「こちらにいらっしゃい」長嶋茂雄監督が苦悩する記者に掛けた一言とは 担当記者を悼む

巨人キャップ時代、私は長嶋茂雄監督の進退についての記事を書きました。96年には「メークドラマ」で歓喜を味わいましたが、97年にはBクラスとなり、98年の契約最終年もチームの調子は低迷していました。そんな中、国民的ヒーローである長嶋監督の記事を書く重圧は計り知れないものでした。暑い夏の幕開けです。
7月31日に行われた阪神戦で、ガルベス投手が暴挙を起こし、出場停止となりました。長嶋監督は丸刈りになって謝罪しましたが、チームは不調を続けました。そして1か月後、「長嶋監督が辞意を表明」と一面で報じました。
その記事が出た日の朝、自宅近くでランニング中の監督に偶然出会いました。私は内心、心臓が張り裂けそうでしたが、監督は驚くことに笑顔を浮かべていました。「新聞を買いましたよ、えっへっへ。家でじっくり読みますからね」とおっしゃった監督の清らかで澄んだ目は今でも忘れられません。
その頃、読売新聞本社は次期監督候補との交渉を終えていました。しかし、長嶋監督は後任の選定に関与できなかったことに怒り、最終的には辞任を撤回しました。世論も「また読売が解任するのか」というムードに包まれ、渡辺オーナーもこれに応じて急転直下で続投が決まりました。
結果として、記事は誤報でした。どう責任を取るべきか悩んだ末、監督に時間をいただくことにしました。厳しい表情で「こちらにいらっしゃい」と呼ばれたのは、ヤクルト戦の試合前、神宮球場の三塁ベース付近でした。
「私はね、野球についてはどんなことを書かれても気にしません。野球以外やプライベートについては怒ることもありますけどね。だから(辞任の記事は)終わったこと。何のわだかまりもありませんよ。だって田さんだって書くのが仕事でしょう」。不覚にも、涙が出そうになりました。記事を書いた者として、そして人間として救われる思いでした。その時、三塁側の観客席から「ナガシマさ~ん!」というファンの声が上がりました。監督は毛むくじゃらの右腕を上げ、その声援に応えました。「サードの守備位置から観客席を見上げるのが好きだった」という話を聞いたことがあります。私もその時、同じ方向を見上げてみました。この光景か…。長嶋茂雄は、ファンに、そして野球に愛され続けてきたのだと実感しました。【97、98年巨人キャップ・田 誠】