「オレらはいつまでもライバルだ」。この短い言葉には、多くの想いが凝縮されていました。一方は涙を流し、もう一方は懸命に涙をこらえていました。これは二人だけに分かる特別な瞬間で、特別な空気を持っていました。
昨年12月に引退した元小結、阿武咲こと打越奎也氏(28)が、東京の両国国技館で断髪式を行いました。約400人が参加し、師匠の阿武松親方(元前頭大道)の最後の一刀で、力士としての髷と別れを告げました。「最初は涙を我慢していましたが…」涙を流すまいと気をつけていましたが、「途中で、もう、こらえきれませんでした(笑い)」と涙をこぼしました。
小学生の頃からライバルだった元大関貴景勝の湊川親方(28)が土俵に上がった瞬間、涙が止められなくなることを打越氏は覚悟していたようです。青森の打越と兵庫の佐藤(湊川親方の本名)、同学年の二人は、小学生の頃から際立っていました。二人とも背の高さには恵まれませんでしたが、激しい立ち合いと激しい突き押しから相撲のスタイルは似通っており、「あいつには負けられない」と強く意識するようになりました。
打越氏が高校を中退し、湊川親方が高校卒業後に大相撲の道に入りました。湊川親方は引退後に「本当は打越と話したかったが、なれ合いたくなかったので、あえて話さないようにした」と語りました。生涯のライバルと決めた相手だからこそ、巡業で共に全国を旅しても一定の距離を保ちました。
そして、昨年9月の秋場所中に湊川親方が引退し、打越氏も12月に後を追うようにして引退を決めました。打越氏が引退を伝えた際、湊川親方に「オレら頑張ったよな」と返され、労をねぎらわれた時には涙が止まりませんでした。
この日、湊川親方は打越氏の髷にハサミを入れた後、東の花道を引き揚げてきて放心状態でした。「どのような声をかけましたか?」とたずねると、「本人に聞いて」と答え、続けて「どんな思いが込み上げてきましたか?」と聞かれると、支度部屋に近い通路の壁によりかかり、涙がこぼれないように上を見つめ、語り始めました。
湊川親方「終わったな、と。オレも打越も、本当に現役が終わったんだなと感じました。何と言うか…。他の人たちには起こらないような感情が湧いてきました。日本一を目指して、常に自分たちは突き進んできました。自分たちは(世間に)現れるのも早かったから、現役が終わるのも早かったと思います。でも、オレたち二人が平成8年生まれの世代を引っ張ってきた自信はあります。」
打越氏の存在が、自分を成長させてくれたと感謝の気持ちをあらわにしました。
そして、打越氏から湊川親方への思いも同じでした。
打越氏「本当にありがたいですね。人との出会い、縁に恵まれている人生だったと、改めて感じました。感謝やありがとうの言葉だけでは言い尽くせないような相撲人生でした。最高の相撲人生だったと思います。」
打越氏は相撲界を離れ、4月からはせっけんや化粧品、スキンケア商品などを扱う会社に入社しています。自宅のある千葉県から、勤務先の横浜市まで往復130~140キロを運転して通勤しています。接客や商品開発に取り組んでおり、大相撲の本場所は勤務中や移動中でほとんど見ることができないです。ただ、「自分で選んだ道。毎日が充実しています」と、新入社員として奮闘しています。
どんな道に進んでも、第2の人生でも努力を怠らない打越氏の性格を最もよく知るのが湊川親方です。舞台が変わっても、湊川親方は「日本一」と呼ばれる弟子の育成を目指し、打越氏は「日本一」と呼ばれる商品開発を目指しています。だから、湊川親方は敬意を込めて言ったのです。「オレらはいつまでもライバルだ」。第2の人生でも、どちらが先に「日本一」の称号を得るか競い合い続けることでしょう。
「いつかは、ゆっくり食事でもしながら話したい」。照れ笑いを浮かべながら同じ言葉を語る二人。そんな簡単にできそうでできないままの、不器用な二人です。それでも、互いにぶつかり合ってきた絆があります。意識し続けた最大の敵は、最高の理解者でもありました。【高田文太】