【競輪】電撃的に引退を発表した平原康多「もう“平原康多”という商品をお見せするのは無理だと」/一問一答

競輪で長年にわたって“関東の総大将”として第一線を走り続けてきた平原康多(42歳)が、21日に突然引退を表明しました。22日に日本競輪選手会の埼玉支部に選手手帳を返納し、現役S級S班の引退はこれまでに例がありません。彼は度重なる大きな怪我と戦いながら、昨年のG1日本選手権(いわき平)で「ダービー王」となりましたが、その1年後、同じ日本選手権(名古屋)で限界を感じました。関東の若い選手たちの成長を見届けた上で、SS班のまま、約23年間の現役生活に終止符を打つという異例の決断を下しました。
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以下は一問一答の内容です。
-衝撃的な引退発表ですが、決断の場面は?
平原 ダービーの初日に、真杉について行こうとしたときに、どんなに踏んでも進まないと実感しました。これが限界だと思いました。考え得るケアや治療は試みてみましたが、“平原康多”という商品としての期待に応えるのはもう難しいと思いました。
-ご家族にはすぐに伝えられましたか?
平原 はい。妻は『それはあなたが決めることだから』と言ってくれました。翌日、父(康広=28期)に伝え、その際、父も心配してくれていて、何も厳しいことは言われませんでした。親なんだと実感しました。父も今の僕と同じくらいの年齢で首に大怪我をして、それが引退の原因になったことがずっと気になっていました。
-オールスターでグランドスラムがかかっていたことについては?
平原 自分自身にはそのこだわりはありませんでしたが、ファンの皆さんの期待があって、そこまでは頑張ろうと思っていました。でも、自分の体は自分が一番分かっているので、このタイミングでの決断になりました。
-次のプランは?
平原 今はまだ何も決まっていませんが、競輪が大好きなので、競輪に携わっていきたいですし、競輪を広めるお手伝いができればと思っています。
-ファンの方々へ最後にメッセージを
平原 今まで温かいご声援をありがとうございました。普通では味わえない多くの経験をさせていただきました。特に最後の2年間は、ファンの皆さんの励ましがなければ続けられなかったと思います。また必ずどこかでお会いしましょう。