【競輪】平原康多が電撃引退へ…度重なる大けがと闘い「もう限界だなと」SS班のまま異例の決断

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G1を9勝し、KEIRINグランプリには14度出場。長年にわたり“関東の総大将”として第一線を突き進んできた平原康多(42=埼玉)が、23日に電撃引退することが日刊スポーツの取材で分かった。現役S級S班のままの引退は過去に例がない。神山雄一郎、武田豊樹から引き継いだエースの座。平原はその重責を一身に背負ってきた。しかし、この数年は、肩甲骨の骨折や股関節の大けがなど度重なる負傷と闘いだった。慢性的な足のしびれや、階段を上がるのもきついほどの腰痛に悩まされながらも、昨年5月のG1日本選手権(いわき平)で「ダービー王」の称号を手に入れた。しかし、体調が回復することはなく、それから1年後の同じ日本選手権(名古屋)で限界を実感した。「ダービー初日、真杉(匠)に離れて追っていく時に、踏んでも踏んでも進まなかった。これはもう限界だなと。考えられるケアや治療は全て試したけど、体に打ち勝てなかった。グランドスラムを期待するファンの声もあったので、オールスターまでは頑張ろうという気持ちもあった。でも、もう期待される“平原康多”という商品をお見せするのは無理だと思いました」。その日本選手権では、吉田拓矢と真杉がワンツー決着。関東の後輩たちの成長も見届けた上で、SS班のまま、約23年間の現役生活に終止符を打つという異例の決断を下した。今後の予定はまだ白紙の状態。23日、日本競輪選手会の埼玉支部に選手手帳を返納する。◆平原康多(ひらはら・こうた)1982年(昭57)6月11日、埼玉県狭山市生まれ。42歳。県立川越工高卒。競輪学校(現養成所)87期生として02年8月に西武園でデビュー(<1><2><9>)。G1は初Vとなった09年びわこ高松宮記念杯から、昨年いわき平日本選手権(ダービー)まで計9勝。G2は06年ふるさとダービー富山、18年高知共同通信社杯の2勝。通算1614戦511勝、優勝61回。通算獲得賞金は17億1407万2900円(22日現在)。185センチ、95キロ。血液型A。父は康広(28期、引退)、弟は啓多(97期)。

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