Month: May 2025

【競輪】電撃的に引退を発表した平原康多「もう“平原康多”という商品をお見せするのは無理だと」/一問一答

競輪で長年にわたって“関東の総大将”として第一線を走り続けてきた平原康多(42歳)が、21日に突然引退を表明しました。22日に日本競輪選手会の埼玉支部に選手手帳を返納し、現役S級S班の引退はこれまでに例がありません。彼は度重なる大きな怪我と戦いながら、昨年のG1日本選手権(いわき平)で「ダービー王」となりましたが、その1年後、同じ日本選手権(名古屋)で限界を感じました。関東の若い選手たちの成長を見届けた上で、SS班のまま、約23年間の現役生活に終止符を打つという異例の決断を下しました。    ◇    ◇    ◇  以下は一問一答の内容です。-衝撃的な引退発表ですが、決断の場面は?平原 ダービーの初日に、真杉について行こうとしたときに、どんなに踏んでも進まないと実感しました。これが限界だと思いました。考え得るケアや治療は試みてみましたが、“平原康多”という商品としての期待に応えるのはもう難しいと思いました。-ご家族にはすぐに伝えられましたか?平原 はい。妻は『それはあなたが決めることだから』と言ってくれました。翌日、父(康広=28期)に伝え、その際、父も心配してくれていて、何も厳しいことは言われませんでした。親なんだと実感しました。父も今の僕と同じくらいの年齢で首に大怪我をして、それが引退の原因になったことがずっと気になっていました。-オールスターでグランドスラムがかかっていたことについては?平原 自分自身にはそのこだわりはありませんでしたが、ファンの皆さんの期待があって、そこまでは頑張ろうと思っていました。でも、自分の体は自分が一番分かっているので、このタイミングでの決断になりました。-次のプランは?平原 今はまだ何も決まっていませんが、競輪が大好きなので、競輪に携わっていきたいですし、競輪を広めるお手伝いができればと思っています。-ファンの方々へ最後にメッセージを平原 今まで温かいご声援をありがとうございました。普通では味わえない多くの経験をさせていただきました。特に最後の2年間は、ファンの皆さんの励ましがなければ続けられなかったと思います。また必ずどこかでお会いしましょう。

【競輪】「安心して過ごせることが嬉しい」引退する平原康多への久美夫人の思い/手記

競輪界で長年“関東の総大将”として活躍してきた平原康多(42歳・埼玉)が、22日に電撃的に引退することが明らかになりました。彼は現在、競輪界トップであるS級S班に所属しており、非常に珍しい決断を下しました。この報に接した彼の苦楽を共にしてきた仲間たち、特に黄金コンビであった武田豊樹(51歳・茨城)や同県の後輩・宿口陽一(41歳・埼玉)、そして妻の久美夫人が、それぞれの思いを語っています。   ◇   ◇   ◇   パパ、これまで本当にお疲れさまでした。家では、練習や昼寝、そしてゲームに夢中の姿ばかりでしたね(笑)。それでも、子供たちと一緒にテレビで応援している時間はとても楽しくて、かっこいい自慢のパパでした。これからは普通のおじさんとして、これまで我慢していた趣味を存分に楽しんでくださいね。けがが多かったこの2年間は、身体的な痛みだけでなく、精神的にもかなり辛そうでした。それでもどんな状況でも練習とケアを続ける姿を見て、家族はただ見守るしかできませんでした。少し前から引退を考えていると聞いていたので、今回の決断に驚きはありませんでした。彼は、一度決めたことは最後までやり遂げる性格なので、はっきり「辞める」と言ったときは、心から納得して決めたことだと受け入れました。そんな瞬間的な決断も彼らしいと思います。少し寂しさもありますが、けがの心配をせずに済むという安心感の方が大きいです。これまで一緒に練習を頑張ってきた仲間や応援してくださったファンの方々のおかげで、主人は努力を続けることができました。彼に関わっていただいた皆さまには、家族として心から感謝しています。これまで本当にありがとうございました。

【日本ハム】新庄監督が感心「会見は震えてましたけどマウンドでは大丈夫」0封デビュー孫易磊に

日本ハム新庄監督は感心した。「いい度胸してますよね」。この日、支配下登録されて背番号96となった“台湾の至宝”こと孫易磊(スン・イーレイ)を同点の9回に投入。台湾プロ野球を経験せずに入団した最速157キロ右腕は、しびれる場面でのプロ初登板でも「思ったよりは緊張せずに落ち着いて投げられた」。9回は山川を直球で押し込むなど3者凡退。延長10回も続投して2回無失点。デビュー戦で初ホールドもマークした。試合前の会見で孫易磊は「メンタルにすごく自信があります」と話していた。台湾から両親や親戚も駆けつけた中で、有言実行のメモリアルマウンドに新庄監督も「会見では足がちょっと震えてましたけど、マウンドでは大丈夫でしたね」と笑顔。延長戦にもつれた試合は落として7カードぶりの負け越しも「いいゲームでしたよ。負けはしましたけど」。ブルペン強化の“新戦力”に確かな手応えを得たのが収穫だった。◆孫易磊(すん・いーれい)2005年2月10日、台北市生まれ。中学時代にポニーリーグワールドシリーズで優勝。穀保高級家事商業職業学校から中国文化大へ進学。23年9月29日に日本ハムと育成で4年契約を結んだ。同年9月のU18W杯、12月のアジア選手権、25年2月のWBC予選で台湾代表入り。183センチ、93キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸は600万円。兄の孫易伸は台湾・台鋼の外野手。

【阪神】途中交代の森下翔太が状態に言及「明日になってみないと分からない」自打球が左膝を直撃

阪神タイガースの外野手、森下翔太選手(24歳)は試合後、自身の健康状態について語りました。「(明日の試合に出るかは)まだ分かりません。明日になってみないと判断できないですね。(症状については)まあ、いろいろです」。試合は2-2の8回、無死満塁の場面で彼は打席に立ちましたが、自打球が左膝の内側に当たりました。しばらくその場にうずくまった後、プレーを再開しましたが、三ゴロ併殺に終わりました。その後、守備に就くことなくベンチに戻りました。

【競輪】平原康多が電撃引退へ…度重なる大けがと闘い「もう限界だなと」SS班のまま異例の決断

G1を9勝し、KEIRINグランプリには14度出場。長年にわたり“関東の総大将”として第一線を突き進んできた平原康多(42=埼玉)が、23日に電撃引退することが日刊スポーツの取材で分かった。現役S級S班のままの引退は過去に例がない。神山雄一郎、武田豊樹から引き継いだエースの座。平原はその重責を一身に背負ってきた。しかし、この数年は、肩甲骨の骨折や股関節の大けがなど度重なる負傷と闘いだった。慢性的な足のしびれや、階段を上がるのもきついほどの腰痛に悩まされながらも、昨年5月のG1日本選手権(いわき平)で「ダービー王」の称号を手に入れた。しかし、体調が回復することはなく、それから1年後の同じ日本選手権(名古屋)で限界を実感した。「ダービー初日、真杉(匠)に離れて追っていく時に、踏んでも踏んでも進まなかった。これはもう限界だなと。考えられるケアや治療は全て試したけど、体に打ち勝てなかった。グランドスラムを期待するファンの声もあったので、オールスターまでは頑張ろうという気持ちもあった。でも、もう期待される“平原康多”という商品をお見せするのは無理だと思いました」。その日本選手権では、吉田拓矢と真杉がワンツー決着。関東の後輩たちの成長も見届けた上で、SS班のまま、約23年間の現役生活に終止符を打つという異例の決断を下した。今後の予定はまだ白紙の状態。23日、日本競輪選手会の埼玉支部に選手手帳を返納する。◆平原康多(ひらはら・こうた)1982年(昭57)6月11日、埼玉県狭山市生まれ。42歳。県立川越工高卒。競輪学校(現養成所)87期生として02年8月に西武園でデビュー(<1><2><9>)。G1は初Vとなった09年びわこ高松宮記念杯から、昨年いわき平日本選手権(ダービー)まで計9勝。G2は06年ふるさとダービー富山、18年高知共同通信社杯の2勝。通算1614戦511勝、優勝61回。通算獲得賞金は17億1407万2900円(22日現在)。185センチ、95キロ。血液型A。父は康広(28期、引退)、弟は啓多(97期)。

白い巨人の10番、モドリッチがレアル・マドリードからの退団を発表「レアルは一生、私の家」6月のクラブW杯まで

レアル・マドリードは22日、公式X(旧ツイッター)で「背番号10」クロアチア代表MFルカ・モドリッチ(39)が退団することを発表しました。24日のホーム戦がスペインでの最後の試合となりますが、6月に始まるFIFAクラブW杯には参加する見込みです。 モドリッチは同日、自身のインスタグラムで「ついにこの瞬間が来ました。望んではいなかったけれど、サッカーや人生には始まりと終わりがあります。今週末、サンティアゴ・ベルナベウでラストゲームを迎えます」と語りました。 彼はさらに次のようにメッセージを述べています。 「2012年に世界最高と言われるクラブに来て、何を成し遂げられるのか想像もつかなかった。しかし、レアル・マドリードでの経験が僕の人生を大きく変えました。歴史と伝統あるクラブの一員として成功を収めたことを誇りに思っています。」 「クラブ、特にフロレンティーノ・ペレス会長、チームメート、コーチ陣、そして関係者の皆さんに心から感謝しています。」 「この数年間で、信じられないほどの瞬間や奇跡的なカムバック、数々の決勝戦と祝賀、そしてベルナベウでの魔法のような夜を経験しました…そのすべてで勝利を収め、とても嬉しかったです。」 「タイトルや勝利を超えて、すべてのマドリードファンの皆さんの愛情が僕の心に刻まれています。皆さんとの特別な絆を感じられて、本当に幸せでした。皆さんが示してくれた感謝のすべてを決して忘れることはありません。」 「満たされた気持ちで去ります。誇りや感謝の気持ち、忘れられない思い出とともに。そして、クラブW杯後、このシャツを着てプレーすることはありませんが、レアル・マドリードのファンであり続けます。」 「また会いましょう。レアル・マドリードは一生、私の家です。ハラ・マドリード・イ・ナダ・マス」とメッセージを締めくくりました。 モドリッチは9月に40歳を迎えます。契約は今年6月30日までで、Rマドリードでの13シーズン目が終わります。今季はMF陣で唯一、一度も負傷せずに過ごしており、公式戦61試合中56試合に出場して、4得点3アシストを記録しました。 新監督であるシャビ・アロンソ氏の下でも、契約延長の可能性が取り沙汰されていましたが、クラブW杯後に退団することが決まっています。 昨年夏、サウジアラビアからの巨額オファーを断り、「Rマドリードで引退」し、クロアチア代表として来年予定されているアメリカ、カナダ、メキシコのW杯に参加し、キャリアを終える夢を追い続けると言われていました。

【ジャンプ】ノルウェー代表コーチ解雇 世界選手権でスーツ不正加工と認定

ノルディックスキーのジャンプ男子で、ノルウェー代表のヘッドコーチ、マグヌス・ブレビク氏を含むコーチ2名とスタッフ1名が、ノルウェー連盟によって解雇されたと22日にDPA通信が報じました。ノルウェーのジャンプ男子チームに関しては、3月の世界選手権でスーツを不正に加工していた問題が明るみに出ており、連盟はこれを故意によるものと判断しました。ブレビク氏らは、国際スキー・スノーボード連盟(FIS)から暫定資格停止処分を受けていました。(共同)

【卓球】早田ひな「殻を破った」中国選手を下し、張本美和らとともにベスト8入り 2大会連続メダルへあと1勝

前回の大会で銅メダルを獲得した早田ひな選手(日本生命)が、中国の選手を破り、張本美和選手(木下グループ)や大藤沙月選手(ミキハウス)と共にベスト8に進出しました。難敵との試合を通じて、早田選手は2大会連続のメダル獲得にあと1勝と迫りました。パリ五輪で傷めた左腕に不安を抱えたまま迎えた今大会。「オリンピックや世界選手権は特別な感情が湧き上がる。自信のなかった自分を克服し、殻を破ることができた」と彼女は喜びを表しました。対戦相手の石洵瑶選手は中国勢の中で世界ランクが早田選手より下ですが、油断できない相手でした。1ゲームを先に取った後、2ゲームを失い戦術の変更を余儀なくされました。緊迫した状況で放った巻き込みサーブは、手首を大きくひねる技術を駆使したものでした。負傷後はほとんど練習できていなかったものの、「やるしかない」と決意しました。これが試合の流れを引き戻しました。体の中央に来た球を反射的にバックハンドで打ち返し、パリ五輪での負傷が頭をよぎる場面もありました。この動作に対する恐怖心を乗り越え、「相手が力を引き出してくれた。試合を重ねるごとによくなっている」と、手応えを語りました。

【データ】楽天宗山塁がプロ初サヨナラ打 パ3新人が記録するのは68年ぶり

楽天のドラフト1位ルーキー宗山塁内野手(22)が、プロ初のサヨナラ打で熱戦に終止符を打った。同点の9回1死三塁、西武の長身右腕ウィンゲンターから、中堅へ勝ち越しの犠牲フライ。殊勲打に、チームメートから手荒い祝福を受けた。新人のサヨナラ打は今年の麦谷(オリックス)と西川(ロッテ)がいるが、楽天では12年岡島(2度)19年の辰己、渡辺佳に次ぎ4人、5度目。今年の3人はすべてパ・リーグの新人だ。同一リーグの新人3人がサヨナラ打を記録するのは、23年のセ・リーグ(阪神森下、中日村松、巨人門脇)以来で、パ・リーグでは57年(毎日平井と衆樹、近鉄伊香)以来68年ぶり。

【阪神】巨人戦で初のカード負け越しとなる…ネルソンが延長戦で決勝打を浴びる

阪神タイガースは今季5度目の延長戦で敗れ、巨人との対戦で開幕以来4カード目にして初の負け越しとなった。 試合は2-2で迎えた延長11回、投手ニック・ネルソン(29)が登板したが、先頭打者の笹原に内野安打を許し、暴投も重なり2死二塁とされた後、門脇が右翼へ決勝の適時三塁打を放った。 阪神は一時リードを奪い返す場面もあった。1点を先制された直後の2回、佐藤輝は相手のエラーで出塁し、無死一塁で大山悠輔内野手(30)が左翼へ逆転の2ランを放った。この本塁打は4月23日のDeNA戦(横浜)以来の甲子園での本塁打となった。 しかし、2-1で迎えた7回、先発のジョン・デュプランティエ(30)から継投した及川雅貴投手(24)が先頭の代打ヘルナンデスに同点ソロ本塁打を打たれ、一時同点に追いつかれた。 その後の8回、先頭の代打ヘルナンデスが初出場で初安打を記録し、続く近本の四球と犠打野選で無死満塁の絶好のチャンス。だが、森下が三塁ゴロ併殺、佐藤輝の申告敬遠後に大山が空振り三振を喫し、好機を逃した。 今季の巨人戦は12試合を終えて8勝4敗と優位に進めていたが、このカードでは初の負け越しとなった。試合前には桐敷拓馬投手(25)が左上肢の筋疲労で登録を抹消されるなど、大幅な選手入れ替えが行われたが、チーム一丸での勝利にはつながらなかった。