清原和博氏、松井秀喜氏ら巨人OB

3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の通夜、告別式が都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主は次女・三奈さん(57)、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長で読売巨人軍取締役オーナーの山口寿一氏(68)が務めた。弔辞は堀内恒夫氏(77)と原辰徳氏(66)が読み上げた。7日に行われた通夜の参列者は126人。親族は長嶋一茂氏ら27人、巨人関係者はV9のチームメート、監督時代の選手、コーチが62人参列した。巨人OBの参列者は以下の通り(順不同、敬称略)阿野鉱二、上田武司、江藤省三、王貞治、河埜和正、柴田勲、末次利光、杉山茂、高田繁、新浦壽夫、原田治明、広野功、堀内恒夫、吉田孝司、黒江透修、横山忠夫、江川卓、江藤智、大久保博元、岡崎郁、淡河弘、小俣進、鹿取義隆、金石昭人、清水隆行、高橋由伸、中畑清、所憲佐、仁村薫、原辰徳、張本勲、樋澤良信、福王昭仁、藤城和明、松井秀喜、松本匡史、村田真一、元木大介、吉村禎章、浅野啓司、阿波野秀幸、井端弘和、上原浩治、上田和明、上野裕平、大塚淳弘、岡島秀樹、落合博満、大森剛、川口和久、川中基嗣、清原和博、香坂英典、斎藤雅樹、笹本信二、條辺剛、鈴木章介、高田誠、堀田一郎、宮本和知、槇原寛己、原俊介現在のチームからは阿部慎之助監督、二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチ、橋上秀樹作戦戦略コーチ、村田善則総合コーチ、亀井善行打撃コーチ、古城茂幸内野守備コーチ、松本哲也外野守備兼走塁コーチ、杉内俊哉投手チーフコーチ、内海哲也投手コーチ、實松一成バッテリーコーチ、ウィーラー巡回打撃コーチ、丸佳浩外野手、岡本和真内野手の13人が参列した。長嶋茂雄さん死去89歳 数々の伝説残したミスタープロ野球/まとめ>>

長嶋茂雄さん葬儀、次女三奈さん「恥ずかしながらも娘としては誇りに」人を笑顔にさせる逸話の数々

肺炎のため3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の通夜、告別式が都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主を務めた次女・三奈さんが、長嶋さんの愛されたおちゃめな一面を、喪主あいさつで語った。三奈さんは「父は本当に耳もいいですし、記憶力もいいんですが、なぜか選手の皆様のお名前はよく間違えておりました」と話した。「上原浩治さんに、上原さんいらっしゃると思うんですが、上原浩治さんにお会いしたときには、『監督、僕のことをずっと二岡って呼ぶんですよ』って。すみませんって言いながら、また、ある時は桑田真澄さんにお会いしたときは、『監督、僕のことを最後までクワダって言っていました』。娘としてはちょっと恥ずかしかったんですが、もう父の話が出ると、もう周りの方が皆さん、一瞬にして笑顔の花がぱっと咲いて、父ってどこにいてもいろんな方を笑顔にするんだな、もう野球と関係ないのに笑顔で包んでくれるんだなと、ちょっと恥ずかしながらも娘としては誇りに思っておりました」と語った。続けて「そんな父ですので、皆さん、どうかこれからも笑顔で笑い声をあげながら、父のことを話していただければなと思います。そして本日は、読売新聞グループ本社様の多大なるお力添えを賜りまして、父らしい温かい通夜を執り行うことができました。家族・親族を代表しまして、心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました」と語った。 長嶋さん棺を乗せた車は7日午後2時33分に自宅を出発。同3時13分から24分にかけて東京ドーム周辺(黄色いビル前→水道橋交差点、壱岐坂下交差点→東京ドーム前)を通り、同4時3分に斎場に到着した。祭壇は三奈さん希望でジャイアンツカラーで彩られ、背番号3のユニホーム、天覧試合でホームランを打った時に使用したバット、松井秀喜と一緒に授与した国民栄誉賞の金のバット、天皇陛下から直々に授与された勲記と文化勲章が飾られた。通夜の参列者は126名。うち、親族は長嶋一茂氏ら27人、巨人関係はV9のチームメート、監督時代の選手、コーチが62人、現在のチームからは阿部慎之助監督、二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチ、橋上秀樹作戦戦略コーチ、村田善則総合コーチ、亀井善行打撃コーチ、古城茂幸内野守備コーチ、松本哲也外野守備兼走塁コーチ、杉内俊哉投手チーフコーチ、内海哲也投手コーチ、實松一成バッテリーコーチ、ウィーラー巡回打撃コーチ、丸佳浩外野手、岡本和真内野手の13人が参列した。【まとめ】長嶋茂雄さん死去89歳 伝説残したミスタープロ野球 通夜、告別式で最後の別れ/1

【喪主挨拶全文】長嶋茂雄さんの葬儀での三奈さんの挨拶「父の太陽のような笑顔で長嶋家はいつも青空でした」

3日に89歳で亡くなられた読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督の通夜と告別式が、都内の桐ケ谷斎場にて執り行われました。喪主として次女の三奈さん(57)が務め、葬儀委員長は読売新聞グループ本社社長であり、読売巨人軍のオーナーでもある山口寿一氏(68)が担当しました。弔辞は堀内恒夫氏(77)と原辰徳氏(66)が読み上げました。長島三奈さんの喪主挨拶本日はお忙しい中、また遠方より父の長嶋茂雄の通夜にお越しいただき、心より感謝申し上げます。祭壇に飾られた父の写真をご覧ください。家族と過ごす時、父は本当に太陽のように大きく、明るく、暖かい笑顔で毎日私たちに光を与えてくれました。よく、仕事場に行くと「監督は試合で負けると機嫌が悪いのか」と聞かれましたが、私は父が機嫌を損ねたり、物に当たる姿を一度も見たことがありません。 もちろん、選手の中には「試合中、ベンチで何度も蹴られたことがある」と思う方もいるかもしれません。ですが、父はグラウンドで真剣さゆえに雷のように激しさを見せていたのが事実です。それでも家族に戻ると穏やかで、長嶋家には常に青空が広がっていました。6月3日の朝6時39分、父は長い眠りへとつきました。そのわずか7時間後に駆けつけてくださったのが王貞治会長です。会長、本当にありがとうございました。父は、王会長が巨人に入団した日のことを60年以上経った今でも鮮明に覚えています。上野駅で初めて出会った際、父は「なんて大きな身体で、クリクリとした大きな目をしているんだろう」と驚いておりました。王会長の話をする時、父はいつも笑顔でした。一度、「王さんとパパはライバルだったの?」と尋ねたことがあります。すると父は、「違うよ、三奈ちゃん。王さんと僕は巨人を強くするために一緒に頑張ってきたんだ」と明るく語ってくれました。お互いに補い合い、巨人を支えていたのです。 不思議ですが、父が王会長の話をするときは、本当に笑顔で目には涙が浮かんでいました。そんな話を共有できるのは、父にとって王会長だけでした。最後まで父を支えてくださり、本当にありがとうございました。そして6月4日の朝早くには、ニューヨークから松井秀喜さんが駆けつけてくださいました。松井さん、本当にありがとうございました。ご存知のとおり、父が世界で最も大切にしていた方でした。もし、松井さんと私が同時に海で溺れていたとしたら、きっと真っ先に松井さんを助けたことでしょう。松井さんがヤンキースに入団した最初の年、父は居ても立ってもいられずニューヨークに駆けつけました。その時の逸話を聞くたびに、顔がほころびます。父は松井さんと共に歩んできた数々の思い出を大切にしておりました。 実は、松井さんと私にはある約束がありました。それは、父が松井さんが次の巨人監督になるという希望を抱かせ続けることで、父のリハビリに対するモチベーションを高めることでした。「『監督やるやる詐欺』しましょう」と松井さんと話していたのです。父もきっと聞いているかもしれません。父は耳が良く、記憶力も優れていましたが、選手の名前だけはよく混同していました。それでも、父の話にはみんなが顔をほころばせ、笑顔が溢れる方でした。そんな父を娘として誇りに思います。皆さん、どうかこれからも父のことを笑顔で語り、思い出していただければ幸いです。そして、本日は読売新聞グループ本社様のお力添えで、温かい通夜を行うことができました。心より御礼申し上げます。 最後に、父の祭壇をオレンジの花で彩っていただいたことに特別な感謝を申し上げます。オレンジは父の愛するジャイアンツカラーで、とても素晴らしい明るい祭壇となりました。巨人軍が提供してくださった父の背番号3のユニフォーム、天覧試合でホームランを放った時のバット、松井秀喜さんと共に授与された国民栄誉賞の金のバット、そして天皇陛下から授与された勲記と文化勲章が誇り高く飾られています。もしお時間があれば、ぜひ記念写真を撮っていただき、父を笑顔で送り出していただければと思います。本日は本当にありがとうございました。

【阪神】岡田彰布オーナー付顧問が曽谷龍平を大絶賛「宮城と同レベルだ。彼の高校は?ああ、明桜なんだね」

阪神の岡田彰布オーナー付顧問(67)は、ABCラジオの「フレッシュアップベースボール」で解説を務めました。 オリックスの先発投手、曽谷龍平(24)は初回から安定したピッチングを見せ、3年目の左腕に対して岡田氏は大絶賛しました。 「昨日の宮城投手と遜色ないですね。本当にいいピッチングをしています。彼は何年目ですか? 3年目ぐらいですよね。伊原投手と同い年なんですよね。お互いに知っているのでしょう。曽谷選手はどこの高校出身なんですか? 明桜なんですね。」と述べ、普段から高い評価をしている様子がわかりました。 阪神の監督として、岡田氏は2年連続でオリックスと対戦しました。曽谷選手が新人だった23年には4回途中で攻略しましたが、昨年の対戦では6回を無得点に抑えられ、12三振を喫して勝利を逃しています。

【ルヴァン杯】磐田-湘南 広島-福岡 横浜FC-C大阪 東京V-柏/プレーオフ速報中

JリーグYBCルヴァン杯プレーオフ第2戦4試合を速報中。 【ルヴァン杯】日程&結果 磐 田00-0 - 0湘 南 ▼得点者 広 島  -  -  福 岡 ▼得点者 横浜FC  -  -  C大阪 ▼得点者 柏  -  -  東京V ▼得点者 【イラスト】ルヴァン杯1次ラウンド勝ち上がり

プロ2年目の現役女子大生、高野愛姫がツアー初優勝 前週初Vの「ワセジョ」稲垣那奈子と同期

プロ2年目の高野愛姫(あいひ、20=Jトラスト銀行インドネシア)が逆転でツアー初優勝を果たした。9バーディー、1ボギーの64で回り、通算15アンダー、201。4打差6位から出て、3番から3連続バーディー、8番から4連続バーディーなどの猛チャージ。単独首位に躍り出ると、2位以下を一気に突き放した。プロ1年目の昨季は下部ツアーが主な主戦場だった。レギュラーツアー出場は6試合だけ。今季はレギュラーツアーに本格参戦し、開幕戦から11試合に出場。最高位が5月のSky RKBレディースの11位。直近2試合は予選落ちだった。一気に調子を上げ、初のトップ10入りが、いきなりツアー初優勝となった。前週も高野と同じプロ2年目の「ワセジョ」稲垣那奈子(24=三菱電機)がツアー初優勝。早稲田大(早大)卒の女子選手では初のツアー制覇を果たした。高野は日大に在学中。国内ツアーでは毎週ニューヒロインが誕生している。◆高野愛姫(たかの・あいひ)2004年(平16)9月14日、東京都生まれ。5歳からゴルフを始める。23年プロテスト合格。同期(96期)には稲垣のほか、馬場咲希、菅楓華、政田夢乃らがいる。得意クラブはパター。埼玉栄高から日大に進学。趣味は読書。好きな色は白。167センチ。血液型O。

【日本ハム】新庄監督が「代打の神様」八木コーチの還暦を祝うサプライズ

日本ハムの八木裕打撃コーチが、60歳の誕生日を迎え、新庄剛志監督(53)や選手たちによるサプライズ祝福を受けました。試合前の練習が始まる前に、三塁側ファウルグラウンド付近に全員が集まりました。そこに新庄監督が現れ、「代打の神様がおじいちゃんとして仲間入りしました」と笑顔で祝福しました。さらに赤いちゃんちゃんこの代わりに、ホームユニホームの白い部分を赤くした「還暦ユニホーム」が贈られました。左胸には「60」という番号が記されています。八木コーチは大きな拍手に包まれながら、「選手もコーチもスタッフも、60歳でも元気でいるためには今が大事です。私もあと20年がんばります」と挨拶しました。その還暦ユニホームを着て、試合前の練習に参加した八木コーチは、「おじいちゃんとは思われたくないから、還暦とはあまり言われたくないけど、まだまだ元気で若くいたいという気持ちです」と苦笑しながらも、「もしちゃんちゃんこだったら大変でした。ユニホームでよかった」と笑顔を見せました。

佐々木主浩氏、長嶋茂雄さんとの心温まるエピソードでスタジオが爆笑「僕のことを佐々木って知らなくて…」

横浜ベイスターズやシアトル・マリナーズで活躍した佐々木主浩氏(57歳、日刊スポーツの評論家)が、8日にTBSの「サンデーモーニング」に生出演し、3日に肺炎で89歳で亡くなった長嶋茂雄さんとの思い出を語りました。番組には張本勲氏(85歳)も出演。長嶋さんについて尋ねられると佐々木氏は、「私にとっての憧れの存在でした。野球を始めたきっかけは長嶋さんです」と語りました。他の球団に属していながらも、監督として、選手としての思い出を明かしました。さらに、「とにかくオーラが凄かったです。これがオーラというものかと実感しました。しかし、長嶋さんは私のことを『佐々木』と認識していなくて、いつも『魔神くん、魔神くん』と呼んでいました。『魔神くん、元気?』って言われるたびに、にこやかになってしまいます」と話すと、スタジオは温かい笑いに包まれました。