** 48歳のユニークな力士・聡ノ富士が引退「もう満足です」―歴代最多の弓取り式を務め上げる **

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弓取り式の最多出場記録を持つ個性派元幕下力士、聡ノ富士(48歳=伊勢ヶ浜部屋)が、夏場所をもって引退することが明らかになりました。
西序二段100枚目の聡ノ富士は、同99枚目の隈錦(21歳)とのラストバウトを終え、土俵に別れを告げました。「やり切ったので、もう満足です。気が済んでいます」と語りました。師匠である伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が7月に定年を迎えることから、夏場所を最後としました。
群馬県・前橋商高出身の聡ノ富士は、元横綱旭富士の安治川部屋(現伊勢ケ浜部屋)に入門し、1996年に初土俵を踏みました。弟弟子の横綱日馬富士が2012年に横綱に昇進すると、聡ノ富士は2013年初場所から弓取り式を担当しました。照ノ富士が横綱を務めるなどの期間を含め、継続的に務め、2024年名古屋場所中に、江戸の華が持っていた弓取り式の最多出場回数637回を更新しました。
「大変良い経験をさせていただきました。(弓取り式は)日の締めくくりであり、土俵を清めるものでした。動作一つ一つに意味があり、それを心に刻んで臨みました」。
これまで付け人を務めた関取には、安美錦、安壮富士、宝富士、日馬富士、照ノ富士の5人がいました。聡ノ富士は、弓取り式だけでなく、相撲教習所の指導員、横綱の綱締め、ちゃんこ作りなど多才にこなし、伊勢ケ浜部屋や角界を陰で支えてきたユニークな存在でした。居反りの名手としても知られています。
最高位は東幕下55枚目。29年間にもわたる相撲人生では数々の苦労がありました。左目網膜剥離の手術を2度受けた時には引退を考えたこともあったといいます。「相撲が好きで続けてきました。どうせなら師匠の定年までと思って続けた結果、2人の横綱も育てることができ、弓取りまで務めることができました」と語りました。
引退後は、東京都内で飲食業に携わる予定です。