【中日】田中幹也選手の「MIWA」ユニホーム姿 過去にブランコ選手や高橋聡文選手、藤井淳志選手も

ユニホームを忘れてしまったのか? 男は、中日のゼロ得点の連続を止めた。中日は2試合連続で無得点敗戦となっていたが、初回に3点を失ったものの、その裏に「6番・二塁」で先発出場した田中幹也内野手(24)の適時打で1点を返した。
1回裏、2死満塁の状況でヤクルトの先発・小川からライト前に適時打を放ち、26イニングぶりの得点をもたらした。チームは7日のDeNA戦(バンテリンドーム)2回から無得点が続いていたのだ。
田中選手は普段と異なるユニホーム姿で試合に臨んだ。おそらく持参することを忘れたのか、「MIWA 111」のユニホームでグラウンドに姿を表し、試合に出場した。このユニホームは2002年から20年以上にわたり中日で裏方を務める三輪敬司ブルペン捕手(48)のものである。
背番号2の田中選手は、背番号111のブカブカのユニホームでウォーミングアップから参加し、試合でもその姿勢を貫いた。3桁の背番号で結果を出したのは立派だ。
ちなみに、選手がユニホームを忘れたり、何らかの理由で球場に届かない場合には、中日の選手たちが三輪ブルペン捕手のユニホームを着ることが多くある。09年5月31日のソフトバンク戦(福岡ヤフードーム)ではトニ・ブランコ選手が、10年3月7日のオープン戦、オリックス戦(京セラドーム大阪)では高橋聡文選手が、16年7月5日の広島戦(富山)では藤井淳志選手が「MIWA」のユニホームでベンチ入りしたことがある。