原辰徳氏「懐が大きくてかわいがってくれた」巨人の監督を託してくれた長嶋茂雄さんを追悼

巨人の前監督、原辰徳氏(66)にとって、長嶋茂雄さんは特別な存在でした。
長嶋選手に憧れを抱いて野球を続け、巨人に入団しました。そして、1993年には長嶋さんが再び巨人の監督として復帰しました。彼が監督を務めた1995年には引退を決断しました。その後、野手総合コーチとして再び巨人のユニホームに袖を通しましたが、それも長嶋監督の下でのことでした。
都内のホテルで、長嶋監督からコーチの依頼を受けた際、原氏は自分を厳しく扱った長嶋監督に「ひとつだけ約束してほしいことがあります。私をかわいがってください」とお願いしました。「分かった」の一言で、すべてのわだかまりを捨てたのです。
その言葉に偽りはありませんでした。コーチに就任した直後、送りバントが簡単に行われるチームに変化を加えようとしました。長嶋監督に「送りバントが出そうなときは、すべてチャージをかけるようにしていいですか?」と許可を求めました。ただ、しばらくすると相手にも察知され、ヤクルトの野村監督にはバスターエンドランに切り替えられ、苦い経験もしました。
「やってみないと分からないことがあります。やはり臨機応変に戦わなければなりません。長嶋監督は、それを理解して許可を出してくれたと思います。それは大きな学びでしたが、長嶋監督には迷惑をかけました。この恩を返さなければなりません」
2000年の日本シリーズで、ダイエー(現ソフトバンク)との“ON対決”は話題を集めました。しかし、巨人は2連敗というスタートを切りました。
「あの年の日本シリーズは変則日程で、2戦目の後に1日も空くことなく福岡ドームで試合でした。連敗でチームのムードは悪かったのですが、長嶋監督は“明日はオーダーを変えるぞ”と一言。その迫力とオーラは素晴らしいものでした。チームの雰囲気も一変し4連勝を達成して日本一になりました。当時の巨人はオーダーを固定することが多かったのですが、短期決戦では違いました。長嶋監督だからこそ、効果があったのでしょうが、新しい戦い方を学びました」
そして、長嶋監督が2001年シーズンの終盤に勇退する際、密かにヘッドコーチの身分のまま采配を任されました。
「あの時、長嶋監督は退くことを決めていたのでしょう。それで経験を積ませてくれたのだと思います。最終戦の後、“来年からは君のチームだ”と託してもらいました。監督として、人間として懐の大きいお方で、本当に自分をかわいがってくれました」
監督に就任した際には、背番号を「83」に決めました。これは長嶋監督の野球を継承する意志を込めて、自分の現役時代の「8」と長嶋氏の「3」を組み合わせた番号でした。その説明に偽りはありませんが、感謝の気持ちで長嶋監督とともに戦いたかったのです。【小島信行】