長嶋茂雄さん死去89歳 数々の伝説残したミスタープロ野球/まとめ

プロ野球の巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが、3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。89歳だった。
長嶋茂雄さん死去 89歳 巨人軍終身名誉監督 04年に脳梗塞で倒れた後、リハビリ努めた
58年に新人王、MVP5度、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度/略歴
記録・語録・軌跡
デビューは4三振、天覧試合で1発、ONアベック、幻の本塁打
57年12月巨人入団、背番号3 59年天覧試合でサヨナラ本塁打…
88年、野球殿堂入り 92年ドラフトで松井秀喜引き当てる…
東京6大学で本塁打新記録、天覧試合でサヨナラ本塁打、通算444本塁打
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ヘイ!カール、メークドラマ/平成の長嶋茂雄伝説
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長嶋茂雄氏の年度別成績
長嶋茂雄氏の年度別監督成績
◆長嶋茂雄(ながしま・しげお)1936年(昭11)2月20日、千葉県印旛郡臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立大に進学。杉浦、本屋敷らと黄金時代を築き、首位打者2度。当時の東京6大学新記録となる通算8本塁打を放った。
巨人入団1年目の58年に打率3割5厘、29本塁打、92打点で本塁打王、打点王に輝き新人王に。59年6月25日の天覧試合(対阪神)では同点本塁打とサヨナラ本塁打。王貞治との「ON砲」で65~73年の巨人V9を支えた。74年に現役引退するまでMVP5度、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度を獲得し、「ミスター・ジャイアンツ」として球界最大のスーパースターとなった。
巨人監督に就任した75年は球団初の最下位。監督は75~80年、93~01年の計15年務め、リーグ優勝5度(76、77、94、96、00年)、日本一2度(94、00年)。アテネ五輪日本代表監督として03年のアジア予選は3戦全勝で五輪出場を決めたが、04年の本戦では病気のため指揮を執ることができなかった。
88年野球殿堂入り。現役時代は178センチ、76キロ、右投げ右打ち。家族は故亜希子夫人(07年9月18日、64歳で死去)との間に長男一茂さん(元プロ野球選手)長女有希さん、次女三奈さん(フリーアナウンサー)次男正興さんをもうけた。
長嶋茂雄氏(2019年9月27日撮影)